あの世は本当にあった~江戸幕末は死後の世界を見てきた報告が相次ぐ

あの世は本当にあった

江戸時代の末には「あの世」へ行って見てきた人達が多く出てきます。「あの世(死後の世界)」のことを伝えています。

で、幕末に伝えられてた「あの世」情報が、何故か一致しているという不思議な現象もあったりもします。

幕末に「あの世」を見てきた異境見聞録が登場

そもそも今から灼く200年前~150年前の幕末。どういうわけか、異境(あの世)に関する体験記や神様を掲げた宗教が一気に登場しているんですね。ざっとあげてみますと、

  • 文化8年(1811年)/仙道寅吉(仙人に連れられてあの世を見てきた)
  • 文化11年(1814年)/黒住宗忠(黒住教を設立)
  • 天保9年(1838年)/中山みき(天理教を設立)
  • 嘉永4年(1852年)/島田幸安(仙人に連れられてあの世を見てきた)
  • 安政6年(1859年)/赤沢文治(金光教を設立)
  • 文久元年(1862年)/宮地水位(仙人に連れられてあの世を見てきた)
  • 慶応2年(1867年)/澤井才亮(秋葉天狗に連れられてあの世を見てきた) 

ご覧の通りです。50年くらいの間に、「あの世」「神様」ラッシュといっていいほど、幽冥界に関する動きが活発になっています。

仙道寅吉「仙境異聞」

有名なのは仙道寅吉(高山寅吉)「仙境異聞」

仙境異聞は、最も有名な幽冥界情報でしょう。しかし仙道寅吉は性格があまりよろしくない印象。

そもそも幽冥界を訪れた先も山人界(天狗界)。こうした世界を探訪することから、霊性や性格の次元が、この境涯なのかもしれません。

宮地水位「異境備忘録」

で、幕末には、もう一つ有名な異界見聞録があります。それが宮地水位の「異境備忘録」。

宮地水位は高知県の神主。が、異境備忘録は率直なところ疑問があります。

平田篤胤ら国学者が最高神霊界にいます。あと空海をはじめ仏教徒が浮かばれていないと。

どうも、神道ひいきなところがありそうです。

そもそも国学は、仏教を目の敵にして批判攻撃をしていましたからね。

仏教憎しの文脈があるんじゃないかと思うところもあります。

宮地水位の話しの通りなのかもしれませんが、どうもひっかかる気がいたします。

仏教を貶めたいという意図や妄想も含まれているんじゃないかなという感じもします。真実と妄想が入り乱れている感も受けます。

率直なところよくわかりません。玄学ゆえに、あまり不用意なことは言えませんが。

ただ、空海をはじめ、一休宗純、法然ら名だたる開祖級の仏教者が、天狗界に陥っているというのは、仙道寅吉や島田幸安らの指摘とも一致しています。

私には判断しかねるところがありますが、ただ仏教徒が天狗界で仏魔となっているという指摘はうなずける点があります。

島田幸安「神界物語」

で、仙道寅吉と宮地水位の2つはメジャーです。

あまり知られていない「あの世」見聞録に、島田幸安の「神界物語(幽界物語)」があります。ここにある「幽界真説」をブログに掲載しました。
島田幸安の幽界真説(幽界物語)
島田幸安/神さま(天人)となった先祖は仏教の供養を嫌う
日本人の生まれ変わりは神(天人)が多い

神界物語(幽界物語)も江戸時代末期の文献です。この文献のうち第20巻を妙出した「幽界真説」が、死後のことについて興味深いことを著しています。

「幽界真説」は友清歓真全集(第4巻)に収録。藤原阿伎良(ふじわら-あきら)が神界物語20巻を妙出(ダイジェスト)したとか。

妙出ですので、どこまで神界物語20巻の内容に忠実なのか、それの検証できませんが、おおむね信じてもよいのかもしれません。

「幽界真説」は、端的にいえば、亡くなった後、多くの人は「神さま」になるってことです。

で、楽しい「あの世ライフ」を過ごして、元の家の守護神となって、子孫繁栄を見守るということですね。

で、島田幸安は性格がいいんですね。信頼できそうな方です。親孝行で、心やさしく、真面目な性格だったといいます。しかも17才。こうした青年がウソを付くとは考えにくい。

で、内容も自然と腑に落ちます。なによりも、読んでいて感じがいい。どこか爽やか。境涯が高そう。

江戸時代の幽冥界文献は信憑性がありそう

ところで、島田幸安の「幽界真説」もそうですが、何故、江戸時代の文献を引用するかといえば、昔は封建時代でしたので、資料への信頼性が高そうというのがあるからなんです。

