神道とは神・神霊・眷属とともに生きる生活共同体

神道とは神・神霊・眷属とともに生きる生活共同体

神道。
神道という形式が登場したのは平安時代です。密教の影響を受けて、初めて様式化されています。

けれども原始神道といってよい形態がありますね。それは
・磐境(いわさか)
・磐座(いわくら)
・神籬(ひもろぎ)
・神奈備(かんなび)
といわれる依代(よりしろ)を中心とした神道的感性の有り様です。

この精神には、神・神霊・眷属とともに生きる心があります。いわば神・神霊・眷属とともに生きる生活共同体です。

アストラル次元とともに生きる生活。これが原始神道の感性ですね。

現代人にも原始神道の感性を有する人がいる

こうした原始神道の感性は、忘れられやすいのですが、原始神道の感性を持った人が時々います。

で、意外や意外なところに学者の中にもいらっしゃいます。しかも呪術、霊能の世界にもいたりもします。それが中村雅彦氏ですね。ちなみに学者の霊能者は最強です。

学者タイプの霊能者は、学者らしい精密さ、正確さ、分析能力や言語能力がありますので、感じている微妙なことなどを適切に判断したり分析したりして、表現したり説明することが出来ます。

何も学者だからというわけではなく、知性がうまく働いている霊能者は一目置きたいものです。

で、それと、やっぱり「霊的」なものをも包括しませんと物足りないですね^^;つくづく思います。

霊といいますか、アストラル界などの異次元の世界ですね。空間は多次元化している。こうしたことが感じられると、なおさらだと思います。

神の世界は科学的な姿勢では割り切れない世界

しかし、こう言いますとね、「それは妄想」「認知の問題でしょ」とか言い出されて否定とかされてしましまうことが少なくありません。が、もうね、こういうのって、ちょっとどうなんだろうかと思ってしまいます。

心理学系にも多いのですが、「測定できないものは認めない」といった科学的な姿勢では、おそらく深い認識とか叡智を得ることはできないんじゃないかと思います。

浅いレベルで終わってしまう。観念レベルで終わってしまう。いわゆる「哲学」の世界で緻密に云々するだけで終わってしまう。そういうのは、どこか寒い。

もっとも、客観的に確認することができないのは事実ですね。なので、現時点では、「信じられる・信じられない」の扱いになってしまいます。やむを得ませんね。

実際、第三者が、こうした話しをした場合、受け入れることのできる範疇でしか理解できないと思います。ご都合主義になってしまいます^^;

アストラル界は実在する

しかし、第三者が見たものを、どこまで信じられるかどうは別にして、また言っている本人の発言が妄想なのかリアルなのかは微妙なものもあるにせよ、アストラル界という次元を異にした領域はあるでしょう。

そこには、特有の生命形態があり、生きていらっしゃる。エネルギー意識が存在している。

また、仮にそうした生命体を可視化できなくても、感じることはできると思います。トランスパーソナル的なことでいえば、エネルギー意識といっていいでしょう。

エネルギー意識は、それ自体が、意志、感情、思考を持っています。「意識場」ともいいます。

で、こうしたことが、中村氏の一連の著書にあるわけですね。で、「祈りの研究」には、スピリチュアルや霊的に関するテーマについて、一通りのことが平易に書いてあります。

霊性とは「目にはみえない大いなる存在」とのつながりを自覚する感性

霊のことやアストラル界といった異次元のことを踏まえてますと、スーっと染みいってくるものがあります。

中村氏の「21世紀の祓い―禁断の日本的霊性を読み解く」にあった神道の根本理念に、

祓い(はらい)とは、清浄になること。究極は「本当の自分」「神の心」に還ること。祓いは、個人の救済のみならず、社会全体の浄化を目標とする。神道において重視されるのは「生活共同体」。

霊性とは、「目にはみえない大いなる存在」とのつながりを自覚する感性。神秘体験、感動体験、深い平安を経験する中でも発達していく。

大自然との触れあいに感動したり、絵画や音楽に心を打たれたり、日常生活の些細なことにでも魂が揺さぶられることも霊性体験の一種。
霊性に目覚めた人は、生活のすべてに「神聖さ」を見出す。

とありますが、ホント、すーっと染みいってきます。こうした感性は、自分に合う。ピッタリ。ジャスト・フィット。

仏教における本来の三宝の意味

お釈迦さまや、イエス・キリストも、おそらく同じようなことを言っていたんじゃないかと思います。

で、仏教でいう三宝とは、

・自然な有り様へのを完全に体現した人(仏)
・方法(法)
・こうしたことを目指している人達(僧)

これを言っていたんだと思います。

神道と似ていて、本来は自然な有り様へ回帰し立ち戻る命のありようだったのでしょう。

それが後世、様式化されたり、教義化されて、ドグマ化してしまったのだと思いますね。あるいは一部分が強調されてしまったり。そうとしか思えません。

中村雅彦氏の著書は示唆に富んでいる

中村氏の一連の本はいいですね。「祈りの研究」「祈りの力」は読みやすいので、たぶん一晩で読めてしまうと思います。呪術や神道の世界に、お宝を発見といった感じです。

神道は素晴らしい。
本来は教義が無いといいます。
それもまた素晴らしい。
わかっていますね。

ということで中村雅彦氏関連は、
一応、これで一区切りといたします。


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