神社と寺院では身体感覚が異なることが多い
神社と寺院。
やっぱり神社のほうがいいですね^^
マイ・フェイバリット空間でもある神社へ行きますと、やはりスカーンと天に向かって抜ける心地よさがあります。
この感じは、毎度ながら心身が洗われる感じになります。実際、天につながり、天からエネルギーが流れ込んでいます。
ところが寺院(お寺)に行きますと、そういう感覚がありません。大地からググっとエネルギーが流れ込む感じはあっても、天とつながる感覚がありません。また、どこか不浄。汚らわしい。
この前、市内の某不動寺に行きましたが、ここはお寺の中では、わりといい感じのところです。
が、やっぱり、どこか「とろん」とした感じを受けるんですね。いやね、この感じは、人によっては「親しみ感」として感じられるかもしれません。
ですが、この感じは低層波動のものです。人間界や低層アストラル領域の親しみ感や、やわらかさだったりします。
一方、天につながる親しみ感ややわらかさというのもあります。天界・天井界的な身体感覚ですね。
これはシャキーンとした感じがありながらも、クリヤー感があります。よさげな神社では、こうした感覚が生じます。
好みとしては、やっぱり天につながる感じがいいですね。これも体質といいますか、好みなんだと思います。やっぱり私は、神社がいいですなあ。
「親しみ感」は人によって異なる~空や天界的な源からの感覚が望ましい
ちなみに「親しみ感」といっても、それを感じる「源」が人によって異なります。
ある人は、ドロドロとしたところに「親しみ」を感じる。
ある人は、ケンカのようにぶつかり合う状態に「親しみ」を感じる。
ある人は、暗く、寂しい感じに「親しみ」を感じる。
ある人は、おだやかで、ほのぼのとした感じに「親しみ」を感じる。
このように、「親しみ」を感じるというのは、人によって異なります。「親しみ」を感じている「源」が違っているからなんですね。
望ましいのは、こうした感覚から超越した「空」です。しかしなかなか「空」の感覚はわかりにくいものです。
ですので、天界や天上界的な感じに「親しみを感じる」のが望ましかったりします。これが多くの人にとって、わかりやすくもなります。また日常生活で役に立ちます。
で、天界や天上界的なものは、やわらかい、やさしい、明朗、はつらつといった生命力が輝くエッセンスだったりします。光を放っているのが特徴ですね。
アドラー心理学の「トラウマは無い」は間違い~心は微細な物質
と、神社や寺院では、「親しみ」を感じるのは人それぞれなところもありますが、その「親しみ」を感じている「源」を自覚することが大事なんですね。そういうのが身体感覚の世界にはあります。
それにしても護摩は焚いてみたいですなあ^^;ダスカロスも火を使ったエレメンタル解放をしていましたし。ダスカロスは、火はエレメンタルを溶解しやすいと言っています。
エレメンタルは、アストラル界やコザール界に実在する精神的な物質です。その人の固定観念、思考、クセ、性格、トラウマなどは、微細な物質として実在しているといいます。エレメンタルは、エネルギー意識の一つでもあります。
アドラー心理学では「トラウマは無い」といっていますが、これは誤りなんですね。誤り。てか、大間違い。
心や思考を、すべて「想念活動」としてしまうと、アドラー心理学のような間違いを犯します。「唯心論」です。
しかし実際はそうではない。「唯心論」ではない。
エレメンタルとかエネルギー意識があって、心も物質化しています。で、トラウマの場合は、強いエネルギーブロックを形成しています。物体化しています。
こうした微細な心やエネルギーを知覚できないから、トラウマは無いといった乱暴な見解(唯心論)になるんだと思います。
エネルギー・ブロックはトラウマ、心のクセ、こだわり、悩みとなって表れる
心は、エレメンタルやエネルギー意識といった微細な物質で存在しています。アストラル界などの異次元に存在しています。
で、これらが感情と感じられます。感情や思考は、微細な物質です。エネルギーです。
エネルギーの詰まりが「エネルギーブロック」であり、そこには「よどみ」「詰まり」を生みだし、それがそのまま、その人の「心のクセ」「こだわり」「悩み」になります。「トラウマ」もそうです。
で、こうした「詰まり」、つまり「エネルギーブロック」を溶解させることは可能です。といいますか、仏教もそうですが、各種の修行、瞑想、修養というのは、エネルギーブロック解除の連続という見方もできるほどです。
で、エネルギーブロックを解除する効果のある方法は、
- いまここ、あるがまま、プレゼンス
- ヨーガ、気功などのボディワークや、運動、スポーツ。
- スピリチュアル・ヒーリング(天啓気療)
- 針、灸、マッサージ
- 気功、レイキ(ヒーラーによる。また人によっては受けないほうがよい)
- ダスカロスのように火を使ったエレメンタル溶解の方法
などがあります。
ちなみに「密教の護摩」もダスカロスと同じ系統になると思います。なので、以前、密教に興味を持ったこともあります。
護摩の炎と不動明王のカルラ炎とクンダリニ
そうそう密教といえば成田山。
新勝寺。
ここは不動明王をお祀りしていますね。有名な真言宗のお寺です。高野山系ではなく、智山派のようですね。
で、不動明王といえば、背後に燃えさかるカルラ炎(迦楼羅炎)。不動明王のカルラ炎は、霊鳥ガルーダ(金翅鳥:コンジチョウ、迦楼羅:カルラ)が吐き出す炎といわれています。
ですが、カルラ炎は、クンダリニの炎のようにも思いますね。小周天や大周天で気が巡ると、背中全体に熱かったり寒さを感じるエネルギーと重さを感じることがあり、これはプチカルラ炎のようにも感じます。
ちなみに小周天や大周天にしても、督脈や任脈というルートを巡っていると、ものの本にはあります。
が、そうじゃあなく他にもルートがあって、結局、背中全体、体の前面といった広い領域に気は流れているのではないかと思います。
不動明王のカルラ炎は、エネルギーの凄まじさを表しているのかもしれませんね。ちなみに、カルラ炎を吐き出す霊鳥ガルーダは、人の煩悩を喰らうとされています。
これって意味深です。やはりクンダリニの炎を、霊鳥ガルーダに置き換えているんじゃないかと思います。
と、なんだか怪しいオカルトの世界ですが、自分が感じるものを大事にして、手掛かりにして、探索をしていきたいと思っています。