江戸時代は「あの世(死後の世界)」訪問談が続々登場した時代~仙道寅吉・島田幸安・宮地水位ほか

嶋田幸安の「神界物語(幽界物語)」の「幽界真説」。
友清歓真全集(第4巻)に収録されていますが、
藤原阿伎良(ふじわら-あきら)が神界物語20巻を
妙出(ダイジェスト)とも言われています。

どこまで神界物語20巻の内容に忠実なのか、
それの検証できませんが、おおむね信じてもよいのかもしれません。

それにしてもすごい話しですよね。
こちらにも書きました。

日本人は死後、神さまになる:人は亡くなったらどうなるのか?~島田幸安の幽界真説(幽界物語)【その1】

島田幸安の幽界物語(神界物語)【その2】~神さま(天人)となった先祖は仏教の供養を嫌う


https://www.yurubossa.com/genshisintou/

「幽界真説」は、霊学の世界に久しぶりに立ち戻ったところ、
今年の1月に入って、たまたま見つけた文献です。

超インパクトのある資料です。
で、こうした資料なり文献は、「本当なの?」と思いますよね。
私も、この点はちゃんと精査しているつもりです。

とはいっても精査できませんので、当時の時代背景などを踏まえて、
真実か否かを検証しています。

幕末に「あの世」を見てきたという異境見聞録が多く登場している

そもそも今から灼く200年前~150年前の幕末。
どういうわけか、異境(あの世)に関する体験記や神様を掲げた宗教が
一気に登場しているんですね。
ざっとあげてみますと、

・文化8年(1811年)/仙道寅吉(仙人に連れられてあの世を見てきた)
・文化11年(1814年)/黒住宗忠(黒住教を設立)
・天保9年(1838年)/中山みき(天理教を設立)
・嘉永4年(1852年)/島田幸安(仙人に連れられてあの世を見てきた)
・安政6年(1859年)/赤沢文治(金光教を設立)
・文久元年(1862年)/宮地水位(仙人に連れられてあの世を見てきた)
・慶応2年(1867年)/澤井才亮(秋葉天狗に連れられてあの世を見てきた) 

ご覧の通りです。
50年くらいの間に、「あの世」「神様」ラッシュといっていいほど、
幽冥界に関する動きが活発になっています。

仙道寅吉の「仙境異聞」~最も有名な幽冥界情報

有名なのは仙道寅吉(高山寅吉)の「仙境異聞」。

仙境異聞は、最も有名な幽冥界情報でしょう。
しかし、仙道寅吉は性格があまりよろしくない印象を受けます。
そもそも、幽冥界を訪れた先も山人界(天狗界)です。
こうした世界を探訪することから、
霊性や性格の次元が、この境涯なのかもしれません。

宮地水位「異境備忘録」

で、幕末には、もう一つ、有名な異界見聞録があります。
それが宮地水位の「異境備忘録」。

宮地水位は高知県の神主。
で、異境備忘録は、率直なところ疑問があります。
平田篤胤ら国学者が最高神霊界にいます。
あと空海をはじめ仏教徒が浮かばれていないとかともあります。

どうも、神道ひいきなところを感じさせましょうか。
そもそも国学は、仏教を目の敵にして批判攻撃をしていましたからね。
そういう仏教憎しの文脈があるんじゃないかと思うところもあります。

宮地水位の話しの通りなのかもしれませんが、どうもひっかかる気がいたします。
希望や夢も含まれているんじゃないかなという感じもしましょうか。
真実と妄想が入り乱れている感も受け、よくわかりません。
玄学ゆえに、あまり不用意なことは言えませんが。

ただ、空海をはじめ、一休宗純、法然ら名だたる開祖級の仏教者が、
天狗界に陥っているというのは、仙道寅吉や島田幸安らの指摘とも一致しています。

私には判断しかねるところがありますが、
ただ仏教徒が天狗界で仏魔となっているという指摘はうなずける点があります。

島田幸安の「神界物語」

で、仙道寅吉と宮地水位の2つは、わりとメジャーです。

しかし、あまり知られていない「あの世」見聞録に、
島田幸安の「神界物語(幽界物語)」というのがあるわけですね。
で、ここに含まれている「幽界真説」をブログに掲載しました。

◎日本人は死後、神さまになる:人は亡くなったらどうなるのか?
◎神さま(天人)となった先祖は仏教の供養を嫌う
◎原始神道は日本人の高い霊性に根ざす有り様

神界物語(幽界物語)も江戸時代末期の文献です。
で、この文献のうち第20巻を妙出した「幽界真説」が、
死後のことについて興味深いことを著しているんですね。

ま、端的にいえば、亡くなった後、多くの人は「神さま」になるってことです。
で、楽しいあの世ライフを過ごして、元の家の守護神となって、
子孫繁栄を見守るということですね。

で、島田幸安は性格がいいんですね。
信頼できる方です。
親孝行で、心やさしく、真面目な性格だったといいます。
しかも17才。
こうした青年がウソを付くとは考えにくい。

で、内容も自然と腑に落ちます。
なによりも、読んでいて感じがいい。
どこか爽やか。
境涯が高そう。

何故、江戸時代の幽冥界文献を引用するのか?

