キリスト教における分派と教義の変化~初代教会から初期キリスト教の変遷

キリスト教における分派

キリスト教は、定義上、

  • 初代教会(原始キリスト教)・・・1世紀半ば
  • 初期キリスト教・・・1世紀半ば~3世紀末

となっています。言葉の定義ですね。

で、「初代教会(原始キリスト教)」であっても、「初期キリスト教」であっても、実のところ教義は変化しています。

初代教会(原始キリスト教)における分派と教義の変化

まず最初期における「初代教会(原始キリスト教)」時代には、

  1. 原始エルサレム教団(AD30年~)
  2. パウロ派[ヘレニズム派](AD40年?~)
  3. マルコ派(AD65年~70年)
  4. トマス派[グノーシス主義]
  5. ヨハネ共同体[ヨハネ福音書を作成](AD85年~90年)
  6. スピリチュアル[幻視・預言(チャネリング)・未来予知・異言・ヒーリング・悪霊払い]
  7. 自己規範・献身

ザックリわけると1~4のイエス信仰(思想)がありました。

で、その後、年代が進むにつれて、1~4の教えを吸収した「ヨハネ福音書」を、ヨハネ共同体が作成し、「ヨハネ福音書」に至ってキリスト教の教義の原型がまとまります。

原始エルサレム教団(AD30年~)

原始エルサレム教団は、イエスが亡くなった直後に登場。ペトロヤコブらによるユダヤ教的なイエス信仰です。

ユダヤ教にイエス信仰を取り入れる

イエス信仰をユダヤ教に取り込み、ユダヤ教を信仰するスタイル。イスラエルを中心にエルサレム神殿を本拠地としています。

異邦人にも割礼をほどこす。まさにユダヤ教。

生前のイエスの教えの通り「律法」を重視。また私有財産を放棄して共有財産とする共同体。

「マタイ福音書」は原始エルサレム教団の思想に近い福音書になっています。

パウロ派(ヘレニズム派)(AD40年?~)

パウロ派(ヘレニズム派)は、ディアスポラ(イスラエル以外にいるユダヤ人)らによる非ユダヤ教型のイエス信仰。

ユダヤ教から独立したグローバル型イエス信仰

イエス信仰をユダヤ教に組み込まず、ユダヤ教から独立したイエス信仰。異邦人にも門戸を開こうとするグローバル宗教。

パウロはイエスを幻視し、それを福音としていました。

教義はパウロが考案。キリスト教の原型となっています。

ルカ福音書は、パウロの教えにもっとも沿っている福音書なんですね。

ヘレニズム派の勢力は拡大

パウロは、当初は十二使徒からも知られていなかったマイナーな存在でした。

が、イエスを幻視したことで選ばれた人間であることを自覚し、ヘレニズム派のリーダーとして頭角を表します。

で、ディアスポラを中心に勢力的に布教を行い、原始キリスト教団の中で最大派閥になっていきます。

原始エルサレム教団との確執

当時、原始エルサレム教団(ペトロやヤコブ)とは対立関係にあったことが新約聖書の文書に残っています。

ガラテヤの信徒への手紙2章11節-14節・・・パウロはペトロを名指しで批判しています。

使徒言行録21章17節-26節・・・ヤコブを諫める記述があります。

コリントの信徒への手紙一1章10-12・・・「ケファ(ペトロ)」に付いていく分派があったことも記されています。

コリントの信徒への手紙一9章5節・・・ペトロを批難する言葉があります。

このようにパウロ派(ヘレニズム派)と原始エルサレム教団(ペトロ、ヤコブ)との間には確執があったことがわかります。

原始エルサレム教団を吸収

やがて最大派閥となったパウロ派(ヘレニズム派)は、原始エルサレム教団を吸収していきます。

このあらましは、使徒言行録を読んでいてもわかります。

使徒言行録には、最初にペトロやヤコブの活躍が登場しているものの、途中から完全に消えます。その代わり、パウロが登場し、台頭し、地中海沿岸の布教に出回ることが描かれています。

使徒言行録の記述からも。初代教会のリーダーが、ペトロ(原始エルサレム教団)からパウロ(ヘレニズム派)に移り変わっていることがわかります。

パウロは原始キリスト教の開祖

パウロは原始キリスト教の開祖・教祖になります。

このパウロの考えは、パウロ真筆の「パウロ書簡(7本)」に残っています。

パウロはまさにキリスト教の開祖であり教祖でありキリスト教を作った人物でした。

マルコ福音書(AD65年~70年)

マルコ福音書は、パウロ派(ヘレニズム派)に近いところがあります。しかしパウロ教とは決定的に異なる点があります。

それは、イエスの復活を信じていなかった可能性があることです。

イエスの復活を信じていなかった?

