神道の「なかいま」は日本人向けの光の道マインドフルネス

日本では、神道的な天晴れなニュアンスをベースにした「いまここ」「自己観察」系が望ましいんじゃないかと思いますね。

これこそ神道の「なかいま」です。で、日本人向けのマインドフルネスですね。

またこれを「光の道」と言ってもいいんじゃないかと思います。
 

インド的な文脈の仏教は、むしろ日本人の心を穢(けが)します。よくない。

この教理的な穢(けが)れを外していく必要があると思います。
 

それと、霊的な視点から見れば、禅はよろしくありません。

てか、あの方法はやっちゃダメ。超不幸になります。生まれ変わったら、死ぬほど苦しみますよ。天狗界になりますしね。

禅は、一境性(一体化)という心を強めることで、見るもの、聞くものと一体化するようになるわけですね。で、思考と感情を遮断(麻痺)させるわけです。で、表面的には澄み切るんですね。

ところが煩悩が残っているわけです。だから再生(生まれ変わり)をするんですね。生まれ変わります。

結局、禅とは超KY状態になることなんです。周囲のことは一切合切気にならないオレ様状態になることなんです。知性の働かない動物と同じです。てか、動物になることです。これが禅。
 

しかしブッダの方法は、禅とは違います。

命(真我、宇宙意識)に溶け込むことで、思考や感情が溶解し、煩悩も溶解してしまうわけなんですね。つまり、命(真我、宇宙意識)そのものになってしまう方法なわけです。

だからブッダの方法は、功徳を積むとか、善行とか、積徳といったこともしますし、慈悲も重視するんですね。これらは全て、命(真我、宇宙意識)のエッセンスでもあるからです。

簡単に言ってしまいますと、命(真我、宇宙意識)のエッセンが色濃い天人や梵天を経由して、命(真我、宇宙意識)そのものに溶け込むアプローチなんですね。禅とはまったく異なります。
 

それと日本人は、人間や天人に転生する、転生してくるケースが多いため、インド的な文脈の宗教は、かえって日本人の多くを苦しめてしまいます。穢(けが)してしまう。

これは霊界的な視点がないと、まったくわからないことでしょう。文献レベル、テキストレベルで侃々諤々しているなら、単なる「妄想」にしか聞こえないはずです。

霊界的な視点を無視し、文献レベルで仏教と取り組んでしまったため、仏教を教えの宗教、観念の宗教としてしまい、一部の日本人の魂を、悲劇にしてしまった。

仏教の真意をつかむことは、通常はハードルが高い。仏教を明朗かつポジティブな教理として理解することは、困難なのかもしれない。いや、できないかもしれない。

日本人向けの仏教を提示、提唱する必要があると思う。
 

それが神道的なニュアンスを置いた「いまここ」。これはまさにハートに根ざした有り様です。

「光の道」。
本当の意味での「なかいま」。
 

しかし神道は神道で、偽書である古事記・日本書紀をベースに置いているため、霊系が歪み、混乱した状態になっています。

また、生命の一形態である天人(神霊)を崇拝し過ぎてしまい、奇妙な人間関係(霊的関係)やらしがらみも出来てしまいがち。

ご神霊との関係は、結果。
あるいは、気楽に。
 

神道的な「からり」とした精神を軸にし、神霊とともに、社会の中で、仏教の方法論である「いまここ」「自己観察」を行うのが、日本人には合っていると思う。

そんなことを思う。

光の道。
本当の「なかいま」。

これが日本人向けじゃないかと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です