崇高なキリスト教徒【テルトゥリアヌス護教論より】~社会的困窮者の救済にいそしむ

崇高なキリスト教徒

キリスト教は複雑怪奇です。成立の歴史、聖書、教義、周辺事情も複雑怪奇。で、教団内の構成も一筋縄ではいきません。

キリスト教は4世紀末までローマ帝国から迫害を受けます。この理由は、当時のローマ帝国内の慣習に従わなかったことが大きな原因だったといいます。そのためカルト認定もされてしまったと。

テルトゥリアヌス「護教論」の報告

しかしキリスト教徒の中には非常に崇高な気持ちを持って活動していたことが「テルトゥリアヌス」護教論に残っています。

テルトゥリアヌスはキリスト教の神学者です。著書も残しています。

テルトゥリアヌスの報告は護教の観点がありますので、キリスト教徒をひいき目に見ているところがあると思います。その点は念頭に置く必要があります。

が、しかし以下に紹介するキリスト教徒の活躍は、アウトラインはおおよそ、テルトゥリアヌスの報告の通りではないかと思います。

困窮者の多い時代

2世紀のテルトゥリアヌスの護教論によれば、当時は困窮した人々も多く、物乞い、売春、窃盗で生活していた人が多かったようです。

こちらにも書きましたが(⇒悪政インフレが続くローマ帝国時代)、当時は悪政により高インフレが続く時代小麦一袋が1日の稼ぎ代という高インフレ社会。日々の生活ができるかどうかも怪しいレベル

したがって、物乞い、窃盗、売春が起きるのもやむを得なかった時代だったわけですね。

社会的困窮者を救済するキリスト教徒

しかしキリスト教徒は社会的困窮者に対して救済活動を行っていたといいます。たとえば、

  • 寄付活動
  • 孤児を支援(ゴミ捨て場に捨てられた子供もいた)
  • 困窮者へ食糧、薬を提供
  • 困窮者にも親切にして慰める
  • 身寄りの無い者が亡くなったなら遺体を棺桶に入れて埋葬

こうした慈善活動です。繰り返しになりますが、この当時は「自分が生きるだけでも精一杯」な時代です。

で、キリスト教徒は、下層身分の人が多く、奴隷、女性、子どもらが信徒。

信徒自身も貧しいのに「寄付」を行う。これを崇高といわずして何といえばいいでしょうか。極めて崇高な様(さま)です。

自分が生きるだけでも大変なのに、キリスト教徒は、このよに身命を賭する思いで、他者救済の活動をしていたということです。これは特筆に値します。

崇高な志を持つキリスト教徒

またキリスト教徒は、非常に崇高な志を持って生活をしていたことが、これまたテルトゥリアヌスの報告にあります。たとえば、

  • 信仰に関する品物の売買はしない
  • 性的な貞操を固く守る
  • 自制心が強い
  • 自己鍛錬に励む
  • 隣人愛に徹する
  • 本物の哲学者に引けを取らない高水準の実践
  • 命を捨てる覚悟を持つ

こうしたキリスト教徒がいたといいます。

しかも上記にあげた各種の善行は、他に強制することなく、すべて自発的に行ったと。自発的な行いが推奨されていたといいます。

驚きます。

キリスト教の歴史などは戦いに彩られていますが、末端の信者は逆に崇高な精神を地で実践していたことがわかります。

死病に対して勇敢に立ち向かうキリスト教徒

で、テルトゥリアヌスの記録によれば、さらには当時、ローマ帝国では感染すれば確実に死亡する奇病(ガレノス病)が流行。帝国内の1/3~1/2が死亡。感染を避けるために皆逃げ回っていたといいます。