マルコ福音書を読む限り、作者はイエスの復活は信じていなかったことがわかります。

なぜならオリジナルのマルコ福音書は16章8節「恐ろしかったのである」で終わっていて、イエスの復活の記述が無いからです。

16章9節からは後世の誰かが追記して改竄していることは、田川建三氏「新約聖書 マルコ福音書 訳と註」に詳しくあります。

イエス・キリストの復活は後世の創作・追加・改竄?

原始キリスト教団の多様性

このように、原始キリスト教団といえども、必ずしも一枚岩ではなく、微妙に異なる多様性があったことが浮き上がってきます。

ちなみに新約聖書は、このよに多様性のある6種類のイエス信仰グループの考えや思想の文書が、バラバラに収録されています。

聖書を読む際には、最低でも6種類のイエス信仰があることを踏まえて、整理しながら読まないと、わけわからなくなってしまう怖れがあります。

新約聖書の学びにおすすめな本・著者と聖書の勉強の仕方 キリスト教の勉強法7ステップ~1ケ月半の独学で深く学ぶ方法

ヨハネ共同体(AD85年~90年)

ヨハネ共同体は、初代教会としては最も後発組のイエス信仰グループ。ヨハネ共同体はトルコのエフェソスにありました。

ヨハネ福音書は、ヨハネ共同体がAD85年~90年頃に作成した文書だといいます。ヨハネ福音書はマルコ、マタイ、ルカの共観福音書とは全く異なる内容と構成になっているのが特徴です。くわしいことはこちらにまとめてあります。

⇒ヨハネ福音書とは?

盲信を勧めるヨハネ福音書

なおヨハネ福音書では、イエスの神格化が進み、イエスの絶対性、イエスを信じなければ絶対に救われない(神の国へ往けない)など信仰への盲信をうながすなど危うい内容になっています。

ちなみにマインドフルネス、ACTといった認知行動療法の観点からいえば、盲信や教義への強いこだわり、握りしめは、たとえ良い教えであっても、苦しみや葛藤を生み、また知性の働きを悪くし、精神的な成長が望めなくなることがわかっています。

ヨハネ福音書は、キリスト教の信仰においては推奨されるのかもしれませんが、人間の精神性の観点からいえば、危険な内容であると言わざるを得なくなります。

科学的な観点からの信仰姿勢も取り入れて、盲信することがないように注意をしたほうがよいと思います。

⇒盲信に陥らないための注意

トマス福音書に対抗

ヨハネ福音書は、当時、勢力を拡大していたトマスグループの「トマス福音書」に対抗するために作られたといわれています。

エレーヌ・ペイゲルス「禁じられた福音書」の中で、この辺りのことを詳しく分析しているます。こちらは大変な良書です。ぜひおすすめいたします。

共観福音書の読み方に影響を及ぼす

ヨハネ福音書の登場によって、ヨハネ福音書を踏まえて共観福音書(マルコ、マタイ、ルカ)を読む風習も出てきたといいます。

しかし各福音書は独立した別個の福音書であるため、関連付けて読むと、誤読・誤解をするようになります。

キリスト教を正しく理解するためには、それぞれの聖書(文書)を「独立した文書」として読むことが推奨されています。

初代教会の教えを変えた

ヨハネ福音書は、初代教会(原始キリスト教)からあった教えを、超人的なイエス信仰に変容させた福音書でもあります。

良くも悪くも後のキリスト教に巨大な影響を与えた福音書といえます。

スピリチュアリティが豊かなヨハネ福音書

当時、キリスト教の信仰をする人は、奴隷や女性など社会的に蔑まれやすい人に支持され、広まり、こうした人々の間で爆発的に広まったといいます。

ヨハネ福音書の神秘的かつ人間離れしたイエス像は、機根が乏しく知的にも弱いこうした人達にとって、希望のある物語となり、救いになったことは容易に想像できます。

トマス福音書を抑えてキリスト教に大きな影響を及ぼす

反対に、トマス福音書のように、自己を見つめ、自己に内在する神を見出し、万人が神の子、万人がメシアであるという瞑想的なアプローチは、教養が乏しく、知的理解にも乏しい奴隷には理解ができなかったもわかります。

ヨハネ福音書は教養のない人にも理解できたため、爆発的に支持されて広まり、トマス福音書は陶太されていったこともうなずけます。

ヨハネ福音書は、初代教会時代から初期キリスト教時代にかけて、キリスト教の教義を大きく変えるターニングポイントになっています。

初期キリスト教における教義の変化

地上の神の国(不滅の肉体)から死後の天の国(不滅の魂)へ教義が変わる

イエスは「『人の子(メシア)』が地上に降臨するのは間もないことだ、もうすぐだ、準備しないさい」と言っていました。またイエスもこの物語を信じていました。それは福音書の記述(マルコ、マタイ)を読んでいればわかります。