どういうことかといえば、当時はおかしなことや妄想、デタラメなどを不用意に言えば、生きていくことが困難になる時代だったからですね。

村八分にされたり、風狂の者とレッテルを貼りされて、生きるのが困難になりがちです。

今の時代のように、ブログで、あーちゃらと好き勝手に発言できる時代じゃなかったわけですね。って、私も好きなことを書いていますが^^;

江戸時代では、おかしなことは言えない、言いにくいわけですね。まして文字化されて文書になると、いろいろと面倒なことも起きる時代です。

で、そんな時代に、幽冥界のことを言って文書に残すのは、相当な覚悟や自信、確信が無ければできないと思うわけです。ある意味、命をかけた発言になります。

殊に、島田奉安のように、親孝行で、心やさしく、真面目な17才の青年が、作り話やウソっぱちを垂れ流して、しかも筆記して残しますか?考えにくいですね。

よほどの確信やら真実性がない限り、当時は、文書にしたためて残すことは考えにくい。

しかもオカルトの類と誤解される確率の高い文書。相当な覚悟と自信ですよ。

で、当時の社会背景とか当時の事情を踏まえると、幕末の資料は信用できるんじゃないかと思うわけです。

それで、この時代の文献も読みますし、参考にもし引用もするんですね。

仏教を敵視した国学の影響を受けている可能性

ただし幕末は、本居宣長や平田篤胤らによる国学が盛んになり、大和心が重視し、漢心(からごころ)を排除する国粋主義が勃興した時期でもあります。

国学では、仏教も外来の思想であることと、権力にあやかってあぐらをかいていることから徹底的に敵視し、排除するといった論調がみられます。

当時の世間の風潮も仏教叩きがあったくらいで、国学は江戸末期の主流の思想でもあったりします。

こうした時代の流れや背景があった可能性もあり得ます。幕末に「あの世」へ行って見てきたという仙道寅吉や宮地水位、島田幸安らの見聞録も、当時の国学の影響を受けている可能性もあります。

また当時の「仏教憎し」「大和心を大切にしよう」といった潜在意識が生み出した意識エネルギーがビジュアル化になったものを見聞したのかもしれません。

しかしながら、一休宗純や法然といった開祖レベルの仏教者をはじめ仏教徒が天狗界で仏魔となって苦しんでいるという指摘は首肯できます。

日本の仏教は、そもそもインドで主流だった大乗仏教とも異なります。⇒本当の仏教の歴史

日本の仏教は、インドでも亜流の経典に基づく歪んだ仏教だったりします。

しかも観念色の強い思考型の教え。無我にしても、苦にしても、すべて観念で受け止めがち。しかもブッダが説いたダンマも伝承されれいません。

すべて頭デッカチな恐ろしいほどの観念宗教。天然自然の理から外れ、何事も観念で理解しがちな宗教。

これじゃあ命から切り離され、天然自然な知性や感性も起動せず、何事も「教え」「観念」のみで動いてしまうお化け人間になってしまいます。魔人になるのも当然です。

「仏教徒は天狗界の仏魔となって苦しんでいる」と指摘する仙道寅吉、宮地水位、島田幸安らの見聞録は、ごもっともと思えるところがあります。

しかも三人とも、空海をはじめ、一休宗純、法然ら名だたる開祖級の仏教者は、天狗界に陥っていると指摘しています。

その後、明治維新になってから、仏教は大弾圧を受けます。神仏分離令、廃仏毀釈。戦後は坂道を転がるように衰退の一途をたどり、いまや寺院消滅とさえ言われています。

仏教を敵視していた国学の影響を受けている可能性もあるとはいえ、仙道寅吉、宮地水位、島田幸安らの指摘は否定できないものも感じさせます。

いつの時代でも「あの世」見聞録が登場

そういうわけでして幕末には「あの世」へ行って見てきたという見聞録が一気に登場します。

こうした動きは昭和の時代にも出てきていますね。現代では、さしずめヘミシンクのロバート・モンローですね。しかし、そのロバート・モンローですら、叩かれたり批判を受けています。

異界訪問ではありませんが、昭和の頃の超能力者ユリ・ゲラーもそうです。秋山眞人さんもそうですからね。

とにかく、奇抜、奇妙なものは、好奇の対象になりやすい一方で叩かれやすい性質があります。

これは現代でもそうです。昔だって同じでしょうね。

しかし、真実の香りがあります。実際、真実の情報もありますね。今の時代にもあります。

ただ江戸時代に登場した異界の文献には一目置く理由は、上記の時代背景を思うからなんですね。

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