不干渉の原則~世界が平和になり人間関係も円満になる法則

不干渉の原則

ここのところ紹介しているオムネク・オネクの本。なかなか鋭いことが書いてあります。

この本が「真実」と思えるのは、鋭く、かつ的確な哲学が述べられていることもあります。

この本で述べられている素晴らしい指摘、その一つが「不干渉の原則」というものです。

「不干渉の原則」。
これは文字通り「干渉しない」ことであると。

金星人ら宇宙人は、「干渉しないルールを守っている」と。それが「不干渉の原則」と。

干渉しないことで、平和を実現し、心を成長させ、文明を進歩させているというのです。

これはかなりハっとさせられる「教え」です。
一見すると、ふーんと思いがちです。
また干渉しないと、我がまま勝手になるんでは?
といぶかしく思う人もいるかもしれません。

しかし深い。
いろいろと考えさせられる卓越した考え方であると思います。

干渉とは?不干渉とは?

不干渉の原則。

◆干渉とは
・自分の考えや見解を押しつけること
⇒相手に対して、このようにすべきだとして押しつけること

⇒相手のしていることを間違っているとして押しつけること

⇒ある基準やものの見方を持つべきだとして押しつけること

※そう「思うこと」も本当はよくないようですが、ハードルが高い所もあるので、ここは保留

・相手が求めていないのに手助けしたりアドバイスをすること
⇒親切の押し売り、おせっかい、世話の焼きすぎ

◆不干渉とは、
・干渉行為の逆
・個人の体験を尊重すること
・それぞれの人が、そのレベルに応じて、必要な学びをしていると認識すること
・相手がなぜそのように行動し、考え、感じているのかを理解すること

※p299に記載
 

素晴らしいですね。
「優しく見守る」といってもいいでしょう。良いことであっても、相手に押しつけないということでもあります。

「奇跡のリンゴ」の木村秋則さんの自然農法にも通じます。リンゴを育てるのではなく、「育つように見守る」というスタンス。

唸りますね。
バランスのある、人との距離感を、見事なくらい言語化し概念化しています。これぞ、「バランスのあるスタンス」でしょう。

普通は、こうしたことを「批判しない」といった言い方をします。
あるいは、「個性を尊重する」「相手の意見を理解する」など、大雑把だったり抽象的な表現になりがちです。

しかしオムネク・オネクの「不干渉」というほうが的確です。

本当、見事な表現です。
微細な感性を踏まえた言い回しです。

発想の転換といいますか、デリカシーがあり、深く掘りさげられています。

「干渉しない=無関心」ではない~愛を持って個々を尊重する

しかし「不干渉の法則」と聞けば、中には
「はて?」
と疑問に思う方もいるかもしれません。

「不干渉って、要するに、相手を無視したり関わらないことじゃないの?」と。

つまり

干渉しない=無関心

と。
おそらく、このように受け止められることも出てくるでしょう。
 

しかし、オムネク・オネクが述べるニュアンスは、こうした「個人主義の姿勢」ではありません。違いますよね。

「愛が基盤にあって、その上で個々を尊重する」という意味です。これが「不干渉」。

「愛を持って個々を尊重する」
という意味なんですね。
「優しく見守る」という意味です。

「愛」が無ければ、何事も成立しません。
「愛」は大前提になりますね。

ですから、瞑想でも、四無量心やワンネスといった、純粋な愛を求めていくのでしょう。求めるというか、必須であり必然の体験になります。

愛が基盤となっている「不干渉の原則」は、本当に見事な言い回しであると思います。

「積極的に他を理解する」よりも「優しく見守る」

さらに、これが絶妙な言い回しであると思うのは、「積極的に他を理解する」というのではなく、もっと実現可能なハードルに下げている点です。

相手のことを充分理解できなくても、干渉しなければ、それで事は足りる、という法則にしてある点です。

しかし、くどいようですが決して「無関心ではない」ということですね。「優しく見守る」といった「愛」に支えられているという意味です。
 

ところで「愛」といえば、普通、「積極的に他を愛する行動」と思われています。また、そうするのが良いし、目指すものだとする方もいます。

しかし、いたずらに積極的に人に愛情をかけるのも「ありがた迷惑」になることも多々あります。「親切の押し売り」もそうです。

こういうのは、本当に迷惑だったりします。こちら側の意向など無視しているわけですから。本人は「善いこと」と思っているだけで、一方的なんですね。

「不干渉の原則」とは、こうした親切の押し売りを起こさない内容にもなっているわけです。言い換えれば、「積極的とされる行動に内在するエゴ」をも排除する言い回しといえます。

単に「個人を尊重する」という大きな言い方でもありません。的確かつ微妙なニュアンスも含まれている素晴らしい表現です。

議論にみる「愛と温かさのある話し合い」~日本人の議論下手は良いこと

関連して思ったのが、「日本人の議論下手」です。よく「日本人は議論が下手」といいます。もっと議論に上手くなるように、などという指南されるときもあります。

しかし、「議論が下手」「議論をしない」ということは、本当は「良いこと」なのでしょう。

議論は、お互いの意見を出し合って、すり合わせると考えられています。しかし実際は、価値観や意見の投げ合いやぶつけあいの所があります。お互いの価値観や意見をぶつけ合って、そしてすり合わせます。

