結局キリスト教とはなにか?~パウロが作った物語の宗教

結局キリスト教とはなにか?

結局キリスト教とはどういう宗教なのでしょうか?簡潔にまとめますと、

  • イエスに一度も会ったことがなかった「パウロ」が作った新興宗教
  • ユダヤ教をアップデートした新興宗教
  • 当時広く信奉されていたメシア信仰と復活信仰を基にしている
  • ここにイエスを組み込んだ(祀り上げた)
  • イエスの死と復活がキモ(旧約聖書から引用して理論武装)
  • 従来のユダヤ教ではメシアとは強い王(任侠型)
  • しかしキリスト教徒は新しいメシア像を作った
  • 新しいメシア像もこれまた旧約聖書から引用して理論武装
  • 不老不死の肉体となったイエスが上空にある天の国にいる
  • イエスはいつか再臨して地上世界を破壊し、神の国を作る
  • 再臨のとき、イエスを信仰していた者は全員復活する
  • 復活した者は不老不死の体となる
  • その地上に誕生した神に国(千年王国)で永遠に生き続ける
  • これがリニューアルされたメシアによる救済
  • イエスを信じていなかった者は永遠に罰せられる
  • 奴隷を中心に地中海沿岸の地域に怒濤の布教活動をした
  • 4世紀になるとローマ帝国が国教にした
  • 世界宗教へと拡大

こういう宗教になります。
キリスト教を簡単にいえばイエスの「死」「復活」がキモのユダヤ教 キリスト教はパウロが作ったユダヤ教(ファリサイ派)のアップデート宗教だった

キリスト教は宗教体験ではなく「物語の宗教」

上記がキリスト教の「あらまし」になります。が、キリスト教は「物語の宗教」といえます。

このことは「解釈の宗教」「理解の宗教」「理屈の宗教」「思想的な宗教」「書物の宗教」ともいえます。

何らかの宗教体験があって、それを言語化した宗教ではないということです。もちろん聖霊体験という宗教的な体験はありますが、これはメインになっていません。

世界の多くの宗教が体験に基づく

ところが世界の多くの宗教は「体験」に基づいています。インドの宗教は体験型の宗教です。ウパニシャッド、原始仏教、ヨーガ、すべて宗教体験を言葉化しています。

日本の阿弥陀信仰も、救済物語はありますが、やはり宗教体験があります。密教もそうです。

ほとんどの宗教には宗教体験があって、その宗教体験を言語化しています。ところがキリスト教は宗教体験に基づいていないんですね。パウロが考案した救済スストーリーを信じる宗教になっています。

キリスト教は宗教体験に基づかない

結局、キリスト教は宗教体験を求めたり体験する宗教ではないということですね。イエスが再臨して助けてくれるといった「物語を信じる宗教」になっています。どこまでも頭の中で想像している救済物語に基づく宗教になっています。

キリスト教は、世界中の他の宗教と異なり、脳内で解釈する「物語の宗教」であり、世界的にも特異な宗教です。

ちなみにアブラハム系の宗教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)はすべて「物語の宗教」になっていて、3つとも同じ性格をしていますね。で、差別、迫害、戦いを続けています。

イエス・キリストは何を説いたのか?

で、イエス・キリストは何を説いたのでしょうか?
このことは、こちらでくわしく書きました。
イエス・キリストの本当の教えとは?隣人愛?実は律法と親切心or万人が神の子

ダイジェストで書きますと、次の通りです。

一般的にイエスは「隣人愛」を説いたと言われています。が、これは旧約聖書(申命記、レビ記)からの引用です。新約聖書を読むと隣人愛とはまた違う教えを説いています。それは、

  1. 律法を守る【マタイ5章17 律法について】・・・律法といってもイエスが推奨した律法は、ファリサイ派のような形式的・教条的な律法ではなく、その本質を踏まえた善性のことになります。
  2. 親切心を持つ【マタイ25章31 羊と山羊のたとえ話】・・・万人に親切にする者が神の国に入ることができる。親切心は隣人愛にも連なる。

この2つ。この2つを守ることで誰でも神の国に入ることができると言っています。別段、イエスを信仰しなくてもOK。普遍的な教え。仏教の「生天の教え(礼節と施し、慈しみがあれば死後、天界へ往く)」とほぼ同じ。

イエスと同じ時代に生き同じガラリアにいた能力者ハニナ・ベン・ドーサ「人間から好意を寄せられる者は神から愛される」と言っている。不思議なことにほぼ同じことを言っています。

イエスにしても、仏教にしても、ハニナにしても教えはシンプルなんですね。

ハニナ・ベン・ドーサ~イエス・キリストと同時代にいた奇跡を起こす人

パウロが作ったキリスト教の教えとは?

