真我意識の特徴

真我意識(一瞥体験)の特徴

一瞥体験(真我体験)には、慈悲への目覚めのほかに、いくつかの変容が起き得ます。たとえば、

・意識の拡大
・世界が私という意識
・私はない
・善・徳の体感
・思考・観念を道具で使う感覚
・絶対的に救われた感覚

という感覚ですね。実のところ、これらはすべて同じことをいっています。体験者によって表現の仕方も違ってくる場合もあります。

真我意識一色にならない

ただ、ここで注意があります。こう書きますと、意識のすべてがこのように変容したかに思われるかもしれませんが、それは違いましてね^^;

こうした意識が感じられるようになる、自覚すると感じられるようになるということなんですね。永遠に真我意識のままということではなかったりします。

意識の背後に真我意識(大いなる存在)がある感覚

もちろん意識の背後に真我意識があることはわかっています。

常に真我意識一色ではないということです。

ちなみにエックハルト・トールは、これを「大いなる存在」というテクニックとして使っています。

心は無常

そもそも心は常に変化しています。心は永遠に一定していません。

なので高次の意識も一定しないんですね。どれだけ安定するかはまた別の課題になります。

その変化する心の中で、このような意識が自覚されるようになるということです。それ以前とは変わらない心や個性、習慣などもあります。

けれども全般的に平和的で穏やかで幸せな感覚というのは続くようになると思います。

真我意識では苦しみは根絶しない

なので、怒ったり、不機嫌になったり、嫌なことに反応して悶々としたりすることも起きますし、苦しみが続くこともあります。

私もそうです^^;もっとも以前よりは減りましたけどね。特にテーラワーダやアドヴァイタ、禅を修行するにつれて減っていきましたが、それでもこういう部分があります。根絶しません。

で、真我体験では苦しみは根絶しません。深まりの度合いによっては苦しみが弱く感じられることになっても根絶はしません。

たとえていえば「無色界禅定」のような状態ですね。限りなく苦しみが少なくなっている状態。ここまでは行くことができると思います。

なのでブッダは、真我意識に満足できず、解脱・悟りを求めたわけですね。真我意識も尊いのですが、苦しみからの解放は起きないからです。

真我意識は深まる性質がある

真我意識にはそういう性質がありますが、ところで一瞥体験が起きた後、適切な有り様であるならば、真我意識は深まっていくようになります。

真我意識は深まる・馴染む性質があります。で、深まる秘訣は「ただある」ということになります。

真我意識の深まりを止める要因がある

マズいのは、強い目標を掲げて、それに向かう姿勢です。目標を掲げること自体は悪くないのですが、強い目的意識を掲げると、成長(深まり)は止まります。

また何らかの思想、イデオロギーを強く信奉するのも深まりを止める要因になります。

体験を自覚しないと、違和感を憶えながらも習慣や慣習にしたがった行動をとり続けます。ここが意外と知られていない問題だったりします。

真我意識の成長と止める要因はほかにもありますが、マインドが強い、スピリチュアル的な妄想に走る、欲望欲求に忠実になりすぎるというのは、体験後も同じように障害となります。

で、こうしたことは一瞥体験(真我体験)を自覚しないと起きやすくなります。自覚しても起きることもあるようですが。

この辺りについてはステファンボディアンの「今、目覚める」にいくつかの事例とともに注意点が述べられています。一瞥体験は、その体験後の適切な生き方や処世術があります。

が、このことを知りませんと真我意識の成長は止まったままになります。

真我意識はグラデーション

あとほとんど知られていないことですが、真我意識はグラデーションです。どういうことかといえば、こうした真我的な意識が20%の人もいれば、40%、60%、80%といういった具合に、人によって違うということです。

これが一瞥体験の「深さ」の違いになります。一瞥体験をしても浅い・深いの違いがあります。

浅い体験の場合は、変容まで起きないと思います。体験だけが残るのは、浅いケースだと思います。

何度も紹介している綱島梁川の体験は、一人の上に、浅い・深いの体験が短期間のうちに起きていて、大変興味深い体験となっています。

で、いわゆる覚者といわれている人は、真我意識のウェイトがかなり大きい人じゃないかと思います。

で、これが以前に書いたリチャード・モーリスバック「宇宙意識」に出てくる「意識の三構造」のことになってきます。

実のところ、ここの理解はとても大切なことになります。

ルアンポーティアン派の気づきの瞑想はおすすめ

あとルアンポーティアン派の気づきの瞑想は、気づき(感受力と洞察力)を高めながらも、受容力(ハート)を高めるようになっています。

気づき(感受力と洞察力)だけが高まると、暗夜にひどく陥ったり、暗夜に陥らなければ自己否定感が強くなったり、ドライな人間になったり、クセのある人間になるおそれがあります。

実のところダークサイド系の覚者が、これです。

しかしルアンポー・ティアン派では、受容力(ハート)を並行して育むようになっていますので、気づき(感受力と洞察力)による悪影響を緩和するようにできています。

なので暗夜に陥りにくい、仮に陥っても比較的軽度で済むようになります。健全な社会性とも親和性が出てきますしね。

ルアンポー・ティアン派の瞑想は、まさに実践に基づいて考案された瞑想です。安全設計がほどこされています。

手動瞑想をしなくても、コンセプトだけでも参考になると思います。ルアンポー・ティアン派の要領で観察を行うのはおすすめです。

真我意識のまとめ

結局、真我意識は、

・どれくらい開けたのかは人によって異なる
・人によって異なるが、真我の特性を感じるようになる
・しかし心は常に変化しているので、意識そのものが真我状態であり続けることは無い

といったことになります。

で、こうした違いがあります。なので元々自我意識が強い人の場合は、体験を自己顕示に使ってYouTuberになったりする人も出てくると思います^^;

また

・悟りは、ゼロか100
・真我は、グラデーション

ということですね。

悟りは、悟った悟っていないがハッキリします。真我は、人によってウェイトが違っています。深さも違っています。

なので悟りと真我は違いますね。深い真我になると、一見すると悟りぽく見えますが、悟りではないということですね。

で、真我意識には、このような特徴があります。で、こうした意識ですので「悟りではない」と言えるんですね。実際に悟った人と話しをすると、真我意識は悟りでないことがわかります。

で、世間で覚者といわれている人の多くは、真我意識のウェイトが大きくなった人で、実際のところは悟っていません。

真我体験と悟りとの違いは知っておいたほうがいいと思いますね。

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