輪廻転生・霊的世界を信じない魂と信じる魂

輪廻転生・霊的世界を信じない魂と信じる魂

輪廻転生を信じない魂と信じる魂があります。
霊的世界を信じない魂と信じる魂もあります。
この違いは、何故、生じるのか。

人によっては、輪廻転生や霊的世界は
当たり前の感覚。
あって当然。

しかし人によっては、輪廻転生や霊的世界は
信じられない。
迷信の世界。

原始仏教では、輪廻転生や霊的世界を
認める・信じられる人を「正見(しょうけん)」
があるとして、正しく適切な有り様である
ことを伝えています。

原始仏典では、輪廻転生や霊的世界を
信じられることは、正見
としているわけですね。

光の波動

光を感じる季節。
正月を迎えると、日の光は春色を帯びます。
いい季節ですね。

冬至を過ぎてから、日の光はやわらかさと共に、
神々しい輝きを増してきます。
正月の日の光は、そんな神々しさがあります。

いい季節ですなあ。

光は徳の色

光は徳の色。
内在神は光。

光の波動。

存在波動が光になるに従い、
日常的な感覚に変化が生じてきます。
ある種の感覚器官が増幅するといいますか。

身体の何分の一かは上層アストラル界にあって、
その世界との接点が、
強くなってくると感じ方も変わるのでしょう。

この感覚は、「それ」「宇宙意識」とは、
また違います。

ある種の生命の世界だったりします。

人は、古来より、この世界に
いろんな名前を付けていました。

ただ、地域毎、境涯毎に、様々な世界があって、
どの領域とご縁があるか、
接点があるかが大事なわけですね。

幽世も現世も変わりがない

仙道寅吉、宮地水位といった異能者らは、
ご自分が体験した世界を報告され、
その世界が「正しい」という前提で
語っている節もあります。 

いえいえ、向こうの幽世(かくりよ)も、
ある種の信念、観念、こだわりがあって、
こうしたことは人間の世界と、
そう変わりがありません。
ないと思います。

なので、必要以上に、
向こうの世界で言っていることが
「正しい」といった見方はしないほうが
いいんじゃないかとも思いますね。

幽世(かくりよ)も人間界の延長であり、
ただ次元が異なる世界。

そういう認識のほうが
間違いが少なくなると思います。

人は、どうしても向こうの世界のほうが
「上だ」というとらえ方をしやすいですね。

確かに、上だとは思います。

が、こうしたとらえ方に固定してしまうと、
「強い弱い」のヒエラルキー構造に
なることがあります。

こういう価値観や認識は、
あまりよろしくありません。

幽世は人間界とリンクしている

しかし無碍(むげ)にはできないわけですね。
そもそも幽世も人間界とリンクしています。

だから、向こうの世界を
「迷信」だとか否定しないで、
その存在を感じるように
したほうがいいと思います。

で、神棚をもうけて、
各家庭で神さまをお祀りすると、
こうした世界の良質な領域と、
接点ができやすくなります。

日本には、そういう良き慣習があったんです。

戦後は霊性を失った

ところが、戦後は、こうした慣習は
「迷信」「非科学的」として、
バッサリと一刀両断。

てか、人前で言えば、
笑いの対象になるくらいです。

そこまで足蹴にされるようになってしまった。
なんて粗末なことをしたんだと思いますね。

霊性を否定する日本の仏教

ちなみに、こうした世界を
否定したがる魂もあります。

意外と、日本の仏教者に、
これが多いんですね。

知識人にも多い傾向です。

とにかく合理という名の知性や観念で
推し量りがちなんです。

が、バリバリ左脳の価値判断に
汚染されていて、どうにもこうにも。

ちなみに、こうした魂はマズいですね。
ええ。

おそらく、その多くは、
死後、悪趣へ往く可能性があります。

それがだんだんとわかってきた。
ちょっと面と向かって言えませんけどね^^;

霊的世界や輪廻転生は、
すっと心を澄ませば感じられるんですね。

こうしたことは、むしろ
子どものほうが感じ取ります。

だから「お空の雲の上から降りてきたの」
と語る子どももいるんですね。
子どもは霊的感性がまだ閉じていません。

霊的世界を否定的に受け止める人

しかし中には、霊的世界や輪廻転生を、
ネガティブで否定的に受け止めてる人もいます。
命を否定したり、低次元の霊といったように、
とかく波動の低い理解や受け止め方です。

が、こうしたケースは、
本当はわかっていなんですね。

実は、自分の観念・思想・思いとして
「理解」しているだけなんです。

もっと言えば、恐怖心や満たされない
思いや抑圧が心の奥にあって、
その反動として、霊的世界や輪廻転生の
「観念」を使って、ネガティブに
表現しているわけなんです。

オカルティストはネガティブな存在

で、これが世に言う
「オカルティスト」なわけです。
現実から遊離し、乖離しています。

現実逃避の対象に
してしまっているんですね。

だから口から出る言葉は、
命を否定することとか、後ろ向きな話し、
低次元の存在の話しとか、
とかく暗く重たく否定的なことなんですね。
これはマズい。

本当に霊的次元や輪廻転生が感じられると、
こうしたネガティブな受け止め方はしません。
もっと肯定的になり、次元が高くなります。
で、むしろ命を重んじる感覚になります。

てか、こういう受けとけ方をしないで、
否定的であるならば、
むしろ違和感をおぼえるはずです。

で、「ちょっとアンタ、おかしんじゃないの?」
といさめたくなるはずです。
 

話しが脱線しましたが、それにしても、
光を感じる季節になりましたね。
特に正月は、神気がただよいます。

「一年の計は元旦にあり」ですね。
日本の神々も、そういうお考えです。

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