パウロ達が作った新興宗教がキリスト教です。イエスは祀り上げられたといってもいいですね。

で、パウロは「イエスの死と復活」にユダヤ教の旧約聖書の預言を当てはめて、イエスがメシアであることを証明(理論武装化)します。

イエスは十字架で亡くなったものの、それは人類の罪の一人で受けて精算する(贖罪)ことであって、イエスは人類の罪を消し、肉体を持ったまま復活した。

復活したイエスは不老不死の肉体となり、上空にある天の国へ昇天した。で、イエスはいつかこの世の終わりが来たときは、再臨して大いなる審判を下し、地上世界を破壊して新世界を創造し「神の国(千年王国)を作る。

で、このときイエスを信仰していた者は全員復活し、不老不死の体となり、地上に登場した神の国で永遠に生き続ける。

これがパウロが考案したキリスト教ですね。

キリスト教はパウロが作ったユダヤ教(ファリサイ派)のアップデート宗教だった

イエス・キリストの教えとは異なるパウロの宗教

しかしパウロの教え(信仰)は、イエスが説いた教えとは若干異なります。

中でもパウロは、イエスが重視した「律法」を完全否定しています。信仰には律法は不要。いやむしろ律法を守ろうとすると間違ったイエス信仰になるとさえ言っています(ローマ4章13-25)。

このようなパウロが説く教えには、当時からパウロへの批判も多かったようです。が、パウロは自らの信念に基づいてキリスト教を布教し拡大していきます。

パウロは復活したイエスと遭った?~イエスの姿を幻視

パウロは自らの考えこそが福音と信じていたようです。で、パウロがこう強く確信するのも理由があります。

それはパウロは「復活したイエスに遭った(イエスの姿を幻視した)」からです。本人がそう言っているんですね。

このことは、こちらで詳しく説明しています。

パウロは復活したイエスに遭った?~イエスの姿を幻視したアストラル体験

パウロは、復活したイエスの姿を幻視しているため、本人に強い確信、自身、信念を抱かせるようになったんじゃないかと推察しています。

イエス・キリストの本当の教えとは?

キリスト教を歴史的にみていくと、イエス・キリストの本当の教えが存在していないことがわかってきます。正確にいえば「イエスを信仰する立場からの人達の伝承」ということですね。具体的にいいますと、

  • キリスト教はパウロが作った宗教
  • 福音書は、パウロ教に沿った人達が書いた文書
  • 福音書(聖書)は、パウロ教に沿った文書集(パウロ教に沿わない文書は収録されていない)

ということですね。つまり「偏り」があり「一面的」ということです。イエス・キリストの一面のみが「正統」として伝わっているということですね。

では、イエス・キリストの本当の教えとは一体何なのでしょうか?

で、おそらくグノーシスに伝わっているんじゃないかと思っています。

イエス・キリストの教えはグノーシスに伝承?

グノーシスといえば、「異端」と即反応する方もいらっしゃるかもしれません。

グノーシスは、当時パウロ達の信仰とは異なる有り様です。

しかしパウロ以外のグノーシスにおける伝承は興味深いものがあります。パウロ教とは異なるイエスの教えが伝わっています。それはザックリいえば、

  • 自己を見つめる内観的
  • 真の自己(真我)を探す
  • 自己の中に「神の国」「メシア」「真の自己」がある
  • 万人が神の子(イエス一人だけが神の子ではない)
  • 万人がメシア(イエス一人だけがメシアではない)
  • 奇跡は禅定(サマーディ)によって起こせる

といった教えです。仏教やヨーガに似ています。

で、正統と言われているキリスト教は、どこか雑で新興宗教の信仰に近いところがあります。

その点、グノーシスに伝わっているキリストの教えは、瞑想的であり、マインドフルネスや認知行動療法に近いものがあります。

実のところ、グノーシスに伝わるイエスの教えには目を見張るものがあります。キリスト教を刷新するのがグノーシスにあるんじゃないかと思います。

グノーシス主義はなぜ異端なのか?正統派教会とは違いすぎる驚きの内容 グノーシス主義とは何か?~キリスト教徒が理解できなかった知識の総称

他の宗教とキリスト教との比較一覧

以上がキリスト教とはどういう宗教なのかをダイジェストでまとめた記事になります。

で、宗教的な実践の観点からキリスト教を分析すると、このようになります。

戒律(教え、言語領域の実践) 瞑想(神との合一、非言語領域の実践) 悟り・解脱(認識の超越)
キリスト教 △(祈り) ×
グノーシス ×
ヨーガ ×
仏教

この一覧表の通りで、キリスト教は「教え」といった言語領域(解釈)が中心の宗教になります。

キリスト教は教え中心の宗教

ヨーガや仏教は、非言語領域であり神との合一を目指す「瞑想」があります。ちなみにグノーシスも瞑想があります。ですので「叡智」に開眼していくようになります。深みがある。

なお仏教には「悟り・解脱」があります。これは他の宗教にはない際だった特徴です。

このようにキリスト教を、他の宗教と比較してみると、思想・イデオロギー型の宗教であることがわかるはずです。いわば初心者向け、入門者向けの教えになります。

キリスト教は2000年前の時代に合った宗教

パウロがキリスト教を考案した当時、世の中は大変厳しい時代でした。希望も見いだせない暗い時代。

こうした絶望の多い時代に、手っ取り早く希望を見いだすことができたのが、救済物語を説くキリスト教だったわけですね。

キリスト教は、2000年前の過酷で貧しかった時代にピッタリな宗教だったということが言えます。

現代ではどうなのか?現代に合ったかたちに刷新する必要があるんじゃないかと思います。

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