霊的成長に関する独り言~神さま、巫病、霊能力

このブログでは、私自身のことは、ほとんど語らず、謎のベールに包まれた状態でブログをやっています^^;

ま、こういうスタンスのほうがいいんですけどね。

しかし今日は、いつもと違って思うところを書いてみようかと。
 

私は昔から、人が幸せになることを考察したり洞察したり、また自分でも試したりして、こういうことを考えたり試すのが好きなんですね。

で、効果があると、周囲に「これいいよ!」とバンバンお勧めしたり^^;

もう、こういうことを何十年とやっていて、で、しあわせになっていく姿を見るのがうれしいんですね。

たのしさもあります。「ああ、やっぱり、この方法って効果があるんだ」と思いますしね。

これが趣味といいますか、娯楽といいますか^^;遊びといいますか。そんなのがあったりもします。

が、一応お断りしておきますが、
こういうのは私の一面です^^;
当然、好き嫌いはありますし、
腹を立てることもあります。

でも、そういう普通の感情とは別に、そんな楽しみがあるってことですね^^

 

こうしたことを始めるきっかけになったのは、10代の頃がメチャ苦しく、つらく、当時はどうやって安らかに死のうかと、それっばっかり考えていた時期があったからですね。

だから、シンプルに
「人は安楽のほうがいい」
「しあわせなほうがいい」
「リア充のほうがいい」
と思うんですね。

これは今でもそう思います。
自分もそうですし、他人もそうです。

なので苦しんでいる人を見ると、
放っておけなくなる所があります。

自分が10代の頃、壮絶苦しかったからです。

あんな思いを、縁のある人がしているのを見ると、可哀想過ぎて、なんとか手助けしたくなるんですね。やっぱり苦しいことやつらいことは嫌ですからね。
 

が、当時は、こういう悩みを抱えながら、
悟りへの強烈な求道心がありましてね。

ものすごい意気込みといいますか。
鬼でした。

てか、さの求道心が、悩みを増幅増加していたんですけどね^^;

で、10代の頃は、とにかく求めて求めて、工夫を重ねながら試行錯誤を繰り返していたものです。

途中で、「あ!こういう姿勢そのものがマズいんだ!」と、天啓の如くヒラメいて、それからはそうい無理なことは控えるようになったものです。

で、20代のはじめに一瞥体験があって、人生観やら性格が変わり始めて、人助けになることが趣味になってきたという塩梅です。
 

こうしたことを何十年と続けていて、新しいことを知り得たりもします。何かの拍子に、新しいことを知るようになることがありますね。

最近知ったのは「巫病(ふびょう)」

神さま(とはいっても低い境涯の神さまだと思うのですが)とのゆかりが深く、神さまに関することを仕事にしないと、不幸がずーっと続いてしまうという、そういう体質の人がいるといいます。

霊媒体質の方に、こうした「巫病(ふびょう)」のケースがあるといいます。

沖縄の「ユタ」がそうですね。
ユタになるためには、生まれながらの使命といいますか、天命があるようです。

で、すんなりとユタにならないと、その使命なり天命が「巫病(ふびょう)」を引き起こして、強引にでも、その人をユタにさせてしまおうとするといいます。

で、本人が天命に気がつくまで、不幸が連続するといいます。

で、その「巫病(ふびょう)」もすさまじく、原因不明のうつ病、精神障害、統合失調症、乱れた生活、借金、離婚、失業、病気などなど、もうこれでもかっ!てくらいの不幸のオンパレード。

しかしユタになったり、あるいは巫女、神主など、神さまに関わるこをと仕事にすると、すべて好転し始めるといいます。

不思議なんですね。

でも、事実なんです。
そういう摩訶不思議な現象が、実際にあります。
 

で、こうした霊的に関する世界は、現代ではほとんど「異常」「妄想」扱いです。

仏教ですら、精神の異常、妄想扱いです。

でも、霊的なことが関わっているケースは過去、何度か見てきましたし、神さま事としか思えないことも実際にありますし、私にとっても、こうした霊的な世界、神さまの世界はリアルだったりします。

で、こうした霊的な世界におけるトラブルが、現実にいろいろと厄介なことを引き起こしているケースもあります。
 

が、注意しませんと新興宗教系に呑まれてしまう恐れがあります。新興宗教の多くは、正体不明な奇妙な神霊が集っているところがあって、深入りしないほうが無難です。

また神さまの中には、取引を望む、そんな神さまもいます。一度関わったら厳しいルールを課しますので、ご利益が強いからといって、そういうご利益の強い神さまを安易に祀るのも問題があります。

これはお稲荷さんですけどね。で、新興宗教に集っている神霊も正体不明のお稲荷さん系です。

お稲荷さんは、しがらみだらけの霊的関係になるのが厄介です。お稲荷さんに、「何かして欲しいと願うと」、その願いは大概、かないます。

しかし、しがらみと取引関係が生じます。願いを叶えるかわりに、見返りを求めるようになります。

で、ちゃんと御礼をしなかったり、常にお供えものをしないと、大変なことになります。それこそバチを与えることがあります。

完全なギブ&テイクで、面倒な人間関係ならぬ霊的関係となります。

人によっては、こうした「しがらみ」が気にならない人もいますし、むしろ「しがらみ」を好む人もいます。こうした損得でつながる人間関係を好む人には、お稲荷さんは合っていますけどね。

話しが少しそれましたが、こうした領域は、目には見えません。「触らぬ神に祟り無し」ではありませんが、不用意に入り込むのもどうかなあ、と思います。

しかし霊的なことや神さまがいらっしゃるのは事実なんですね。
 

で、人の幸不幸には、こうした霊や神さまが強く関わっているケースもあるということですね。

で、然るべき対処の方法を、もっと探索する必要があるかなあと最近思っています。

お勧めの霊能者といいますか、そういう方をもっと多く探す必要もあるかなと感じ始めています。
 

一番、手っ取り早いのは、私自身が、そういう霊的な能力に磨きをかけることなんですけどね。

実際、ある知り合いの霊能者からは
「◎◎さんは浄霊の能力がります!
もっと修行して磨きをかけてください!」
と強く言われています。

しかし、やっぱり、この世界に関わるのはちょっとご免といいますか^^;

確かに、その知り合いの霊能者が言われる通りで、私にもそういう能力があることを、実は自覚しています。が、中途半端なんですね。

で、そもそも悟りの本道とは異なりますし、「餅は餅屋」のたとえの通りで、その道の適切なプロにお任せするのがよいのではないかとも思います。

私にとって、霊能修行は、一生懸命に励むと、高い能力になるのではないかと思いますが、霊能を目指すのは、何か遠回りといいますか、違うんじゃないかという気がするわけですね。

それよりも、現に優れた能力を持った霊能者を見つけて、その方に、霊的な問題を抱えているかもしれない悩める方をご紹介して、解決していくようにしたほうがいいんじゃないかと。
そう思います。
 

そういうのがありましてね、今、適切な霊能者の探索を始めてします。

「巫病(ふびょう)」ではありませんが、そういうケースがあるようですし、もっと霊的な世界をリアルで知っておく必要もありそうな?

そんな気もしていますが、やっぱり怖いですね^^;てか、あんまり関わらない方がよいような。

と、グルグルと自己談話が続いていますが^^;、そんなことを思う最近です。

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