一瞥体験を悟りとして発表するとバッシングを受けやすくなる

一瞥体験を悟りとして発表するとバッシングを受けやすくなる

一瞥体験を悟り体験として発表すると、バッシングを受けることが多々あります。

そもそも一瞥体験は悟りではありませんからね。こうしたことを知っている人からみれば、「困った人だなあ」として映るようになります。

ですので、人によっては、一瞥体験を悟りとしている人に対して、「それは違いますよ」と言う人も出てくると思います。

中には、過激になってしまう場合もありそうです^^;

綱島梁川もバッシングを受けた

たとえば綱島梁川(つましま-りょうせん)がそうですね。

綱島梁川「予が見神の実験」は一瞥体験

綱島梁川の体験は、一瞥体験(真我体験)で、悟りではないんですね。

けれども彼は「悟り」と思ってしまったようです。

で、綱島梁川は一瞥体験が起きた翌年(明治38年:1905年、32才の年)、文章で公表します。

ところがキリスト教や仏教から批判されたり、バッシングも起きたようです。その騒動は想像に難くありませんね。かなり大変だったのではないかと思います。

ちなみに、こうしたバッシングとは真逆に、聖者のようにあがめる熱烈な人達も出てきたそうです^^;

こういうのはいつの時代にもありますね。賛否両論といいますか、毀誉褒貶といいますか。

しかし綱島梁川は、この騒動の中、3年後に亡くなります。こう言っては何ですが、3年後に亡くなってよかったのではないかと思います。

神秘体験はバッシングされやすい

綱島梁川の手記を読んでいると、そこには虚栄心はなく、自分の身の上に起きたことは貴重な体験なので参考にして欲しいといった思いが根底にあることがわかります。

しかし読み手の全員が、そう受け取りませんからね。粗探しや批判の好物となってしまうこともあります。この手の批判は、今の時代にもありますからね。

で、いったん論争が始まりますと、この手の論争は長引くことが結構あります。叩きつぶそうとする人も現れます。

綱島梁川の場合は、その手記から実直な姿勢が見受けられます。で、これがかえって仇となる恐れも感じさせましてね。

しかし大騒ぎになる前に姿を消すことになって、結果的によかったのかもしれません。

けれども一時的な現象で終わったため、綱島梁川の存在はほとんど知られることが無くなったんじゃないかとも思います。

体験を発表するリスク

で、一瞥体験を悟りとして発表すると、叩かれやすくなるというのはいつの時代にもあると思います。

つい数年前も、花岡修平さんという方が自分の体験をつづった「真我が目覚める時」というブログを始めたのですが、熱烈なファンがつく一方で、ものすごいアンチや批判が起きましてね。コメント欄には、禅をやっている思しき人が冷徹な書き込みもしていて、さすがに空おそろしくなったものでした。

けれども花岡さんの場合も「悟り」ではなく「一瞥体験(真我体験)」だったんですね。ですので、一瞥体験を悟りとしてしまいますと、批判を受ける余地が出てきてしまいます。

しかしながら、この辺りのこともあって、一瞥体験をした人は、おいそれと公開しない人が多いんじゃないかと思います。で、それは賢明だと思います。もし発表をするならば、「悟りではなく一瞥体験」とハッキリとしたほうがいいと思いますね。

ちなみに花岡修平さんのブログはその後、閉鎖されました。理由を明かさずに閉鎖しましたが、おそらく過熱化するバッシングが原因だったのではないかと推察しています。

現在、花岡さんのブログは蘇っています。けれどもこれは、ファンが保存していた記事を再現したブログのようです。花岡さん本人の承諾は得ていないんじゃないのかなと思いますが^^;

しかしこの手のダークサイドは、この界隈にはあります。そもそもブラック系の覚者もいますのでね。なので、こうした体験を公表する文脈といいますか場所は大事になると思います。

リスクは減ってきている?

けれども今では、昔に比べてリスクが減ってきている感じもします。

今ではYouTubeが賑わっています。スピリチュアルの文脈のためかめちゃ軽かったり、色物のようなノリの人もいたり、「ほんまかいな?」と思えるグレーゾーンの体験者もいて、にぎやかになっています。

こう賑わってきますと、昔に比べて、体験を公表するリスクは減ってきているかなあとは思います。

しかしいかんせん、精妙な領域を扱っていますので、慎重さは欠かせないと思います。かといって黙っているのも何ですので、少しずつ進めていくのが、今は無難じゃないかと思っています。

一瞥体験も尊いが悟りではないということ

で、一瞥体験は悟りではありません。
しかし一瞥体験も変容を引き起こす場合があります。

単に体験で終わってしまう方もいますが、意識に変容を引き起こす場合もあります。その人自身の意識を高次元化させることがあります。

一瞥体験も尊い体験になりますが、悟りではないんですね。

悟りではありませんので、ここをきちんと認識し、踏まえるのが大事だと思いますね。

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