霊能力を得る秘密~禅定と心の浄らかさ

霊能力には禅定と心の浄らかさが関係している

霊能力。
霊能力には禅定と心の浄らかさが関係しています。
今日はそんなお話しです。

で、霊能力といえば霊能者。
霊能力を持った人です。
時々聞きますね。

で、霊能力。

禅定と心の浄らかさが関係するメカニズムで発動します。霊能力については、おおよそ解明はされていますね。

霊能力が得られる深い瞑想状態

瞑想をしていますと、霊能力的なことがなんとなく分かってくるものがあります。

特に禅定、あるいはサマーディに達すると、人によっては超能力のようなものを発揮する場合があります。

霊能者とは、信じている神への祈祷や祈りによって、サマーディのような状態になっている場合があります。このときに一種の通力を発揮します。

神通力・霊能力は第四禅定で得られる

もう少し詳しくいいますと、神通力というものは、誰でもできるものではないといいます。

第四禅定という深い瞑想状態(サマディ)に入ると、正真正銘の神通力や霊能力が出てくるといわれています。

なので、日本でも昔の奈良時代、平安時代では、山岳修験道を中心に、通力や験力を得るために、禅定の瞑想修行をしたわけですね。

通力を持ち、天皇の病気を治したことで異例の出世を果たした奈良時代の僧道鏡は有名ですね。

けれども、第四禅定という深い瞑想の境地に入っても、神通力が出る人、出ない人がいるといいます。

第四禅定は心が停止した一体感の状態

第四禅定というのは、瞑想が深まり、心の働きがほとんど停止し、「一体感」だけがある状態といわれています。

想念、想起する心が無く、ただ一体感だけのある状態といいます。

禅定に入っていくに従い、人間の表象作用や思考というものの実態が分かってくるのでしょう。

思考とは、実に巧みに作られたエネルギーの物質化でもあって、普段は、思考が物質であることすら気付きません。

そうして、無意識のうちに概念化し観念化し、言語化し、これを組み合わせて物事を思惟します。

このプロセスそのものが、普段は見えません。ですが禅定に入ると、これが見えて来くようです。

で、こうした超常的な能力に神通力や霊能力もあります。

汚れた状態でもサマーディのようになる場合がある

しかし、本当のサマーディ、禅定に達していない場合もあります。

心が不浄なままサマーディのような状態になることがあるのですね。

これを「ミッチャー・サマーディ」といいます。
日本語でいえば「邪定」。
心が不浄なまま精神統一された状態です。

意外と、このケースがもあったりします。
心が汚れているにもかかわらず、精神が統一してしまうケースです。

荒行・激しい修行は心を汚す

これは荒い修行をしたり、心の力で強引にやってしまうケースに多かったりします。

たとえば修験行者には、この手の通力が出てくることがあります。

破天荒な修行をしてきた禅僧が、神通を発揮するケースももこの場合があります。

超能力や霊能力は、心が汚れていても、変性意識と精神集中(統一感)になれば、発揮されることがあります。

心を張り詰めて緊張状態にしたり、怒りや恨みやど根性であっても、霊能力が出てくることがあります。

マニュピューラチャクラを弱める荒行・激しい修行

昔はこうした激しい修行修行が多かったようです。
けれども、この状態で生じた霊能力は、諸刃の剣であると、これまた昔から言われています。

なぜなら荒行や激しい修行は、マニュピューラチャクラを弱めてしまうからです。

弱まったマニュピューラチャクラというのは、アストラル界との接点のバリアを壊してしまった状態です。だから霊能力が出てくるんですね。

なので、この手の超能力には気をつける必要があります。激しい修行をする裏側では、強い執着心があることも少なくありません。

強欲であったり、人を騙す気持ちがあったり、性格が酷い人であっても、霊能力的なものを身に付けることができてしまうこともあります。

危険な通力・超能力への戒めは昔からある

こうしたことは、昔からいわれています。

何も最近になって言われていることではないんですね。「超能力や通力があるからといっても、その人の心が清らかとは限らない」ということなんですね。

昔は、不浄な心を持った通力人や力を、魔性の者、魔性の力、動物霊の仕業とか言っていました。

本質は、心が不浄なまま集中した状態から発動している力になります。

力があるとされた修験行者や禅僧に、クセに強い人が多かったのは、こういう理由からです。

心が清まらない状態でも、変性意識と精神集中があれば、一種の超能力を発揮することができます。

仏教で推奨する霊能力は心の浄らかさから生じる

ところで古い仏教である原始仏教では、超能力を戒めることが書いてあります。
その理由は、上記のことと関連しています。

仏教で推奨する超能力は、心が清まった状態から発動するものになります。

浄らかな心から生じる特異な能力、
これこそがお釈迦さまが言われていた霊能力や超能力になります。
つまり、悟りと関係があるということですね。

「六神通(ろくじんつう)」がこれです。

ブッダが説く六神通とは?

六神通(ろくじんつう)

  • 神足通 (じんそくつう) ・・・神秘的な能力、サイキックな超能力
  • 宿命通 (しゅくみょうつう)・・・自分の過去世を自在に見通す能力
  • 他心通 (たしんつう)・・・他人の考え、感情、本質を読み取る能力
  • 天眼通 (てんげんつう)・・・霊界を見通しあらゆる生き物の生まれ変わりを見通す能力
  • 天耳通 (てんにつう)・・・テレパシー能力
  • 漏尽通 (ろじんつう) ・・・煩悩が無くなったことを見通す能力

霊能力や超能力は、見ていて面白いものですので、興味も惹かれやすいのですが、この力を発揮している人の心の有様が非常に重要ということなのでしょうね。

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