マインドフルネスのコツは「心を浄める」こと

マインドフルネスのコツは「心を浄める」こと

仏教では「心を浄めるのが仏教」という言い方もされています。
この「心を浄める」は言葉通りではなく、
複層的になっていて意味も深くなっています。

「心を浄める」ということは、煩悩の浄化ととらえられやすい面もあります。
しかしながら、実際はそうではなく、心の傷やトラウマといったものが
クリヤーになっていくことも含まれています。

また「心を浄める」といいますと、ともすると意志を使って、
道徳的に、品行方正にという理解もされがちです。

そうではなく、瞑想的なアプローチで、
煩悩(感情)のみならず、厄介な心の塊そのものが
溶かされていくことも、もちろん含まれていますね。

で、マインドフルネスでは、心を浄めることが
知られざるコツであり、ポイントになってまります。

感情の溶解が浄化

「いまここ」にいることで、
感情(煩悩)の分解・溶解が起きるということは、
すごく大事なことなんですね。

で、これは「浄化」です。
仏教では「心の浄化が大切」といいますよね。
「七仏通戒偈(しちぶつつうかいげ)」で言われている通りです。

心の浄化力が強いゴエンカ氏の瞑想

で、この「浄化」は、ゴエンカ氏の瞑想が顕著だったりします。
ゴエンカ氏の瞑想合宿(10日間)に参加しますと、
多くの人が、心の傷、トラウマ、こだわり、悪い心のクセといったものが溶解し、
浄化されることを体験しています。

ゴエンカ氏の瞑想は、浄化力が
大変パワフルな瞑想だったりします。

ちなみに浄化は、レナード・ジェイコブソン、エックハルト・トールといった
新進気鋭やアドヴァイタでは当たり前になっています。

感情や思考に巻き込まれていることに無自覚なことが多い

ところで、多くの人は、感情に完全に巻き込まれて生活をしています。
また、思考にも完全に巻き込まれています。

けれども、その「巻き込まれている」「とらわれている」という実感、自覚が
乏しかったりします。
あるいは無かったりします。

なので、ここにまず気づいて、自覚することが大切なんですね。
が、人によっては、その感情なりが塊になっていて、
一種の業(ごう)のようになっています。
普段から、この状態になっている方もいます。

こうなりますと、「常の状態がマズイ」ということに気がつきません。
ですので、なかなか盲点を打ち破ることができなかったりします。
「感情や思考に巻き込まれている」ということに気づけないんですね。
気づいているようで、実際は気づいていない。
そんなことがあったりします。

「感情や思考に巻き込まれている」ことへの自覚が大切

「感情や思考に巻き込まれている」ということに
気づいていませんと、無自覚にありますと、いろいろと支障が出てきます。

たとえば、その人にとっては「自然体」と思っている状態そのものが、
強いミッチャー(邪)だったりします。
リラックスということもわかりにくかったりします。

ですので、まず、「感情や思考に巻き込まれている」ということに気づきませんと、
なかなか瞑想も進まなくなってしまいます。

自分が「牢獄」にいることに、まず気づくこと。
思考と感情に巻き込まれ、振り回されていることに気づくこと。
自分と思っているものが、この肉体に閉じ込められた
小さな存在であることを実感できること。

これらに気づけませんと、最初の「ミッチャー(邪)」と「サンマー(正)」の違いが
わかるためのステップすら進めなくなるかもしれません。

また、進まなくなりますと焦ってしまって、
マインド主体のインスタントな方法とか、
安易な方法でOKであるかのような
甘い言葉に惑わされてしまうことも起きるかもしれません。

「それ」がわかることが大切

以上の話しは、理屈の上では、あるいは頭では、
「なるほど」と理解できると思います。

が、本当にわかるまでには時間がかかったり、
それ相応の修行も必要になるのではないかと思います。

最近は、「何もしない」といったやり方が推奨されています。
「あなたは、そのままでいいんです」といった言い方ですね。

しかし、これは、いわゆる「それ」がわかった人向けのやり方だったりします。
「それ」が「それ」であることがわかならい段階では、
修行を重ねて求める必要があると思います。

こうしたことは、瞑想なりを継続していく中で、
わかってくることが多いとも思います。

もっとも「押してだめなら引いてみる」のたとえの通り、
熱心に修行しても、何もわからないようであるならば、
「何もしない」「あるがまま」一本に路線変更するのもアリかもしれません。

名色分離智に開かれることが最初のステップ

思いますに、第一段階の「それ」に気づくことが、
一番、大きなハードルとなっていたりします。

瞑想の主体に気づき、それを深めていく段階です。
「名色分離智」というものです。

ここをどうやって突破するのか。
ここが最大の関門なのではないかと思います。

ちなみに名色分離智、縁摂受智、思惟智、生滅智といった「智慧」は、
知的な知性ではありません。
現象をとらえたり認識していく知性が智慧です。
ここを勘違いしますと、観念的な有り様から脱却できなくなりますね。

信(サッダー)~浄らかさがもっとも大切

と、まあ、いろいろと書いてしまいましたが、
あんまり、こういうことを言うのは、はばかりますね^^;
ちょっと偉そうに受け止められるからですね。

また、これが絶対に正しいなんていう気は、さらさらありません。
いろんなアプローチがあると思います。

大体、あんまり言いますとね、大概ボロが出たりして、恥をかくことがあります。
静かにしているほうがいいんですね、本当は^^;

ですけど、ここで書いたことは、もしかすると初めて知ることかもしれませんしね。
通常のマインドフルネスとか、瞑想では、聞かないことかもしれません。
読者の多くが、この方面に興味がありそうですので、思い切って書いてみました。

で、くどいようですが、一番最初の段階がもっとも大切だと思います。
第一段階を一言でいえば「素直」といえるかもしれません。
いろんな意味で「素直」になれること。

仏教用語でいえば「信(サッダー)」ですね。
これの原義は「信じる」の意味ではなく、「浄らか」の意味だったりします。
子どものように素直で澄んだ心になること。

で、これがもっとも大切な基盤となるんじゃないかと思います。
でありませんと、自己観察もそうですし、
「あるがまま」に観たり、受け止めることはできなくなるからですね。

素直さ、信は大切じゃないかと思います。

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