望ましい欲望と戒められる欲望とがある

望ましい欲望と戒められる欲望とがある

欲望、欲求。
欲はいいのか?
といった話しがたまに出ますね。

しかし結論を先にいいますと、「望ましい欲望と戒められる欲望とがある」ということなんですね。

今日は、そんな欲望・欲求といった欲のお話しです。

ビジネスにみられる健康的な欲

令和の時代。
平成の終わりに感じることがありましたが、今やビジネスシーンのほうが健康的な人が多くなっているのでは?と感じることも少なくないですね。業界、業種にもよると思いますけどね^^;

なんか一昔前とずっかり変わってしまった感じを受けるほどです。令和の今の時代ほうがいいですね。全般的に志が高いと思います。

何よりも、心のエネルギーがハツラツとして、輝いているのが気持ちいい。うんと働いて、ガッツリ稼いで、社会にも貢献しよう!、他者のスポンサーになろう!という志が気持ちいい。

存在波動が天人的。シンプルにいいと思います。

健康的な欲望は問題にならない

で、その反面、瞑想とか仏教とかスピリチュアルの界隈になると、とたんに病んだ人が多そうですね。

で、そういう病んだ人が、オピニオンリーダー的になったり、影響力が出てくくると、ちょっとマズい。

ビジネスもそうですが、欲望は、その動機が大事なんですね。動機。

で、健康的な欲望は、それほど問題にはならんのですよ。てか、健康的な欲求をも否定するほうが、やっぱりおかしいと思うわけですね。

で、たまに「欲望は良い」ということを書いたりもしていますが、誤解があってはならないので、一応、したためておきたいと思います。

というのも、「諫(いさ)められる欲」は確かにあるからです。が、そんなに否定しなくてもいい欲もあるんです。これらの違いをつかむことは大切なんです。

2つの良い欲~健康的な欲と非マインドの欲

で、良い欲には2つあります。
一つは「健康的な欲」なんですね。
もう一つは「非マインドの欲」。

「非マインドの欲」というのがあるんです。大いなる存在に開けたところからの欲望や、慈悲に変容させられた欲望です。

そういう意識に開けたり、ハートとなっても、欲望が出てきますが、そういう欲望は、通常の欲望とは違います。

波動の高さがそもそも違うんですね。「自然体の欲求」といっていいかもしれません。これらは、それほど問題になりません。

もっとも、解脱とか悟りとなると、いずれ課題になります。しかし、まずは欲望を洗練させて健康的になるように努めたり、慈悲にあふれるようにしたほうがいいんですね。

で、そういう状態からの「欲望」は、問題にはならないんです。健康的。非マインド的。

で、健康的な欲などを超越しようとするのは、ずっと先のことです。その前にやることがあります。

高次の欲求は望ましい

ちなみに、「欲望を洗練する」とか、「慈悲に変容させられた欲望」というのは私の表現です。

で、これが優れているのは、現実の生活でも人間関係が円満になったり、利他、博愛の気持ちで他人に接することができるようになるなど、とにかくメリットが多くなる点です。

こうした「欲望」はいいんですよ。現実をいえば、こうした「高次の欲求」は望ましいんです。ええ、健康的な欲望は「高次な欲求」になるんです。

社会を良くしたり、雇用を設けたり、適度な財産を作ったり、人助けをしたり、人が向上していく欲求です。これらは望ましいんです。

過剰な欲求とか、エゴイズムに陥った欲求、おかしな本能系の欲望とか、低次元・低波動の欲望は戒められるわけです。これらは許容しているわけではないんですね。勘違いして受け止められてはならないと思い、一応、補足しておきます。

観念的な「欲は悪い」はマズい

過剰な欲求なり、エゴイズムに陥っていなければ、いたずらに欲望欲求を押さえつけるのは止めたほうがいいでしょう。「欲がいけない」というのを短絡的に受け止めちゃいかんと思います。

生命は、生きる欲求を宿命的に持っています。そういう風にできているんです。で、これをマインドでいじくると、とかくおかしなことになりやすいんです。

で、観念的に「欲がいかん」と思っていると、生存の欲求にすら影響を及ぼすことが出てくるんです。

で、過剰な欲求なり、エゴイズムに陥っている場合は、そりゃ「欲はいかん」と言うでしょ。こんなの誰だってわかります^^;賢い子どもだったら、「それは欲張りだよ」「変だよ」と言いますよ^^;

こういう欲が問題なわけですね。生存の欲求が過剰になったり、本能のままというのが問題。

で、こういうのは、自分でもわかるはずです。欲求が過剰になりやすいのか。反対に、欲求を抑え込んでしまいやすいのか。自分でもわかる。

もし、わからない場合は、存在波動が、ガキや動物になっていることがあり得ます。心を高揚させて、人間界的、天人的な存在波動に変える必要があると思います。

で、抑え込みやすいタイプの人は、それこそ生存の欲求に素直にしたがったほうがいいくらい。もっとも、餓鬼的になっているなら、それを改める必要があります。

反対に、欲求が過剰になりやすい人には、言葉や観念を使って、ピシっと押さえるわけです。

「欲はいけない」は欲求過剰の場合

で、欲求が過剰になっている状況で言われた「欲はいかん」といった言葉であるはずなのに、言葉だけが一人歩きしてしまうことがあります。

で、こうした言葉が、どういう背景で言われたのかを無視して、それぞれの脳内リソースに従って解釈もされていくことが多かったりします。

で、欲望を抑え気味で、もうちっと解放しなければいけない人が、ますます押さえつけて、おかしくなったりしているケースもあるんですね。

向上する意欲とが足りない人は、むしろ、向上心を持て!とか言われて叱咤激励されますって。

欲以前に慈悲・ハートが大切

で、「欲がいけない」とかをテーマにする前に、まずは、慈悲・ハートに開けるとか、自分と思っている、その自分を突き破る意識に開けるとか、こっちのほうが大切だったりします。

あるいは、餓鬼や動物的になっているなら、その存在波動の次元を改めることなんです。

で、これらを実現するためには、

  • 利他(他者救済)を行い、継続する
  • 普段から「あるがまま」としていく
  • 善行をする
  • 随念(ポジティブシンキング)をする
  • 心を高揚させる
といったことを行って、波動を高め、存在の振動を高めていくのがいいと思います。

慈悲や本当の自分に開けていけば、欲求は、自然な欲求に変容されて、いわゆる「欲の問題」は、ほとんど無問題的にクリヤーされていくと思います。

それにしても、最近の起業家、自営、個人事業主に、なーんか、いい感じを受けますなあ。実際はそうとも限らない方も少なくないとは思いますが、しかし、なんか良い感じが多くなっていますね。

うーん、なんだかビジネス系にシフトしようかな、なんてちょっと思ったり。

と、まあ、今日は、この辺りでお暇をば。

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