ところで、島田幸安の「幽界真説」もそうですが、
何故、江戸時代の文献を引用するかといえば、
昔は封建時代でしたので、資料への信頼性が高そう
というのがあるからなんです。

どういうことかといえば、当時はおかしなことや妄想、デタラメなど
不用意なことを言えば、生きていくことが困難になる時代だったからですね。

村八分にされたり、風狂の者とレッテルを貼られたりして、
生きるのが困難になりがちです。

今の時代のように、ブログで、あーちゃらと好き勝手に発言できる時代
じゃなかったわけですね。
って、私も好きなことを書いていますが^^;

江戸時代では、おかしなことは言えない、言いにくいわけですね。
まして文字化されて文書になると、いろいろと面倒なことも起きる時代です。

で、そんな時代に、幽冥界のことを言って文書に残すのは、
相当な覚悟や自信、確信が無ければできないと思うわけです。
ある意味、命をかけた発言になります。
 

殊に、島田奉安のように、親孝行で、心やさしく、真面目な17才の青年が、
作り話やウソっぱちを垂れ流して、しかも筆記して残しますか?
考えにくいですね。

よほどの確信やら真実性がない限り、
当時は、文書にしたためて残すことは考えにくい。
しかもオカルトの類と誤解される確率の高い文書です。
相当な覚悟と自信ですよ。

で、当時の社会背景とか当時の事情を踏まえると、
幕末の資料は信用できるんじゃないかと思うわけです。

それで、この時代の文献も読みますし、参考にもし引用もするんですね。

仏教を敵視していた国学の影響を受けている可能性がある

ただし幕末は、本居宣長や平田篤胤らによる国学が盛んになり、
大和心が重視し、漢心(からごころ)を排除する、
いわば国粋主義が勃興した時期でもあります。

国学では、仏教も外来の思想であることと、権力にあやかってあぐらをかいていることから
徹底的に敵視し、排除するといった論調がみられます。
当時の世間の風潮も、仏教叩きがあったくらいで、
国学は江戸末期の主流の思想でもあったりします。

こうした時代の流れや背景があった可能性もあり得ます。
幕末に「あの世」へ行って見てきたという仙道寅吉や宮地水位、島田幸安らの見聞録も、
当時の国学の影響を受けている可能性もあります。

また当時の「仏教憎し」「大和心を大切にしよう」といった潜在意識が生み出した
意識エネルギーがビジュアル化になったものを見聞したのかもしれません。
 
しかしながら、一休宗純や法然といった開祖レベルの仏教者をはじめ
仏教徒が天狗界で仏魔となって苦しんでいるという指摘は首肯できます。

日本の仏教は、そもそもインドで主流だった大乗仏教とも異なります。

本当の仏教の歴史~パーリ仏典は本当に正しいのか?仏教史の真実と誤解、日本仏教再生への提言


亜流の経典に基づく歪んだ仏教だったりします。
しかも観念色の強い思考型の教え。
無我にしても、苦にしても、すべて観念で受け止めがち。
しかもブッダが説いたダンマも伝承されれいません。
すべて頭デッカチな恐ろしいほどの観念宗教。
天然自然の理から外れ、何事も観念で理解しがちな宗教。

これじゃあ命から切り離され、天然自然な知性や感性も起動せず、
何事も「教え」「観念」のみで動いてしまうお化け人間になってしまいます。
魔人になるのも当然です。

「仏教徒は天狗界の仏魔となって苦しんでいる」と指摘する
仙道寅吉、宮地水位、島田幸安らの見聞録は、ごもっともと思えるところがあります。
しかも三人とも、空海をはじめ、一休宗純、法然ら名だたる開祖級の仏教者は、
天狗界に陥っていると指摘しています。

その後、明治維新になってから、仏教は大弾圧を受けます。
神仏分離令、廃仏毀釈。
その後、戦後は坂道を転がるように衰退の一途をたどり、
いまや寺院消滅とさえ言われています。

仏教を敵視していた国学の影響を受けている可能性もあるとはいえ、
仙道寅吉、宮地水位、島田幸安らの指摘は否定できないものも感じさせます。

いつの時代でも「あの世」見聞録は登場する

そういうわけでして幕末には「あの世」へ行って見てきたという見聞録が一気に登場します。

こうした動きは昭和の時代にも出てきていますね。
現代では、さしずめ、ヘミシンクのロバート・モンローですね。
しかし、そのロバート・モンローですら、叩かれたり批判を受けています。

異界訪問ではありませんが、昭和の頃の超能力者ユリ・ゲラーもそうです。
秋山眞人さんもそうですからね。

とにかく、奇抜、奇妙なものは、好奇の対象になりやすい一方で、
叩かれやすい性質があります。

これは現代でもそうです。
昔だって同じでしょうね。

しかし、真実の香りがあります。
実際、真実の情報もありますね。
今の時代にもあります。

ただ江戸時代に登場した異界の文献には一目置く理由は、
上記の時代背景を思うからなんですね。

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