修道院の修行とシャルトルーズ修道院の映画「大いなる沈黙へ」

2014/12/27 07:01:00

映画「大いなる沈黙へ」のシャルトルーズ修道院

今日、市内の市民映画館で、「大いなる沈黙へ」という映画を見ました。

「大いなる沈黙へ」。
これ、修道院の映画です。

映画『大いなる沈黙へ』
https://eiga.com/movie/79766/

映画の中身や説明は、公式HPに書いてあります。
こちらを読まれると分かるかと思いますね。

とはいっても、映画の中身を言いますと、
修道院の生活のドキュメンタリー映画です。

フランスにあるシャルトルーズ修道院の生活をドキュメンタリーにした映画です。
無声映画に近いですね。

興味の無い方には、宇宙レベルに退屈な映画となること請け合いです(笑)
いや、さすがに私も、途中で少し眠りそうになったくらい。
数秒くらい寝たと思います。
それくらい、眠気を誘う1800円の映画。
 

Youtubeには、映画の予告動画があります。

映画『おおいなる沈黙へ』オフィシャル予告編(公式動画)

シャルトルーズ修道院は11世紀に建てられた

で、「大いなる沈黙へ」。
フランスにある、グランド・シャルトルーズ修道院のドキュメンタリー映画。

実のところ、2006年頃の作品のようですね。
ヨーロッパ映画賞ドキュメンタリー賞を受賞しているとか。
数々の賞に輝いた異色のドキュメンタリーであるとか。

で、日本では、ようやく、今年上映です。
いやはや、なんとも^^;
 

で、映画の舞台となったシャルトルーズ修道院。
フランスにあります。
カトリックの一派であるカルトジオ会に属しています。

1084年に、修道院を建設。
隠者だったブルーノと、その弟子たちのために建てたようです。

男子専用の修道院のようですね。
世界一、厳しい修道院とか。

戒律は原始仏教のほうが厳しい

しかし、厳しいといっても、原紙仏教の戒律のほうがもっと厳しいですね。
原始仏教は、もっと厳しいです。

伝言の依頼、計算、政治に関する発言、そういったことも禁止ですから。
はてまた、花の香りをかぐことも禁止。
他の修行者に触れることも禁止です。

原始仏教における戒律から見れば、
修道院の中でも最も厳しいとされる
シャルトルーズ修道院であっても、
やさしい印象です。

事実、映画のラストの辺りでは、
スキーを楽しむ姿も映されています。
また、ピニクニックに外出したり。
声高に笑う声もあったりします。

で、こういう様子すら、原始仏教では、
問題行動に挙げられます。

戒律の遵守は取り組みを間違えると心をひずませる

あと、戒律を遵守するというのは、
一歩間違えると、心をひずませてしまうこともあり得るのが
知られています。

と教条主義といいますか、形式主義のようになってしまうと、
心を悪くしてしまうことが起きがちです。

ものすごいことに挑戦されてるとしても、
禁欲、抑圧になり、「我慢大会」になってしまうことがあります。
下手をすると、かえって心を歪ませることも。

ですので、修道院もそうですが、戒律の厳しい出家生活を、
教条的に行うのは、よろしくなかったりします。

まず、修行が進まなくなります。
本末転倒な現象が起きるんですね。
実のところ。

修習では形式主義や教条主義は御法度

シャルトルーズ修道院の様子を見ていますと、
ちょっと、こういうのが気になったものです。

いえいえ、戒律を守ることは、なかなか出来ることではありません。
挑戦すること自体は素晴らしいと思います。
が、「何が目的、目標か」、ですね。

修習の点において、形式主義や教条主義になってしまいますと、
屈折したかたちで、下品になっていくことがあります。
抑圧、禁欲になり、意識下に煩悩を封じ込めるからですね。
 
「自己を神に明け渡す」ということを、
意識の変容を伴いながら習修していきませんと、
戒律がかえって足かせになってしまいます。

ここを理解した上で、指導するならまだしも、
型式主義や教条主義に徹してしまいますと、
とかく問題が起きるようになります。

戒律の本当の実践は「神との合一」を実現してから

厳しい戒律は、実のところ、
「神との合一」や、強い心が培われて、
初めて真正面から向き合って取り組むことのできる
テーマでもあったりします。

もしかすると、シャルトルーズ修道院では、
「神との合一」を実現されている方はいらっしゃらないか、
少ないかもしれません。

いや、実際のところは分かりません。
その厳しい「規則や決まり」が、
かえって障害になってはいないかと。

努力し、目指すことは尊いことです。
が、大丈夫であろうかといった気もいたします。

「神との合一」とはサマーディ・禅定

ちなみに、原始仏教では、
「修道院ではゴールとしている最終境地」がスタートになります。
「神との合一」がスタートということですね。
え!と思うかもしれせんが、これ本当。

修道院での修行(観想修行)は、「神との合一」を目指します。
この「神との合一」は、実のところ、サマーディであり、禅定です。

こうした境地は、原始仏教では、「ようやくスタートラインに立った」としています。
ここからが、本格的な修行のスタートとしているのが、原始仏教のスタンスです。

修道院での「浄化」「照明」「合一」の修行過程は秀逸

修道院にも、素晴らしい点がいくつかあります。
「神との合一」というアプローチそのものが、実は秀逸だったりします。

また、修道院での修行過程は「浄化」「照明」「合一」の三段階となっています。
合一(サマーディ)の前に、「浄化」「照明」を持ってきている点が、
実はよく考えられている点あったりします。
安全装置です。

