「あの世」の区分(天仙・地仙・海仙)と日本の仏教

8月の立秋を過ぎると、途端に日の光は秋の色合いになりますね。
日の光は、すっかり秋です。

が、今の時期は「お盆」。
盂蘭盆会(うらぼんえ)ですね。
先祖供養の季節です。

ちなみに、盂蘭盆会の先祖供養のルーツは、
パーリ仏典「ジャーヌッソーニ経」と「餓鬼事経」にあるんですね。
実は。

先祖供養は餓鬼となった先祖を救済する行為~ルーツは原始仏典にある

お盆供養は幽霊・餓鬼・お化けを救う方法だった


で、先祖供養は、効果があることは認められているんですね。
そういう伝承もあります。

で、季節柄、今はお盆の時期です。
先祖を敬い尊ぶ、そんな時期かもしれませんね。

島田幸安によるあの世の区分~天仙・地仙・海仙

先祖供養といえば「あの世」。
あちらの世界。

で、幕末には、「あの世」へ行ってきたという人が何人も出てきます。

江戸時代は「あの世(死後の世界)」訪問談が続々登場した時代~仙道寅吉・島田幸安・宮地水位ほか

で、幕末の文献では、人によって「あの世」の区分の仕方が違うんですね。
たとえば島田幸安がいます。
島田幸安ってどういう人?って思われる方は、こちらをご覧ください。

日本人は死後、神さまになる:人は亡くなったらどうなるのか?~島田幸安の幽界真説(幽界物語)【その1】

島田幸安の幽界物語(神界物語)【その2】~神さま(天人)となった先祖は仏教の供養を嫌う

神さまとなった先祖はたくさんいる~困ったときは神さまとなった先祖に話しかけてみる

異境備忘録[宮地水位]~秋山眞人さんもおすすめの古書

で、島田幸安の分類では、そもそも「あの世」は

・天仙・・・地上の上空にある「あの世」(天上界)
・地仙・・・地上にある「あの世」(幽界)
・海仙・・・海にある「あの世」

の3つに分かれていているといいます。
で、「地仙」こそが人間界に近い「あの世」。
地仙は、幽界とか幽冥界と言われる世界だといいます。
で、幕末の人は地仙、つまり幽界・幽冥界へ行ってきたというわけですね。

地仙~地上にある身近な「あの世」

で、この「地仙」も分かれていて、上から
・神仙
・仙人
・山人
・霊人
・狗賓(くひん)・・・天狗界

 ・大天狗(山霊)
 ・小天狗(山精)
 ・木仙
 ・鬼
 ・木葉天狗(境鳥)
 ・魔天狗(妖魔)
 ・邪鬼

に分かれているといいます。
「狗賓(くひん)」が天狗界。
いわゆる天狗・鬼・邪鬼というわけですね。

で、仏教の狗賓(くひん)を「仏魔」と言っているようです。
で、空海は、大天狗(山霊)であると。

ふーむ。。。
本当なのかしら?
でも、何人かの人が、「空海は天狗になっている」と報告していますのでね。
うーむ。

天狗って最下層ですのでね。
もっとも空海は最下層でも一番上の大天狗のようですので。
ふーむ。

これが事実ならショックですなあ。

日本の仏教が何故、天狗界なのか?

ショックといえば、そもそも日本の仏教が天狗界(仏魔)というのはショッキング。
しかし納得もするんですね。
ええ。

仏教が天狗界(仏魔)ということから、いくつかの教訓が得られます。
それは、
 ・観念が強い
 ・教え、教理にこだわる
 ・経典至上主義、原理主義、教条主義
 ・天然自然の感性がわからない
 ・霊性が欠けている、無い(霊を信じない)
 ・陰気
 ・考えすぎ
 ・閉鎖的
 ・良心がわからない、欠けている
 ・ほどこしをしない

というのはアウト。
ヤバい、マズいってこと。
ええ。

つまり!慈悲、愛、ハートが無いとマズい、ヤバいってことなんですね。
慈悲、愛、ハートは、霊性でもあります。
創造性の源でもあります。
明朗、明るさ、オープンさの源でもあります。
いろんな徳の源でもあるんですね。
なので、ハートは大切なんです。

このハートが欠けると、まさに上記にあげた
不徳の状態になるわけなんですね。
ヤバ過ぎ^^;

で、こうした不徳の状態になると、
 ・無関心
 ・こだわり
 ・執着
 ・怒り
 ・不満
 ・嫉妬
 ・無愛想

というのも出てきます。
で、こういうのって意外と仏教徒に多いんですね。
いや仏教徒に限らず、こうした状態はヤバいってことです。

霊・霊界・輪廻転生を否定するのはマズい

このように、島田幸安らの異境見聞録から、いろんな学びが得られます。
やってはいけないことが明瞭にもなります。

それと、やはり霊は存在すること。
異次元は存在する。

これはパーリ仏典に伝えられていることと完全に一致します。
ええ。
まったく同じ。

日本の仏教では、霊の存在や霊界を否定します。
輪廻転生も否定します。

こういう姿勢がトンデモであり、
死後、迷える存在にしてしまうのでしょう。
 

いやはや。
ものすごい情報だと思います。

江戸時代の「あの世」文献には疑問なところもありますが、
仏教について考えさせられる情報もあって、
ここから読み取れることは貴重なものがあったりします。