キリスト教神秘主義の修行~暗夜・照明・合一

キリスト教神秘主義の修行~暗夜(浄化)・照明・合一

キリスト教の一つである「キリスト教神秘主義」。キリスト教神秘主義では、創造主やイエス・キリスト、聖霊の存在をリアルで体験しようとする教えと実践の一派です。

実践内容は、

  • 祈り(口祷、黙想、観想)
  • 自己統制(従順、忍耐、沈黙、断食)
  • 聖書を読む
  • 他者と神への奉仕
というのが伝統のようです。骨子そのものはテーラワーダ仏教に似ていますね。

で、キリスト教神秘主義では、この修行が

  • 暗夜(あんや)・・・魂の浄化
  • 照明(しょうみょう)・・・神との邂逅
  • 合一・・・神との合一
といった三段階を経て進んでいくとしています。

最初の「浄化(暗夜)」で心の歪みを取り浄める

キリスト教神秘主義では、まず心と知性をクリヤーにするための「浄化」を実践します。浄化は、別名「暗夜(あんや)」といいます。

自己を深く深く見つめて、懺悔し、心と知性を浄めていきます。この過程において心と知性の暗部が吹き出るようになります。

あるいは無自覚のままであった潜在意識に潜む心と対峙します。心の歪みに気づき、その歪みが弱まっていくようになります。そうして素直で謙虚な姿勢体得し、神の僕となる基礎が作られます。

次の「照明」で神の存在を体現する

「暗夜(浄化)」の過程を経ると、神を体験し神の存在を実感する「照明(しょうみょう)」に入ります。

概念や観念ではなく、リアルで神の存在を実感する段階です。創造主やイエス・キリスト、精霊をリアルで感じる瞬間です。キリスト教神秘主義の目的が果たされるプロセスの始まりです。それが「照明(しょうみょう)」です。

「照明」は「霊性の開眼」ともいいます。「一瞥体験」ともいいます。偉大なる存在をリアルで感じ、宇宙性に目覚め、霊性に目覚める段階ですね。

しかし「照明」は現代人には理解し難いかもしれません。特に左脳思考が強く、目に見えないものが信じられない方になると、「照明」の段階は大きな壁になるかもしれません。

合一~自らの中に神を実感し一体を感じる

そうして最後は「合一」です。「神との合一」です。

「浄化」「照明」の2つの段階を経ますと、その人の中には「神」が宿り、常に神と一緒であるという実感が生じます。

この「神と一緒」「神を実感している」というのが、その人に深いやすらぎと喜び、そして楽天性、希望、博愛といった美徳をもたらします。

また観念や概念ではなく、本能レベルでの善悪の認識や基準、徳を認識できる「善性」が生じて、ここから本当の意味での「徳育」といった生き方もできるようになります。

キリスト教神秘主義での「観想修行」は「神との合一」を目指します。この「神との合一」は、実のところ「禅定」です。

キリスト教神秘主義では、このように進んでいく過程があります。これがまた安全装置なんですね。心が清まり、神を実感できる土台を元にして「神との合一」を目指します。

「神との合一」の前段階に「浄化」「照明」がある

キリスト教神秘主義では「合一(神との合一)」を最終ゴールとしています。で、これは原始仏教における「禅定」のことになります。

しかし「合一(禅定)」の前に、「浄化」「照明」を持ってきている点は、実のところよく考えられている点だったりします。というのも「浄化」「照明」は道を誤らないための安全装置になるからです。

仏教では、いきなり「合一」、つまり禅定を目指します。が、実のところ禅定に至るまでが結構大変だったりします。また魔道に落ちてしまう問題が起きることもあったりします。

その点、キリスト教神秘主義では、「浄化」「照明」「合一」の三段階とすることで比較的安全に合一(禅定)に進むことができます。

「神との合一」とはサマーディ・禅定

ちなみに、原始仏教では、キリスト教神秘主義では「ゴールとしている最終境地」がスタートになります。「神との合一」がスタートということですね。え!と思うかもしれせんが、これ本当。

キリスト教神秘主義での修行(観想修行)では「神との合一」を目指します。この「神との合一」は、実のところ「禅定」です。

こうした境地は原始仏教では、「ようやくスタートラインに立った」としています。ここからが本格的な修行のスタートとしているのが、原始仏教のスタンスです。

信(サッダー)という心が浄まることで体感する神の存在

心を浄め、意識を浄化する修行では、神の存在を実感するスピリチュアル的な目覚めや感性は必須になります。

といいますか心と知性がクリヤーになっていくと、自ずと判るようになると思います。このクリヤーになることを、仏教では「浄信」または「信(サッダー)」といっています。

心がクリヤーになり、素直になっていきますと、「信」が確立されるようになります。神(創造主)を実感するようになります。また輪廻転生が実在していることも感じられるようになります。

こうした霊性の開眼無くして、心の成長はあり得ないとすら思います。目には見えない偉大な存在、神を実感できることが、実は極めて重要だったりします。

浄化と照明は一般人でも体現できる

こうした修行過程を経て、ステップアップしていくのがキリスト教神秘主義の特徴です。もっとも実際は、もっと複雑になっているようです。ポイント、骨子を挙げれば、このようになるということですね。

しかしながら仏教からみれば、キリスト教神秘主義の修行は、「スタートラインを目指しているね」と言われそうです。が、それでもキリスト教神秘主義の修行階梯は、目を見張るものがあると思っています。

なんといっても浄化と照明の2つだけができても、一般人としては相当なメリットがあります。

観念や概念ではなく、本能レベルで「善悪」が分かるだけでも福音となります。また神を実感できることから得られる様々な美徳は、何物にも変えがたい「精神的な宝」となります。

この「精神的な宝」を羅針盤にして、苦難や苦悩に負けることなく、また決してめげたりネガティブになることなく、前向きで希望を持ち、楽天的になって、徳に基づいた生き方ができるようにもなりますので。

キリスト教の修行過程には安全装置と配慮がある

ちなみにキリスト教神秘主義における、こうした視点や配慮は仏教にはありません。いえ、あるにはあるのですが、明確にはなっていません。気づかれにくくなっています。

あと禅宗に至っては、体育会系のノリでやってしまうところも多いものです。体で分からせるという所があります。体罰、暴力、パワハラの世界です。で、暴力が伝統になっています。

こうした野蛮な習慣に染まってしまうと、ハート(慈悲)が消えていくようになります。

だから禅は、同じ宗教でも最悪の部類に入る要素があります。危険宗教の一つだったりします。

その点、キリスト教の修行過程には、安全装置があり、配慮がなされていると思います。

修道院の観想修行のポイントだけでも素晴らしいと思いますね。もっとも詳しく見ていくと、いろいろと問題もあるようですが。

特に「戒律」の守り方ですね。戒律を守ることができるような意識の変容をうながすアプローチが明確になっていないからです。

ここが明確になると、神の愛に支えられたキリスト教修道院での修行は魅力ある修行システムになる可能性があると思っています。

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