スピリチュアリズムとは霊性に目覚め開かれること~お釈迦さまもスピリチュアリストだった

ドーリン・バーチューが、自らが言っていたスピリチュアルを、
2017年に全否定していたということ。

正直なところショッキングでしたね。

しかしながら、ドーリン・バーチューが言っていたスピリチュアルは、
本来のスピリチュアルではないですね。

すごくポップで、軽い、いわゆる「スピリチュアル」ですね^^;
決して見下すわけではありませんが、本質は「オカルト」です。
この手のオカルトはリスクもありますね。

結局、この前も紹介した「迷える霊との対話」のように、
取り憑かれる、憑依される類のスピリチュアルです。

つまり、本当の自分、真我、大霊、命、サムシンググレート、絶対善、絶対徳、
大いなる存在、いろんな言い方がありますが、
こうした根源的な源に顕現することなく、アストラル界のみと交流する性質ですね。

で、これを「オカルト」といっています。
アストラル界、殊に、低い次元のアストラル界とリンクするスピリチュアルです。

ドーリン・バーチューのスピリチュアルは、言葉では綺麗なことを言っていても、
どうも本質は、オカルトとしてのスピリチュアルっぽいですね。

で、そもそも「スピリチュアル」「スピリチュアリズム」とは、
高次元(高級霊、高次元霊界)よりもたらされる人類にへのメッセージであって、
これを広めていく霊的運動であるといいます。

で、スピリチュアリズムは、高次元霊界で計画された運動であるといいます。
発端は1848年。
アメリカで起きたポルターガイスト事件であるといいます。

このポルターガイスト事件では、霊との交信が行われ、
その様子が、世界初、第三者でも確認できるようになったといいます。
この騒動をきっかけにスピリチュアリズムが勃興したといわれています。

このことはモーゼスの指導霊だったインペレーターも、
スピリチュアリズムの起源が1848年の騒動であったと言っています。
霊界での計画だったといいます。

スピリチュアリズムは、人類にとっては、高次元霊界からのメッセージであり、
また霊界にとっては、迷える霊の霊的解放運動であるといいます。

1848年以降、霊界の様子も変容・変貌を遂げるようになり、
地球重力圏に縛られている霊的存在と地上の人間を解放し、
宇宙性に目覚めさせる動きになってきているといいます。

この「宇宙性」、つまり、本当の自分、真我、大霊、命、サムシンググレート、
絶対善、絶対徳、大いなる存在など、
様々な言われ方をしている生命の根源に目覚めさせることこそが、
スピリチュアリズムの原義ということですね。

スピリチュアリズムは、魂の成長が核にあります。
ともすると、心霊現象や不思議な現象に関心が行きがちなのですが、
これらは「おまけ」であり、副産物であり、核になるものではありませんね。

その点、ドーリン・バーチューのスピリチュアルは、
こうした「不思議大好き」を助長し、満足させ、
上の空状態にしてしまう傾向がある気がしますね。

スピリチュアルは敷居が低く、またおしゃれ感もあったりして、
誰でも馴染みやすいところはあります。
しかしポップな類の、浅薄で低い境涯ではなく、
本来のスピリチュアリズムとしての有り様が大事ですね。

で、実はお釈迦さまもスピリチュアリストでした。
ええ。

このことは日本の仏教では認識されていません。

しかしお釈迦さまは、生粋のスピリチュアリストであり、
スピリチュアリズムに生きた方だったんですね。

このことは、もっとも古い経典であるパーリ仏典を読めばわかります。
随所に霊界とのコンタクトの様子が描かれています。

お釈迦さまの周囲には、常に最高神霊である梵天が付き添い、
高級神霊が巨大な群団をなして付き従っていたほどです。
常に。

お釈迦さまにお会いするために、何千、何万の神霊が
順番待ちしていたことも、確か伝承されています。

そう、お釈迦さまは生粋のスピリチュアリストだった。
時に梵天、神霊からのメッセージを語るときもあったものです。
チャネリングもされていたわけですね。

で、お釈迦さまは、「善」という表現を取りながら、
本当の自分、真我、大霊、命、サムシンググレート、
大いなる存在を踏まえた悟りの道を提唱されていたんですね。

善とは、観念的な善ではないんです。
教条的な善でもないんです。
実に、命に直結した宇宙性の善感覚なんです。

また禅のように、いきなり思考を遮断してしまうのではないんですね。
生命の根源に立ち返るアプローチを取りながら悟る歩みです。

禅とは、違います。
禅には、霊性がありません。
外道であり、魔人の道です。

まずは「生命」「徳」「大霊」に開かれること。
これこそが「霊性」です。

霊性には、宇宙善、絶対善といってよい感覚があります。
まずは、この感覚に開かれること。
つまり霊性に開かれることですね。

霊性に開かれれば、命のあたたかさ、ぬくもり、やさしさ、ハート、
絶対善、異次元への感覚などが必ず開けます。

また異次元、つまり霊界・「あの世」の存在を感じ、認識するようになります。
ご神霊とともに生きる歩みになります。

人間界でも「あの世」でも大事な「霊性をベースにして生きていくこと。
そして、まずは霊性に開かれること。

お釈迦さまは、霊性にもとづいた悟りの道を提唱されていたという事実。
このことを述べている日本の仏教はありません。
残念ながらない。

ミャンマーのテーラワーダ仏教にはあります。
ここには豊かな霊性があります。
日本の仏教がお手本にするのは、参考にするのは、
実に、ミャンマーのテーラワーダ仏教です。
豊かな霊性に根ざした本来の仏教。

霊性。
とても大事な感覚です。
で、霊性こそ、スピリチュアル本来のことですし、
スピリチュアリズムの原義でもあったりもします。

霊性に開けること。
霊性に根ざした生き方をすること。
これが大事なんですね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です