原始仏教講座を始めるきっかけとなった話し

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原始仏教講座

原始仏教講座を1年通して行っていますが、そもそものきっかけは昨年、知人にお話ししたことがきっかけになっています。

昨年の今頃ですが、知り合いに原始仏教のお話しをしましてね。ここ10年くらい公民館でお話ししていたことに、新しいことを付け加えた内容でした。どういったことかといえば、次のような内容です。

◆原始仏典について

  • 原始仏典には、阿含経とパーリ仏典があること。
  • 阿含経は複数の部派の寄せ集め。中国で翻訳しまとめたお経。
  • パーリ仏典は分別説部所蔵の三蔵。整合性が取れている。

◆仏教教団の分裂について

  • 上座部はブッダの文化遺産的部派。
  • ブッダ在世当時のものを伝承しようとしていた。原理主義。
  • 根本二大分裂。上座部と大衆部の本当の姿。
  • 大衆部は時代に適合しようとした柔軟かつ現実的な部派。
  • 大衆部は支持者がもっとも多かった。
  • だから大勢という意味の大衆部と名乗っていた。
  • 大衆部には、大乗仏教で強調された教えの萌芽があった。

◆ブッダ在世時代は大乗的でもあった

  • 比丘は托鉢先でダンマや幸せになる法を説いていた。菩薩的。
  • 在家の中には出家比丘に訓示を述べる者もいた(チッタ居士)
  • 在家の中にも悟った人がたくさんいた。
  • 疫病で亡くなったナーディカ村の在家のうち、 預流果500人、一来果90人、不還果50人だったほど。
  • 悟ることに関しては出家も在家もそんなに違いは無かった。
  • ブッダは腰痛・頭痛持ちで、胃腸が弱かった。
  • ブッダは完璧な人間のスーパーマンではない。

◆インド仏教史の真実

  • 仏教が滅びる直前まで部派仏教(原始仏教)が主流だった。
  • 大乗仏教と呼べるのは中観派と唯識派の2つだけ。
  • 日本で馴染みの大乗仏教は、大乗仏教ではない。仏教もどき。
  • 部派仏教も大乗仏教も「四聖諦」を実習し戒律を守っていた。
  • 大乗仏教は、菩薩の誓願を立て、大乗経典を依経としていた。
  • 部派仏教も大乗仏教もほとんど違いがなかった。

◆「四聖諦」は仏教のキモ

  • 中部経典28象跡喩大経。四聖諦は象の足跡のように全てのダンマ(仏法)が集約。

四聖諦
苦諦・・・苦・無常・無我(同じことを別の面から言っている)
集諦・・・縁起のこと(生じては滅するという現象のこと)
滅諦・・・涅槃
道諦・・・八正道(正見が重要。正見を実現するために残りの七支が付け加えられた)

◆まとめ

  • 仏教のキモ中のキモは「正見」。
  • 四聖諦とは「正見」
  • 「正見」は「如実知見」ともいう。
  • 「正見」とは、あるがまま。そのまんま。只管打坐。
  • 「あるがまま」はテーラワーダでも禅でも言われている要諦。

◆番外編

  • インドでは大乗仏教としても省みられなかった法華信仰、阿弥陀信仰が、日本の仏教では盛んになる。
  • また密教なども幅を利かせるよになった。
  • 日本の仏教はガラパゴス仏教。
  • このため本当の仏教(あるがまま)がわかりにくくなってしまった。
  • 明治になって南伝仏教(テーラワーダ仏教)の研究が始まり「原始仏典こそが正しい」といった風潮が出てきた。
  • しかし当時は文献的な解釈に留まる。
  • また言葉だけを拝借して中身は全く異なる新興宗教も登場する。
  • そのためごちゃごちゃになってしまった。
  • 仏教は「あるがまま(如実知見、正見)」が要。
  • あるがままによって悟る(解脱する)。
  • 悟りは、真我、宇宙意識、創造主すら超越する。
  • 認識の有り様が根源的に変わる。

こういった話しですね。
この話しがきっかけで、今年から原始仏教講座を始めています。

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