伊藤証信「無我の愛」と無我苑~碧南市「哲学たいけん村無我苑」へ行く

無我愛を体験した「伊藤証信」とは?

伊藤証信(いとう-しょうしん)。

伊藤証信は、明治時代の覚者です。
ハートの覚者。

伊藤証信のことは、今年の2月・4月に開催した私の講座でも紹介しました。

一般的に伊藤証信のことは、宗教家あるいは哲学者といわれています。が、明治時代の覚者です。知られざる覚者。

伊藤証信は、28才となる明治37年(1904年)、父親の看病のため久米村(三重県桑名市)に帰ったところ、その看病する枕辺で、突然霊感に打たれて『無我の愛』を悟ったといわれています。

しかしこれは悟りではありません。覚醒体験です。ハートの覚醒体験。

貴重な体験ですが、悟りとは違います。

体験していなければ異常心理としてしまう

ところで、当時、東大助教授であり超能力研究もしていた福来友吉は、伊藤証信の体験を「変態心理(異常心理・精神病)」と言っています。

しかし、伊藤証信の体験は、病気ではないんですね。

ハートの覚醒体験です。

しかし、体験していない人には、まったく理解ができないんですね。

結局、この手の体験は、今でもそうですが、体験や知識が無い自称専門家の手にかかると、まったく見当違いな解釈をされてしまいます。

で、その権威性や傲慢性により、貴重な体験を病気にしてしまいます。

福来友吉は、まさにその端的な事例です。わからないので、「病気扱い」してしまうわけですね。

「わからない」と正直に言えばいいものを、生半可な知識で推測して適当なことを言ってしまう。学者や権威者であるが故に始末が悪い。

これは今でもそうです。
専門家に聞けば聞くほど、おかしくなります。

で、当時、伊藤証信のことを本当に理解できた人は、綱島梁川(つなしま-りょうせん)、平塚らいちょうといった、同様の体験をした人達だけです。そういうもんなんですね。

綱島梁川「予が見神の実験」は一瞥体験

伊藤証信が開いた「無我苑」

無我愛を体験した翌年、伊藤証信は東京で「無我苑」を開き、啓蒙活動を始めます。

が、翌年閉鎖。

思うところがあって、1年で閉鎖します。止めた理由は、宗教っぽくなることと、熱心な信奉者が現れて、祭り上げられることの怖さを感じたからといいます。

つまり「カルト化」する怖れを感じたからのようです。

しかし45才に碧南市に移って「無我苑」を再開します。以後、亡くなる86才まで、碧南市で過ごします。

で、碧南市で再開した「無我苑」の跡地に、「哲学たいけん村無我苑」があります。

碧南市「哲学たいけん村無我苑」

そんな伊藤証信の「無我苑」なんですが、今年の連休に、愛知県碧南市にある「哲学たいけん村無我苑」へ行きましてね。
https://www.city.hekinan.lg.jp/soshiki/kyouiku/bunkazai/1_3/itoshoushin/index.html

ここは、伊藤証信が建てた碧南市の「無我苑」の跡地にあります。伊藤証信の子孫が、碧南市に寄贈したようです。

かなり期待して行きましたが、思ったほどの資料が無いんですね。

伊藤証信の著作集とか、無我苑の機関誌がすべてそろっているかと思って、超期待しました。が、数点の資料しかありません。ほんのわずかだけ。

残念。
非常に残念。

もっと資料を充実して欲しいですね。あまりにもショボい。

しかし「哲学たいけん村」には、瞑想室があります。狭い部屋なんですが、お香を焚いていて、それらしい雰囲気があります。

そんな「哲学たいけん村」ですが、ここは、ハートの覚醒をした伊藤証信が86才で亡くなるまでの42年間、自宅を兼ねての宗教施設だったせいか、エネルギーが残っています。

私的には、思わぬパワースポットを発見した感もあります。

花岡修平さんのハートの覚醒体験

ちなみに、伊藤証信と非常に似た体験をしているのが、花岡修平さんです。

2012年~2015年につづっていた「真我が目覚める時」のブログには、ハート覚醒の体験が丁寧につづられていました。

ご本人は「悟り」といっていました。が、これは悟りではありません。覚醒体験です。悟りではありません。

悟りでない体験を悟りといいますと、大概、侃々諤々の論争となって、トラブってしまうことが多くなります。

実は、花岡さんも、その典型だったりします。

最後は批判が殺到してブログを閉鎖しています。

が、花岡さんのブログは、現在、どなたか有志の方が復刻されています。
https://shikoutoshi.hatenablog.jp/

知られざる明治時代の覚者

「哲学たいけん村」は、ほとんど知られていない施設ですね。

が、明治時代には、知られざる覚者が何人か出ていたんですね。

伊藤証信のほかにも、綱島梁川、平塚らいてう、河上肇らの覚者・体験者が出ていました。

ただ、当時は、まったくといっていいほど理解されなかったため、歴史の中に埋もれてしまっています。

けれども、こうした知られざる人を見つけるのは、これはこれで楽しいんですね。

そんな思いにもなる伊藤証信と無我苑。それと「哲学たいけん村」。

資料は乏しいんですが、また行ってみようかなと思います。

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