けれども一部のキリスト教徒は、感染した病人の世話と看病を行っていたといいます。

が、看病したキリスト教徒も亡くなってしまったと。

こうした姿を見て人々は驚愕したといいます。

聖霊がついているので安心

しかしキリスト教徒いわく「我々には聖霊がついているので安心だ。神は我々を愛しており、その神の愛が我々に愛の心を引き起こすのだ」と。

これはヨハネ福音書の教えに基づいています。

こうした崇高な思いを持って、死病も怖れることなく立ち向かっていったとおいます。

このようなキリスト教徒の崇高な姿と、隣人愛を地で実践する姿に感激して入信する人も多かったといいます。

祈りは尊い

ちなみに神への祈りは尊いものです。私は信仰を持っていませんが、祈りは行っています。

祈りは自分のはからいから離れて、神への帰一に向かいます。そこに自分はなく、ただ神がいます。キリスト教に限らず、祈りとは、自己が拡大したり、神に没入します。

こうした心が、自己の保身を弱くして、ボランティアへと突き進めるメンタリティを培うことは、これまた事実です。

だから「祈り」は大切。祈りは欠かせない。そう思います。

末端のキリスト教徒は教義を知らない

こうした草の根の活動をしていたキリスト教徒は、いわば末端の信者さんです。

で、当時のキリスト教徒は、

  • 聖書の中身は知らない信者が多かった(文字が読めない人が多かった)
  • シンプルな教えと信仰。親切心・隣人愛に徹した。
  • 同じ信仰を持つ者は家族のような集団だった(疑似家族)
  • 仲間への圧倒的な寛大さと親しさ。これに感銘を受けて入信する人も多数。

こういう様だったといいます。

で、こう言ってはなんですが、キリスト教の教義を深く知らないが故に、各人で崇高に解釈したのかもしれませんね。あるいは隣人愛だけを教えとして守り実践していた。

理由はどうあれ、当時の末端キリスト教徒が行った活動の数々は称賛に値します。素晴らしいですね。

長谷川保氏の「聖霊ホスピス」

時代は一気に飛んで現代。しかも日本。

静岡県浜松市には、日本で初めて作られた「ホスピス」があります。ホスピスとは、末期患者の苦しみや痛みをやわらげ、あたたかいケアの中で、安らかな最期を迎えるための施設ですね。

で、このホスピスを日本で初めて作ったのが、クリスチャンだった長谷川保氏。

素晴らしいですね。

で、こうしたハートフルな施設を思いつき、形にできるのがクリスチャンなのかもしれません。

長谷川保氏は福祉に生涯をかけています。その志は、今もな聖霊ホスピスにあるんじゃないかと思います。

実は聖霊ホスピスへ行ったことがあります。

ここはあたたかくも落ち着いた空気が漂っていて、なんとも安らぎを憶えます。「ここが病院施設???」と思うくらい。宗教施設ですね。

事実、施設内には礼拝堂があります。

以前行ったときは朝9時くらいだったので、朝のお祈りの声が聞こえてきましたね。聖書の一節を読んでいたんだと思います。

「なんか、いいなあ」。

信仰とかがなくても、この祈りの空気はいいんですよね。この祈りの空気が昔から好きで、ホスピスに礼拝堂があることに感激したものです。

長谷川保氏は名が知れ渡っていますが、実際は名も知られないクリスチャンのほうが圧倒的に多い。

で、誰に言うともなくひたむきに神と向き合って、ボランティア活動を続けてきたキリスト教徒の歴史が、キリスト教にはあるんじゃないかと。

キリスト教の川岸は流れがゆるい

キリスト教は複雑怪奇です。

川でたとえれば、川の真ん中は逆巻く濁流の如く、流れも速く、足も取られやすい。あっという間に呑み込まれてしまう。戦いの流れに。あぶない。

しかし川岸は流れもゆるく、静かに水をたたえて、ほのぼのとしている。平和的。

名も無き崇高な思いを持ったクリスチャン(キリスト教徒)が多かったためか、キリスト教にはどこか高次の愛の響きがあるように思います。

キリスト教を学ぶと、実際に感じる印象とのギャップが激しく「え???」となります。

が、名も無きクリスチャン達による、人知れない隣人愛の実践が、一種のエネルギーとして残っているんじゃないかと。

名も無きキリスト教徒達の崇高な活動

そんなキリスト教はブラックな面も多いのですが、一方、名も無き末端信徒による慈善活動は多く、ただ残念なことに歴史の記録にはあまり残っていないことですね。

テルトゥリアヌスの報告は、キリスト教びいきのバイアスがかかっていると思います。

できることならキリスト教以外からのレポートがあると、いいですね。

けれども、このような草の根の末端信徒の真心の活動がキリスト教を善き集団として支えていたのかもしれません。

末端の信徒は、キリスト教を深く知らないが故に、各人で崇高に解釈したのかもしれず、なんともいえない不思議な気持ちになる「歴史の妙」を感じさせます。

まさに光と闇のコントラストが際立っている。人間臭い宗教。聖と俗が入り乱れている宗教。それがキリスト教なんでしょうね。

それにしても崇高な志を持った名も無きクリスチャン達の活動を知ると、目頭が熱くなります。

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