教え・道徳は潜在意識・エネルギー意識を言語化したもの

潜在意識とはエネルギー意識

潜在意識とは、つまりエネルギー意識になりますが、潜在意識に無頓着であったり、気づいていない人が、意外と多かったりします。ええ。

潜在意識は「無意識」のことですね。原始仏教では「行(サンカーラ)」といっています。唯識仏教では「末那識(まなしき)」といっている意識です。

潜在意識は「繊細意識」でもあったりもします。微細な意識です。

で、「善い意識(これを徳といいます)」「悪い意識(不徳)」があります。人間の意識の本質、それが潜在意識ですね。

潜在意識を感じることは大切~空気を読む能力やモラル意識とも関わる

人は潜在意識を把握しないまま生きていることが多かったりもします。欧米人やインド人に、この傾向が高かったりします。

なので結果的に自己中になったり、エゴ的になってしまうことが多くなりがちなんですね。これはアーリア系人種の特徴なのかもしれません。

ところが日本人は、比較的多く、潜在意識を感じながら生活を過ごしています。それは「空気を読む力」となって出てきます。

実のところ「空気が読める」能力は潜在意識を感じる能力のことだったりします。

日本人には、この傾向が高い。なのでモラルを守ることも多いんですね。モラル意識も潜在意識を感じられることと関係があります。こうした点は欧米人やインド人と異なる特徴です。

もちろん日本人でも、そうではない人もいます。で、中には地雷源(悪徳)に突入している人もいます。こういうのは危ない。

潜在意識こそ、徳の意識であり、叡智の源泉であり、生きる要でもあったりします。空気を読む能力、モラル意識は潜在意識にあります。

なので潜在意識を感じることは大事なことなんですね。無頓着であると、実生活上でも問題を引き起こしがちです。

このことはどこかでレクチャーとかしたほうがいいじゃないだろうかと思うくらいです。

テーラワーダ仏教のヴィパッサナ瞑想とは潜在意識に向き合うプロセス

で、テーラワーダ仏教におけるヴィパッサナ瞑想のプロセスとは、まさに潜在意識を深く見つめ、掘り下げていくことだったりします。潜在意識を深く見つめていく中で、智慧が開発され、深まってまいります。

なので最初の「名色分離智」に啓かれると、空気が読めるようになったり、自分を客観的に観ることができるようになるわけですね。それまで自分が、心や対象に巻き込まれていたことがわかるようになります。

って、今、ここで書いていることが「どういうこと?」といった具合に、ピンと来ないならば、潜在意識が感じられていないんですね。

潜在意識を見つめていくことは大事なことだったりします。「名色分離智」に開かれてしばらくすると、高揚感や喜悦感が生じてきます。

で、さらに深めていくと、潜在意識のより深い領域に進み、無意識によこたわるダークサイドの領域に入ります。

ここが辛抱する領域。天啓気療などのヒーリングや自己浄化が大事だなあと実感する段階です。

で、ここを突き抜けていくと最終的には「悟り」が起きるようになっています。ヴィパッサナ瞑想のプロセスとは、潜在意識への深まりのプロセスという見方もできるほどです。

潜在意識を感じるためには教え・道徳から入るやり方もある

ちなみに潜在意識のことを把握するためには、安岡正篤氏、中村天風氏といった方々の著書を読む方法もあります。

いわゆる「教え」「道徳」といったものです。

中国系の古典もいいのですが、ややもすると大雑把で、差別的なニュアンスがあったり、攻撃的であったりして封建的ですので、今の時代には不適切です。

けれども役立つ教えがあることは事実なんですね。興味のある方は、たとえば「菜根譚(さいこんたん)」などをお読みになるといいかもしれません。

教え・道徳は公案・ギャナ・ヨーガ(智慧のヨーガ)になる

昔は、こうした「教え」「道徳」「訓戒」と、ガチに向き合って、じっくりと読み続けたものです。

で、相矛盾する教えに悩んだり、どれを取り入れれば良いのか迷ったものです。

知恵熱が出て、頭がチンチンになってウンウン唸ってみたり。一日中、その意味を考え続けたり。

しかし、その悩みや迷いが修行になるんですね。一種の「公案」です。「ギャナ・ヨーガ(智慧のヨーガ)」です。頭脳をフル回転させて智慧を磨いていくんです。

で、迷い苦しみながら考え続けていると、閃きが走って、「ああ!そうだったんだ!」と腑に落ちる瞬間がやってきます。理解もさることながら、身体感覚に響いたり染み落ちる感覚です。で、「ぱー」っと開ける感じを受けます。

この「ああ!」という「体感」が大事でして、こうしたプチ悟りみたいなことを、数多く体感することで、智慧(この智慧とは宇宙的な知性のこと)が磨かれるようになります。

教え・道徳は潜在意識・エネルギーを言語化したもの

そう、「教え」「道徳」は、エネルギーの世界における動きや現象を、言語化したものなんですね。

エネルギーの世界のことが感知できない人であっても、言葉を通してわかりやすく理解でき、適切なガイドになるのが、「教え」「道徳」の本質です。

上辺の「言葉」の意味で解釈してはならんのですね。「言葉」の向こうにある「何か」を感じとりながら読み理解していくことが大切です。これが大切。要諦。

「教え」「道徳」は、実際の生活にも役立ちます。一石二鳥です。

潜在意識レベルの世界、エネルギーを感覚的につかむためには、こうした「教え」「道徳」「訓戒」から入る方法もあります。

まさに知性から叡智、智慧へと開眼していく方法だったりします。「ギャナ・ヨーガ(智慧のヨーガ)」ですね。こうしたアプローチも勧めだったりします。

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