日本の仏教とアスペルガー症候群と虚無~喜び・楽しさ・笑い・慈悲・ハートを欠いた宗教

「アスペルガー症候群」は慈悲・ハートが弱くなっている状態

「アスペルガー症候群」は、意識が内向化し、精鋭化している状態に加えて、
慈悲やハートを欠如してしまっている状態だと感じています。

わかりやすく言いますと、悪い集中瞑想している状態です。
ミッチャー(邪)な集中状態。
これが気質になっている場合ですね。

なので「アスペルガー症候群」の特効薬は、慈悲・ハートであると感じています。
慈悲・ハートは、その性質に「拡大感」「あたたかさ」があります。
これは「気」の性質でもあるんですね。

逆にいえば、「アスペルガー症候群」は、
「気」という命の躍動が感じられなくなっている状態ともいえます。
大脳や知性に比重している状態。

なので、慈悲、ハート、あたたかさ、思いやりといった情緒的な行動が、
「アスペルガー症候群」を改善する特効薬だと思っています。

「アスペルガー症候群」は仏教を虚無に理解し惹かれる

ちなみに「アスペルガー症候群」は「虚無」に惹かれやすいところがあります。
なので、仏教に触れると、さあ大変です。
仏教を虚無的に解釈します。
伝承されている言葉通りに受け止めます。
否定的、厭世的、この世が虚しい。
こうしたノリにヒットしまくって、ハマりこんでいくようになるでしょう。

しかし、これらは全くの間違いであり、
大いなる落とし穴だったりします。

が、日本の仏教は、実に「アスペルガー症候群」の人達によって
創られてきた歴史でもあったりもします。

だから日本の仏教は「虚無色」が強いんですね。

で、死後は、天狗界へ行くわけです。

天狗界とは「アスペルガー症候群」の状態です。
ハートや慈悲が無い。
力はあっても、冷淡で、非情。
悪業を作り続ける。

日本の仏教は「アスペルガー症候群」であったため、
曲解をしまくって、天狗界へ行くケースが多くなり、
不幸になっていったんだと思います。

仏教を頭脳だけで理解すると必ず「アスペルガー症候群」的になる

仏教の文言を頭脳だけで理解すると、
必ず「アスペルガー症候群」的になります。
大変危険だったりするんですね。

欲が弱くなり、煩悩が減っていくというのは、
虚無になることではないんですね。
情緒的な表現が乏しくなったり、共感障害になることじゃやないんです。
事実はその逆。
正反対。

本来、生命は喜び・楽しさ・笑い・慈悲・ハートに満ちている

生命そのものは、喜びにあふれていて、楽しく、笑いに満ちています。
欲が減り、煩悩が弱くなってくると、
その代わりに、生命本来の情緒的なものが盛んになってきます。
それは子どものようなピュアさです。

ところが、これがわからない禅などでは、
こうした第五図世界的な情緒(慈悲、ハート)をも遮断してしまい、
知性におもいっきり偏重してしまいます。
最近ではノンデユアリティ。

しかし、人は、中でも現代人は、まずこのピュアな状態に立ち戻ることが大切です。
第四図世界に生きていると、こうした姿は「愚かしい」と映ります。
それ故に、この状態の価値や重要性が省みられにくくなりがちです。

けれども、この価値や重要性に気づくことが大切。
慈悲やハートがもたらす、洗練されていない状態こそが、
子どものような有り様だったりします。

洗練されてゆくと、菩薩のようになってまいります。
人はどうしても完成形を目指し、期待してしまいます。
その途中段階、プロセスが省みられなくなりがち。
なので、荒削りな子どものような状態を見下して否定してしまいます。

そうしてますます慈悲やハートの荒削りの状態が省みられなくなって、
虚無へと進んでいくようになる。
虚無の歴史に加担してしまう。

この文脈、流れが、日本の仏教界では、長い間、理解されてこなかったため、
不幸な歴史を1500年近くも続けてきています。

仏教は頭だけで理解すると天狗界の代物になります。

真我が何故、必要なのか?
その答えの一つが、ここにあります。

宇宙意識がもたらすピュアな情緒的表現、高次の共感は、
まさに第五図世界的だったりもします。

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