東方正教会とカトリックが分裂した歴史に見る信仰における解釈の相異

東方正教会とカトリックが分裂したのはパンのイースト菌

東方正教会。
キリスト教の一派ですね。
で、文字通り、東欧において広まったキリスト教の一派です。

元々、東方正教会もカトリックも一緒でした。

ところが、紀元1000年頃、カトリック内部に決裂が起きます。
それで東方正教会として分派したようです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/

東方正教会が分派した理由が、いろいろとあるようですが、「パンにイースト菌を使うか使わないかで争った」とというのがあります。

パンで争ったと聞けば、「え?」と思うのですが、パンは、キリスト教では重要だといいます。

キリスト教ではパンは重要

「最後の晩餐」でキリストが、「パンを我が身体」と言ったということで、「パン=キリスト」という構図が生まれたといいます。

パンはキリストの肉。
ワインはキリストの血。

ですので、パンとワインを重視するのがキリスト教なのですね。

信仰の無い人にしてみれば、不思議に思える話しですが、こうした伝説や風習に基づくが宗教の世界でもありますね。

東方正教会はパンにイースト菌を使うことで分派

で、この「パン騒動」は、最終的に

・東方正教会はイースト菌の入ったパンを使用。
・カトリックはイースト菌が入ってないパン(餅みたいな小麦粉を練ったもの)を使用。

こんな意見の違いとなって、決着し、分派したといいます。

たかがパン。
されどパン。

パンにイースト菌を使う使わないで揉めに揉めて、
摺り合わせができず、意見は並行線のまま分裂へと進んだといいます。

密教では越法をして謝罪しなければ仏罰が下るという教え

それにしても、観念が交錯した教義体系を持つ一般人には理解し難い世界は、宗教界には多く見られます。

たとえば密教。
密教では、作法(所作といいます)が厳格に決められています。

で、作法を間違えると越法(おっぽう)または越三昧耶 ( おつさんまや )といって、所作を間違えると、仏罰が下るとされています。

ええ!?広大無比な慈悲を持っている仏が、作法を間違えると、罰を下すと?
ええ、密教の世界では、そうなっています。

旧約聖書のヨシュア記に出てくる「異民族を攻撃せよ」に通じる恐ろしい仏が密教の世界にはいるわけですね。

で、越法を犯すと、「越三昧耶真言(おつさんまやしんごん)」というマントラを唱えます。

一般人にはまったく理解し難い話しなのですが、こうした迷信と脅しに彩られた「慣習・しきたり」があるのが宗教の世界です。

宗教に多い洗脳の様式

迷信や異様な慣習や風習の本質は「洗脳」です。
理性で考えれば「おかしい」と感じるのですが、その「おかしい」を「おかしい」と思わせずに、金科玉条の次第として、結果的に、思考停止に誘います。

洗脳の原初的なパターンといっていいかもしれません。

こうした様式は、宗教の世界には多かったりします。

篤い信仰心と受け止めるのか洗脳と解釈するかの違い

しかし、これを「洗脳」と受け止めるか、
「篤い信仰の表れ」と受け止めるかは、
人によって異なることでしょう。

一定の様式や規範に従うことで、そこに恍惚感や、参加者との間に連帯感が生まれことがあります。

この一体感は、時に甘美であり、宗教的な高揚体験にも似た体験になることでしょう。

宗教の世界における奇妙とも思える行動や様式には、人を宗教的次元へとシフトさせる効果があるのは事実でしょう。

宗教を知らない者には洗脳としか映らない

しかし、その宗教なりの世界に与(くみ)していない人にしすれば、迷信の類になってしまいます。

神や仏が罰を下すなどあり得ないし、どうでもいいことと思えます。

もしも罰を下す神がいれば、そんなの邪神であろうと、足蹴にもするでしょう。

立場によって認知に大きな違いが出てくるのが信仰の世界

立ち位置によって、同じことでも「ありがたいこと」と解釈するのか、「迷信」として解釈するかに違いが出てきます。

これは、認知の観点からいえば興味深いものがあります。

同じことを見ても、白と見える人もいれば、黒と見える人もいる。前提条件の違いで、見え方、感じ方、解釈が違ってくるのでしょう。

ですので、作法を間違えたことを謝罪しなければ、神仏が罰を与えるという教えは、信じている信仰の世界の文脈だけで効くものであって、信仰心の無い人にすれば、ほとんど心理的ダマージは無かったりします。

ということは、この本質は、観念や概念によって、自分を苦しめ、罰しているということだったりします。

マイナスの想念(思い)や思考は繰り返すと強化し病気を引き起こす

ところで、想念(思い)や思考は、それを繰り返していると、やがて自分に影響を及ぼすようになります。

想念(思い)や思考は、それを強化させることができ、強化された想念(思い)や思考は「力」を持つようになります。

実のところ「悩み」「煩悶する」というのも、こうした作用の表れになります。

マイナスの想念(思い)や思考を、反すうし続けて、それが強くなっていって、想念(思い)や思考で苦しめられるようになります。

本質は、「記憶」であり「思い」であり「思考」といった、実態の無いものなのですが。

しかし、その実態の無いアタマの活動によって、心配や不安の物語を作り出して、人は、苦しみ、悩みます。

で、悩みの度が過ぎると、うつ病になります。
うつ病は、マイナスの観念・概念が反すうされ、ネガティブさが強化され、身体にも影響を及ぼすことになった結果だったりします。

ですので、「悩み」「煩悶」は早々に手放す習慣が望ましくなります。観念・概念化する前に、さっさと捨ててしまうことですね。

これを瞑想化したのが、「いまここ」「マインドフルネス」という瞑想になります。

観念・概念の作用は成功法則・広告・宣伝の世界でも使用

なお観念・概念の働きを、プラスに利用したのが「潜在意識活用法」だったりします。
いわゆる「成功法則」「引き寄せの法則」ですね。

しかし、別に潜在意識とか、そんなのはどうでもよく、本当は、単に観念・概念の強化&リピート効果だったりします。

洗脳は宗教の世界には多いのですが、これは何も宗教の世界に限ったことではなかったりします。

悩み・トラウマといった心的作用にも見られます。
また広告や消費促進といったマーケティングの全てにおいても使用され応用されている心理テクニックだったりします。

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