UFO目撃の理由と意味

UFOを目撃する理由とは?

UFOの目撃。
そんな話しは今でも時々見聞しますね。

UFOを目撃する理由。
また、その意味。
一体なんでしょうか?

それは端的にいって、心と能力の発達のためです。UFOが存在するとかしないといった真贋論争よりもずっと大事なことです。

宇宙人やUFOのことと関わる際、大切なことは、

・進歩したテクノロジー
・重力制御の技術
・光の技術

これらは枝葉です。極端にいえば、どうでもいいことだと思っています。

また

・不思議なものを見たとい
・ミステリアスな夢
・単なる興味本位

これらも本質的ではないと思っています。

UFO・宇宙人遭遇は心と能力を発達させる

何故、UFOを目撃するのか。宇宙人とコンタクトをするのか。

いろいろと理由はありますが、こういう未知なモノを目撃したり遭遇することで、人間の持っている未知なる領域に気付かせるのが目的であると私は思っています。

トリガーの役目ですね。目撃することで、何かを目覚めさせる。

その目覚めの筆頭なのが、人間の持っている未知なる領域。「心」と「能力」です。心を発達させ、能力を拡大すること。

UFOを目撃し、宇宙人とコンタクトする最大の理由は、これです。

UFO・宇宙人の証拠を出せという論法には関わらない

ところでUFOや宇宙人関連の世界には、重大な課題があったりします。それは「第三者が確かめることができない」というものです。

本人の証言や体験談が唯一、証拠になります。もっとも第三者が確かめることのできる「明確な証拠」として、UFOの写真などがあります。

しかし写真といっても、ねつ造ができます。動画ですらねつ造ができてしまいます。

ですから仮にホンモノであっても、いろんな難癖が付けられて、UFOとコンタクトしたことが、ハッタリであると言われてしまいます。

実際、こうした本も出ていますし。

「ト学会」です。確かに一理あります。実際、勘違いやハッタリ、妄想もあります。

ですが、本物もあるわけですね。ですので、この世界、ややこしくなっています。物議をかもし出すことも当然です。

UFOは信じる・信じないの世界

こうした侃々諤々な様は、バラエティー化している「テレビタックル」を見ても分かるとおりです。

反対派は、「そんなものは無い!存在するなら証拠を出せ!」といいます。この論法は、論法としては王道です。決して間違ってはいません。

ただ「信じる」「信じよう」という姿勢が最初からありませんね。「科学」と書いてある印篭を突きだしているだけの「信じない教」だったりします。

反対に、明確な証拠を出せない韮山さんや、秋山眞人氏らは、ぐうの音のでなくなり、ただイライラを募らせるだけになってしまいます。たまに韮山さんがビックリするような証拠を出されますが、かえって怪しさを出してしまってます。

UFOや宇宙人関係に、明確な証拠と言っても出せないことが多いものです。ですから「信じる・信じない世界」にならざるを得ません。これは仕方のないことだったりします。

ですので、証拠云々からの論法には関わらないことだと思っています。

宇宙人やUFOを「信じない」も一種の宗教

宇宙人やUFOの証拠を出せといっても、今のところ明白な証拠を出すことは困難なことが多いと思います。個人的な体験が多くなりますし。これは仕方ありません。

また写真などの証拠を出しても信じてもらえないとか。「それはねつ造したものでしょ」とか「気球だ」と言われたり。

「信じない教」という「宗教」のような状態になっている方もいます。こういった人には、どんなに明確な証拠を出しても信用しないでしょう。頑なな「信じない教」の信者も、一種のカルトだと思います。「信じない」という狂信です。

ですので、証拠云々からの論法や検証の世界には、あまり関わらないことが良いと思っています。並行線が永遠に続くかのようですので。

また「それは本当なのか嘘なのか」と、証拠を探したり、問答するのも同じだと思います。答えは出ないこともあります。

宇宙人やUFOの真贋論争は不毛に終わる

結局、「本当か嘘か」といったことを論証することは、不毛なことが多くなると思います。そもそも、真贋論争は、ポイントが根本的にズレています。

やはり宇宙人関連のポイントは、精神性を高める点にあると思っています。ここから外れれば、あまり意味はないでしょう。

それにシンプルに考えれば、明確な証拠が無ければ、「検証の余地無し」で修了です。それ以上、突っ込んで考えても、検証しても答えは出てきません。

できないことにウンウンと取り組むから、ますます泥沼にはまっていく。関わらないことですね。

理解できる人達でまずは共有

瞑想の世界には、「禅定」というのがあります。「禅定って何?どういうの?」と言われても、体験した人しか分かりません。また理解を示す人にしか、受け入れられない世界です。

宇宙人やUFOも同じです。体験した人しか分からない世界ですね。また理解を示し、理解しようと努める方しか受け入れられない世界です。

ですので、「理解できる人の間で、まず共有する」というスタンス。最初は、これでいいのではないかと思います。

分かっている人や、理解できる人の間で、価値を共有すればいいと思います。まずは。そして、個人的な体験をより深めていけばいいと思います。

勘違い・錯覚・欲得からのUFO目撃のねつ造には注意

幸いなことに、今はもう宇宙人やUFOは常識になってきています。理解を示す人も多いですし、広まりをみせています。もう半ば「常識」の感もあります。

ですので、ブログなどでも、個人で体験したことを書いたり言ったりする人も出てきています。これはよい傾向だと思います。

ただ一つ、注意しないといけないのが、それが本当かどうかということですね。

証拠云々は別にいいのですが、その体験が本当なのか、それとも勘違いや錯覚なのか、といった点です。

案外、勘違いや錯覚も無きにしもあらず。欲が関わると、自分で妄想を生み出したり、自分に注目が集まるように話しを大きくしてしまったり。

ここれは注意ですね。また、こうした点の見極めは必要でしょう。ですが、この見極めがまた大変なところがあります。

UFO目撃の体験の意味を検証する

結局、最初に戻ってしまいますが、信じる・信じないの世界になってしまいます。それと自分で体験したことが全てになってくるような。

ただ、宇宙人やUFOの体験で大切なことが一つ。その体験で、「自分の精神性が高まったかどうか」という点です。明らかにメンタリティが上昇した場合、その体験は本物であると思います。何よりも有益です。

個人的には、UFO・宇宙人関連のことは、「精神性を発達させる」という一点こそが重要であると思っています。

心と能力。どちらも発達させ拡大させる必要がありますよね。

UFOを目撃したり、宇宙人と接触するのは、人間が持つ心と能力を伸ばし拡大することと、それが可能であることを、彼らが伝えたいからだと確信しています。

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