まさに「自分の考えや見解を押しつけ合う」行為で、干渉しまくりです。干渉しあって、理屈の上でお互いが納得できる「結論」の持って行く、感情を無視した乱暴な行為なのですね。本当は。

議論の際、感情的にならないように調整するわけですが、それはなかなかできないものです。

感情を押し殺したり、理屈モードに切り替えるのですが、その実は「平気なポーズ」を決めていることが多いものです。本当は、心がピキピキしているわけです。

こうしたことを続けていくと、抑圧となり、シャドーを生み出していきます。議論というものは温かさがなく、硬くなる性質です。

理屈が巧みになることはあっても、心の成長にとってはマイナスな行為だったりします。

もっと「ゆるり」とした感じで「話し合う」というのなら別でしょう。しかし通常、これは議論とはいいませんね。

一般的な議論とは、価値観や意見の応酬合戦でもあります。この闘争を、闘争を思わず、冷静にしていろ、というのが議論という行為です。

結局、こうした西洋的な議論のやり方は、デリカシーに欠け、感情を逆撫でにする、野蛮なやり方なのでしょう。感受性に欠けた、鈍感な人の行動様式ともいえます。

こうした「議論」というのが、日本でもかなり普及もしてきていますし、当たり前のようになってきています。中には、こうした慣習に慣れたせいもあって、議論を吹っかけてくる人もいます。

しかし感情を隅に追いやった議論になれると、何かとトラブルメーカーにもなっていきます。理屈っぽい人とか言われ出します。

議論はしないほうがいい。
するなら「話し合い」。
愛と温かさのある話し合い。
宇宙的な原則からすれば、議論はするもではありませんね。

もし議論をするなら、議論を求めている者同士で行うもの。議論を求めていないのに、議論に持ち込むことは、やめたほうがいいでしょう。

「日本人が議論下手」というのは、実のところ「不干渉の原則」という、宇宙的な法則に、気がついているからではないかと思います。

そして無意識のうちに従っていたのではないかと。おそらくそうだと思います。

ですので「議論は下手なまま」でいいわけです。こんな野蛮な行為が上手になっても、あまる意味がありません。理屈に長けるかもしれませんが、そういうのは自習して得意にもなれるものです。

何も相手に議論をふっかけて「さあ、哲学的思惟をしようではないか」と某ソクラテスのような野蛮なことはしなくていい。

日本人の感性は優れていると、常々思っていますが、「議論を避ける」「議論ではなく話し合い」といった嗅覚も、優れた感性もその一つだと思います。

「不干渉の法則」は世界から争いを減らす

「不干渉の法則」に則れば、世界から争いが減ります。身近な所では、人間関係が円滑になります。人との間でも軋轢が少なくなり、パーソナリティーもまっすぐに育っていきます。素晴らしい教えであり、実践です。

しかし「干渉しないでいると、我がまま勝手に育つぞ」と言う人もいるでしょう。ですが、「愛」に支えられているなら、それはありません。また、本人が愛に気付き、愛を体験するようになると、方向性は確実になります。

キリスト教で「愛」を説くのは、「愛」が全ての基盤になることが分かっているからですね。

仏教でも修行の要点・軸に「慈悲」を重視しています。仏教は冷淡だと思われる向きもありますが、これは違っています。

お釈迦さまは「比丘(修行者)の心は梵天の心であるように」といっています。

梵天とは、神々の中でも最高の神で、四無量心といった、いわばキリスト教で言うところの「愛」としての大天使です。仏教でも「愛」を軸に据えているわけなんですね。

何をおいてもまずは「愛」。

普遍的な「愛」の感性を養うことですが、こうした感性の上に「不干渉の原則」が培われると、世界は平和になり、人との関係においても軋轢や悩みは減り、文明は健全に進歩していくのでしょう。

先述の通り、木村秋則さんの「自然栽培」に通じるものがあります。

「不干渉の原則」は「あるがまま」と本質は同じ

オムネク・オネクは著書の中で、こうしたことを述べています。40年前にです(出版は20年前ですが)。

普通ではありませんね。深みがあって、繊細かつ緻密でバランス感覚のある言い回し。普通の人にはできません。

ですので、オムネク・オネクの体験記も本物ではないかと思うわけです。もちろん、これだけではありません。他にも有益かつ素晴らしいことが書いてあります。

ちなみに原始仏教では、こうしたことを「あるがままに」と言っています。禅宗でも「あるがままに」と言っています。

しかし、この「あるがままに」ということを、もっと掘りさげ、分かりやすく、かつ的確な言い回しにしてあるのが「不干渉の原則」です。

向上心のある者であるなら、「不干渉の原則」は有効です。優しく見守りながらの成長をうながせる「教え」になります。

オムネクは、こうしたことを絶妙な言い方をして指摘しています。

「不干渉の原則」。

本当、この通りです。
とてもハっとさせられて、いろいろと考えさせられます。

素晴らしいの一言です。

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