生まれ変わりの意識を持った子ども時代と宇宙人への憧憬

幼少期の記憶が無いという方がいるようですね。私は、幼少期の記憶は、わりとあって、中でも忘れることができない思い出があります。

幼少の頃、物心がつくか付かないかの頃、「自分はここにいる」というのを感じていたものです。「自分は(今は)ここにいる(生まれてきた)」という感じです。

これは、つまり「前世や別の世界があって、今は生まれ変わってここにいる」ということですね。こうした感じが幼少の頃からあったものです。

当時は、こうしたことを言語化できなかったものです。が、漠然と、前世や異界が実在していることを感じていたものでした。これは感覚の問題なので、合理的に説明ができるものではないんですね。

で、こうした感覚は要するに「輪廻転生」という言葉に集約されてもきます。で、私には、漠然とした感じで、生まれ変わりの感覚が、ずっと意識の根底にあったものです。
 

ですので、前世とか来世、あるいは天界とか餓鬼界といった異界が実在することは、「当たり前」の感覚だったりします。現在でもそうです。こればっかりは昔から決して変わりません。

なので、こういう動画を見ても「当たり前」のようにスンナリと入ってくるんですね^^;

お腹の中にいた時の記憶(2)

 

生まれ変わりだけでなく、宇宙人関連の話しもそうです。宇宙人の話の中には、眉唾なものもありますが、やはりリアルな話しもあるんですね。

信頼できる情報としては
・秋山眞人さん
・保江邦夫さん
・スティーブン・グリア

他にもありますが、この3名がもたらす情報は信頼できると思っています。軽いスピリチュアルなものは私は一切信用していません^^;

で、宇宙人関連の話し。
幼少の頃に故郷を懐かしんで夜空に向かって「おかあさーん」と、呼んでいた方もいます。星空の向こうに生まれ故郷があることを感じて、母親を呼んでいたといいます。で、この方は何度もUFOを見ています。

こうした方の話しや友好的な宇宙人と遭遇した方の話しは、これまた当たり前のように、スンナリと受け入れることもできてしまいます。

といいますか、この手の宇宙人話しも、ものすごく共鳴できますし、理解もできます。まさに「当たり前過ぎる」感覚があります。
 

けれども宇宙人の話は、大概、信じてもらえず、妄想の類に思われてしまいますね^^;笑い話にもなるくらいです(笑)

が、中にはリアルな話しもあるんですね。文化人類学を研究しているアメリカのモンタナ州立大学のアーディ・S・クラーク元教授は、本当の体験談話を真面目に取り上げて、著書にもしているくらいです。

 

宇宙人も天界の天人と同じような存在です。なので天界や餓鬼界という異次元の世界にリアリティを感じられる人は、宇宙人の存在にも何ら抵抗なく受け入れることができると思います。

で、宇宙人の話も輪廻転生も、自分の中では一緒になっています。で、もしかすると、こうした目に見えない世界にリアリティを感じることができるのは、精妙な感性と関係があるんじゃないだろうかと思うところがあります。

で、精妙な感性があるからこそ、気やプラーナ、チャクラといったこれまた精妙で目には見えないエネルギーが活性するといったことが起きるのではないかとも思っています。

こうしたことは体質もさることながら、このような超越的なことが、なんとなくわかるといった感性と関係があるかのかもしれませんね。
 

それにしても「輪廻転生」は、自分の中では重要なキーワードです。実際、初めて「輪廻転生」の思想を知った時、落雷にあったような衝撃に襲われたものでした。いえ、本当にパーンと雷に打たれて電撃が走りましてね。
マジです^^

で、「この輪廻転生から解脱することが、この世に生まれてきた理由なんだ」ということを豁然と自覚しましてね。で、その後、本当にこれ一筋で歩むようになったものです。

人によっては、「ボクは将来、◎◎になる」と、小さい頃に自覚する人もいます。私の場合は、それが「解脱」だった。

「輪廻転生」は、自分の中では、もう幼少の頃からの「実在的感覚」でしたので、当たり前過ぎるくらいに当たり前な事実だったりします。否定しようがない。ええ。

後に仏教を知るようになりますが、仏典に出てくる輪廻転生、天界や餓鬼界、地獄界というのは、当たり前過ぎる位に納得したものでした。

今でもそうですが、行動や考えの根底には常に「輪廻転生」を意識したものがありします。無意識の中にあります。輪廻転生、天界、気といったものは無視できない存在です。それくらい根強く存在しています。


 

今現在も、自分の原点を思い返せば、この辺りにたどり着きます。こうしたことは「三つ子の魂」云々、、、といわれたりもしますが、先天的な顕著な傾向を、仏教では「異熟(いじゅく)」と呼んでいます。

「異熟(いじゅく)」とは、その人の「核(コア)」となる傾向です。考え方、資質、嗜好、個性等々、そういったものを特徴付ける「核」が「異熟」です。

「輪廻からの解脱」は私の異熟です。輪廻転生の思想を知ったときに、落雷にあって電撃が走り、それ以降、ずっとこれに向かって歩み続けてきています。

このモチベーションだけは決して衰えることがありません。風変わりで世間の常識とは一線を画しますが^^;これが天命なんじゃないかとも思っています。

最近は、素直にこれを認めるようになっています。で、この路線で進んで行こうと、ごく最近、思うようになってきています。

私は、過去世から連綿と、これを追い続けてきて来ているんじゃないかと思います。で、過去世においても見性を体験していた。おそらく。

でなければ現世において、誰からも教わること無く、悟りの要諦に自分で気づき、実践し、一瞥体験見性するということは起きにくいのではないかと思います。口幅ったい言い方ですが、そうとしか思えないところがあります。他にも理由はあるんですけどね。でも、それは割愛します。
 

と、ちょっと今日はやや書きすぎた感もありますが、人生ウン十年生きてきて、自分の半生を振り返りますと、やっぱり、このように思ってしまいます。これが公正な見解です。ええ。

そういえばボサノバも幼少の頃から好きなんですね。もう、こうした嗜好も「異熟」なのでしょうが、ボサノバ好きも一生変わらない感じですね^^;

若い頃は、激しいことやガムシャラなことをし続けていましたが、ま、人生、お気楽なのが一番だと思いますね^^;今は、そう思います。

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