丹田の活性とあるがまま

10月の初めに、
瞑想(というよりも今は坐禅)
をしていたときに、突然、下腹部が
ストンと落ちる感覚が生じましてね。

「なんだこれ?」
と思ったのですが、
この時以来、意識が丹田辺りに
留まるようになっています。

坐禅を始めると、自ずと意識が
下腹部に留まります。

意識しなくても腹部へ。

で、これがそのまんまな状態に。
ただある状態。

どうやら丹田への気が
少し活性してきた感じです。
 

気やエネルギーは、
意図的に活性しないほうが良い
というのが私のスタンスです。

慈愛・ハートに生きていれば、
気・エネルギーは自ずと
活性する性質があります。

このことは体験をすれば納得なことです。
が、体験がないと、
どうしても操作してしまいがち。

一般的な気功とかチャクラ開発が
これです。

気やエネルギーを開発する目的で行う
気功とかチャクラ瞑想は、
どうなんだろうか、
と感じるものがあります。
 

同じようにヒーリングも。
意図的に行うヒーリングがあります。

マントラやシンボルを手がかりにして、
ヒーリングエネルギーを感じたり。

創造主とつながり、
そこからエネルギーを感じたり。

こうしたテクニックも
一つのやり方でしょう。

が、あんまり賛成は
できないんですね。

なぜならDoになるからです。

Do。
する。
意図的に行う系です。
 

で、Do系は、実は何かと
問題が出てきたりします。

創造主とか宇宙意識とか真我とは
リンクしないんですね。
リンクした気分になりますが。

創造主、宇宙意識、真我と
リンクするためには、
瞑想がおすすめです。

あるがまま、
気づきの瞑想、
自己観察ですね。
 

で、この手の瞑想をしていくと、
悟るための禅に
シフトするようにもなります。

究極は禅です。
禅。

禅といっても、
99%の禅はダメ。
本当の禅であることが大事。
 

ちなみに悟りと、
創造主・宇宙意識・真我とは違います。

まったく異なります。

悟りは認識の有り様が変わります。
創造主・宇宙意識・真我とは
関係がありません。

てか、創造主・宇宙意識・真我は、
まだ認識がある状態です。

創造主・宇宙意識・真我を
認識している自分がいます。

だから悟りではありません。
悟りには至りません。

そもそも悟りに至る
という表現がおかしんですが^^;
 

そんなこともありますが、
気・エネルギーは、
自ずと活性していく性質があります。

で、少しずつ活性もしていくようになります。
このことは大事なことだったりします。

つまり「何もしない」
ということなんですね。
Beです。

で、Be系こそが
本当の歩みだったりします。

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