仏教では、いきなり「合一」、つまり、サマーディや禅定を目指します。
が、実のところ、ここに至るまでが、結構大変だったりします。
あれやこれやとの問題も起きやすかったりします。

最初は心の歪みを取って浄める「浄化(暗夜)」

その点、修道院では、まず、心と知性をクリヤーにするために「浄化」を実践します。
浄化は、別名、「暗夜(あんや)」ともいいます。

自己を深く深く見つめて、懺悔し、心と知性を浄めていきます。
この過程において、心と知性の暗部が吹き出るようになります。

また、無自覚のままであった潜在意識に潜む心と対峙します。
心の歪みが除かれます。
謙虚さを体得し、神の僕となる基礎が作られます。

次は神の存在を体現する「照明」

「浄化」の過程を正しく経ると、神を体験し、神の存在を実感する「照明」に入ります。
概念や観念ではなく、神の存在を実感する段階です。

「照明」は、「霊性の開眼」ともいいます。
目には見えなくても、偉大なる存在を感じ、霊性に目覚める段階ですね。

「照明」の段階は、現代人には理解し難いかもしれません。
特に、左脳思考が強く、目に見えないものが信じられない方になると、
「照明」の段階は大きな障壁になるかもしれません。

信(サッダー)という心が浄まることで体感する神の存在

けれども、心を浄め、意識を発達させる修行の世界になると、
神の存在を実感するスピリチュアル的な目覚めや感性は必須になります。

といいますか、心と知性がクリヤーになっていくと、自ずと判るようになると思います。
このクリヤーになることを、仏教では「浄信」または「信(サッダー)」といっています。

心がクリヤーになり、素直になっていきますと、「信」が確立されるようになります。
神を実感し、また輪廻転生の実在も感じられるようになります。

こうした霊性の開眼無くして、心の成長はあり得ないとすら思います。
目には見えない、偉大な存在、神を実感できることが、
実は、極めて重要だったりします。

自らの中に神を実感し一体を感じることで徳育が可能

実は、「浄化」「照明」の2つの段階を経ますと、
その人の中には、神が宿り、
常に神と一緒であるという実感が生じます。

この「神と一緒」「神を実感している」というのが、
その人に、深いやすらぎと喜び、そして楽天性、希望、博愛
といった美徳をもたらします。

また、観念や概念ではなく、本能レベルでの善悪の認識や基準、
徳を認識できる感性が築かれ、
ここから本当の意味での「積徳」や「徳育」といった生き方ができるようになります。
 

修道院には、このように進んでいくことのできる過程があります。
これがまた、安全装置なんですね。

そうして、これらの心が清まり、神を実感できる土台を元にして、
「神との合一」を目指します。

修道院での浄化と照明は一般社会人でも体現できる

こうした修行過程を経て、ステップアップしていくのが、修道院の特徴です。
もっとも、実際は、もっと複雑になっているようです。
ポイント、骨子を挙げれば、このようになるようです。

仏教からみれば、「スタートラインを目指しているね」と言われそうです。
それでも、修道院の修行階梯は、目を見張るものがあると思っています。

なんといって、浄化と照明の2つだけができても、
一般社会人としては、相当なメリットがあります。

観念や概念ではなく、本能レベルで「善悪」が分かるだけでも福音となります。
また、神を実感できることから得られる様々な美徳は、
何物にも変えがたい「精神的な宝」となります。

この「精神的な宝」を羅針盤にして、苦難や苦悩に負けることなく、
また決してめげたり、ネガティブになることなく、前向きで希望を持ち、
楽天的に、徳に基づいた生き方ができるようになりますので。
 

こうした視点や配慮は、仏教などにはありません。
いえ、あるにはあるのですが、明確にはなっていません。
そのため、気づかれにくくなっています。

あと禅宗に至っては、体育会系のノリでやってしまうところも多いものです。
体で分からせるという所があります。
これが一種の伝統になっています。
染まってしまうと、この臭いが分からなくなります。

その点、キリスト教の修行過程には、安全装置や配慮がなされていると思います。
修道院の観想修行のポイントだけでも素晴らしいと思いますね。
もっとも、詳しく見ていくと、いろいろと問題もあるようですが。

で、そういう修道院です。
映画「大いなる沈黙へ」の舞台が、
シャルトルーズ修道院ということですね。

ここは、フランスのアルプス山脈にあるようです。
映画を見ても分かりますが、寒冷地ですね。
雪に多いですし。

で、映画「大いなる沈黙へ」のことは、こちらのブログがいいんじゃないかと。

映画『大いなる沈黙へ』 – charisの美学日誌

「大いなる沈黙へ」は、DVDにもなっていますね。
また、「沈黙すればするほど人は豊かになる」として、
ラ・グランド・シャルトルーズ修道院の奇跡を記した書もあります。
これらはぜひとも見てみたいですね。