で、パウロは「人の子はイエス」であると信じて、イエスの再臨を信じていたんですね。で、パウロも「もう間もなく再臨はやってくる」と信じていました。

で、地上に「神の国」が現れて、千年王国が実現し、苦痛や苦悩がまったくない世界になると。

イエスの再臨が来ない

ところが、いつになっても再臨が訪れません。待てど暮らせどやってきません。

ヨハネ福音書が登場した頃(AD85年~90年)から、「イエスの再臨はいつなんだ?」と人々は思うようになったようです。

これは現代でいえば、「アセンションは起きない。いつアセンションは起きるんだ?」というのとまったく同じです。

天の国の時間は独特

やがて西暦100年を超え始めると「ペトロの手紙二3章8節」のように「そもそも天の国では、1日が千年で、千年が1日でもあって、『もう間もない』といっても地上時間で推し量ることはできない」と言い出すようになります。

審判が下るのは亡くなったとき

さらに、悪人が裁かれて善人(イエスを信じる者)が救われる審判が下るのは、世の終わりではなく、各人が亡くなった時(死亡時)であると考えられるようになります。

つまりイエスが再臨して地上に神の国を作るのではなく、キリスト信仰者が亡くなった後、審判が下って「天の国」に往けると考えるようになります。

天国と地獄の概念が登場

そこで、キリスト教に初めて「天国と地獄(煉獄)」という概念が登場しました。

亡くなると、天国では永遠に生きながらえる。地獄(煉獄)では永遠に罰せられる。こういう教義ですね。

で、このことを文書にしたのが外典の「ペトロの黙示録」になります。

「不滅の肉体」から「不滅の魂」へ

こうしてAD100年を過ぎて2世紀になると、地上に神の国が現れて「不滅の肉体」「不老不死の肉体」となるという教義から、亡くなった後に天国へ行って「不滅の魂」となるといった教義に変わります。

これはイエスの考えはもちろんのこと、パウロの思想にもない教義です。

しかし「不滅の魂」こそ、現在のキリスト教の標準的な考え方であるといいますね。

ヨハネ福音書による影響

で、このような死後「不滅の魂」となる考えは、「ヨハネ福音書」に原型があります。

ヨハネ福音書ではいち早く、再臨が起きなかった場合を踏まえて、死後に不滅の魂となって永遠の命となるアイディアを提示しています。

ヨハネ福音書だけが他の3つの福音書(マルコ、マタイ、ルカ)とはまったく毛色が異なるのは、イエスの再臨がなかなか起きなかったことに由来しているといいます。

キリスト教と輪廻転生

ちなみに天国と地獄の概念が登場しても、輪廻転生は採用しませんでした。生まれ変わりは、キリスト教の教義には馴染まないアイディアだからですね。

なぜなら、神の審判によって天国か地獄かに裁かれて、裁かれた時点で終了だからです。

あとは「不滅の魂」となって永遠の命(永遠に生き続ける)存在になるからですね。

キリスト教の教義では、生まれ変わりは入り込む余地はありません。なので輪廻転生はあり得ない教義になります。

キリスト教神学への発展

ヨハネ福音書の登場によって、「永遠の命」は、「不滅の肉体」から「不滅の魂」へと変わります。

キリスト教は、その状況状況に合わせてブラッシュアップできることもわかります。やはり本質は「観念」「教義」だからですね。教えを変えることができる。

しかし瞑想などによって直観的に理解することがまったくないのが、キリスト教の特徴であることもわかります。

聖霊体験以外は、体験が無いのがキリスト教。99%が理解、解釈、イデオロギーの思想的宗教。

そう言えますね。

聖霊体験はあるけれども

キリスト教には聖霊体験という体験主義的なところも実際にはあります。

が、聖霊体験は、ずっと後になってから認められたもののようです。ルター以降のプロテスタントで認められた体験っぽいですね。

カトリックでは、たとえばイグナチオの体験など、何らかの啓示を受ける体験は認められています。

ただしキリスト教の教義に沿った体験でないと認められません。

瞑想や禅定体験は異端

12世紀に神秘主義の修道士だったマイスター・エックハルトは深い瞑想、明らかに禅定(サマーディ)に達したことがわかります。

しかし当時のキリスト教教会では「異端」。エックハルトは処刑される前に亡くなったものの、禅定を体現した者ですら火あぶりの処刑対象。

宗教改革のルターも神秘主義に興味

宗教改革のルターも神秘主義には興味があり、こっそり愛読していたのはエックハルト系のドイツ神秘主義者の修行マニュアル「テオロギア・ゲルマニカ」。

真実を求めている者は、みな瞑想に関心が向きます。神を如実に体験する瞑想。

アーマンや田川さんのように、キリスト教を極めつくしてダメだと思った人こそ、瞑想へいらっしゃいと言いたくなりますね^^;

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