気づき・プレゼンスの真実

プレゼンスとは、実は、誰もが経験していることだったりします。

ポカンとして、ただ見ているとき。
感動して見入っているとき。

こうした状態のとき、プレゼンスにあったりします。

ただ、プレゼンスでは、これらの状態にあることを「自覚」している「自覚できる」必要があったりします。

ポカンとただ見ていることに「気づいている」。
感動して見入っていることに「気づいている」。

この状態ができるのを、プレゼンス(知性・認識の悟り)といっています。
 

プレゼンスは次第に色濃くもなっていくようになります。だんだんと深まりを見せていく。

その感覚は、まさに「空」。
空性の認識が、プレゼンスだったりします。
知性が絡んでいる。
その知性が、空性を帯びている。
そういう言い方もできます。

空の意識がもたらす「認識」が「気づき」。
プレゼンス。

この状態にあるとき、行っていることに「気づいて」います。思考し、感情は動いているものの、それは目撃し続けています。

そういう意識といいますか、意識状態があらわれてくる。
 

このプレゼンスの意識がダイナミックに体験するのが、いわゆる見性体験。

一瞥体験では、一時的に体験するだけです。
元の木阿弥に戻ってしまいます。

しかし見性体験では、それが残ります。
空が残る。

空が残るというのは、つまりプレゼンスです。
気づきの意識が自分の中に色濃くなる。

ポカンとして、ただ見ているときの、あの意識状態が自覚できる。「自覚できる」という点に特徴があったりもします。

ちなみに本当の悟りは、プレゼンスではありません。違います。認識が変容します。苦しみが無くなります。一瞥体験、見性体験とも異なるのが悟りです。
 

プレゼンスだけでは、意志の問題、感情の問題が未解決のままになります。

自分を立てたり、自己主張をしたり。
怒ったり、欲しがったり、嫉妬したり。
そういうのが未解決のまま残っています。

しかし自分という認識は吹っ飛んでいますので、意識の根底において「自己」がありません。

なので自分を責める、自分を否定する、自分がダメと思う、といったネガティブな心は姿を消していくようになります。根底に自分意識が無いからです。

ただ残りカスがあって、習慣から「自分」というのが時折、出てきます。しかし、時間の問題で、やがて「自分意識」は消えていくようになります。
 

が、自分意識は希薄であっても、意志の問題、感情の問題は未解決のままということですね。

ここがややこしい。
本人すらわかっていないことがあります。

まして第三者の他人がわかるのは困難です^^;ややこしい。
 

意志の問題の解決には、丹田意識の活性と広がりと関係があります。感情の問題の解決には、ハート意識の活性と広がり。

で、プレゼンスの背後には、アジナーチャクラが関わっています。アジナーチャクラが活性したからプレゼンスが強くなるのか、プレゼンスが強くなるからアジナーチャクラが活性するのか。鶏が先か、卵が先かと同じです。

いずれにしても、プレゼンスには、アジナーチャクラ、それとサハスララチャクラが関係しています。
 

しかしアジナーチャクラといっても、それは松果体のように霊能力や超能力とは直接関係がありません。

プレゼンスと関連するアジナーチャクラは視床です。視床の活性と、空意識は関係があります。

もしかすると、空意識は、エテールボディにおける視床の位置と関係があるのかもしれません。

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