解脱・悟りを目標にする人生のはじまり~人の一生は10代で決まる

このブログ、一体どういう方が見ているのかわかりませんが、私は10代の頃から求道精神が極めて強く、一人で修行を始めたという経緯もあるくらいです。

もう14才(中学二年生)のときから、当時は言語化できなかったんですが、「徳」への強烈なあこがれといいますか、渇望に近い欲求がありましてね。

で、「将来なりたいこと」という作文で、「ボクは自分の中にある醜いエゴ、自己中心性を克服したい」というのを書きましてね。

当時の担任の先生は変な顔をしていましたが、この頃から、徳とか善性とか、天人とか、何かそういうのを求めていました。

で、高校一年生のときに、インドの輪廻転生の思想を知って、これが電撃が走るウルトラ級の衝撃。

このとき、本当に体に電流が走ってスパークしましてね。本当に電撃が走りました。

で、「自分は解脱するために生まれてきたんだ!」と、自己の天命に刮目(かつもく)するという体験があったものです。

 

で、その後、私の人生は本当に、徳、解脱といったことが中心の人生になったものです。10代のときに感じた天命は、本当にその通りかの如く、一生のテーマとなっています。

21才のときには見性体験(覚醒体験)があって、いわゆる真我・宇宙意識にひらけ、それからは意識が変容。誰にも言うこと無く、30年近く過ごしたというのがあります。

そんな体験もいくつかありますが、10代のときに思ったことは、一生のテーマとなっています。

今は、それなりの年齢になっていますので^^;、人生を振り返ると、本当にその通りだったことがわかります。

10代のときに思ったこと、電撃が走ったことは、決して妄想ではなく、リアルだったこと。今だからこそ、確信できるわけですね。

ちなみに、「確信」と「一時的に思ったこと」の違いも、こうした自分の体験からわかるようになっています。

 

人は、その子どもの時代、10代の時代に、人生の経路をほぼ決定するんじゃないかと思います。

もっとも10代では言語化されないまま、その後の人生のどこかで刮目するというのもあると思います。

ただ、私の場合は強烈でした。非常にハッキリしていました。で、それがそのまま人生の方向性を決定しました。

それにしても風変わり過ぎます^^;
 

と、ここらでミュージック・スタート。
Ambient Night #1 feat. “Vangelis” by Luftrum / Blade Runner Atmo


「Martin Stürtzer」さんという方のアンビエントですね。ブレードランナーも入っています^^;

いい塩梅なんですね。

で、話しを戻して。

 

「人が歩む一生の傾向は、ほぼほぼ変わらない」。今は、そう思っています。

で、私が歩んできたこと、体験してきたこと、考えてきたことは、世間一般の興味とはかなりかけ離れています。

スピリチュアルとか解脱とか、こうした方面の中ですら、かけ離れています。異端に映ります。

しかしホンモノです。

なので非常に有益です。

 

以前から「第三者にも再現できないであろうか?」とずーっと考えていました。

が、ここ数年で、どうやら再現性も可能なことがわかってきました。実際、縁のある方々にお伝えしています。

で、それなりに再現が出来てきています。

瞑想を行ってリラックスするというのは、瞑想を続けていけば、大概そうなります。

が、その先があります。
瞑想がさらに深まってくると、いろいろなことが起き得ます。

人間から天人にシフトし、さらにパワーアップするともいえます。

 

この領域になってくると、非常に精妙になってきますので、様々な物事の本質もわかるようになってまいります。

で、心は、粒子の細かい精妙かつ光を放つ有り様になって、これと並行して、エネルギーの体感、開眼が起きます。

人間から天人にして、さらにパワーを身につけて、そうして究極の悟りへと進む。

そのように言うことができます。

で、悟りの手前までご案内できるようになっています。

 

私は、見方を変えれば、相当な変人です^^;変わりモノ。でもよい意味での変人です^^

人間の精神の進化といいますか、心を変容させるといいますか、まず人間を天人にステップアップする。

今風に言えば、アセンションする^^;、宇宙人になる、波動を高めると言えますね。

 

ただ、これらの言葉は、軽薄かつ、自分から離れた解離性の強いスピリチュアル集合無意識につながるため、あまり使わないほうがいいんです。

この手の流行言葉やフワっと浮くような言葉は使わないほうがいい。

この手の言葉を使うだけで、修行は進まなくなります。変な領域にアクセスするからです。

修行においては、こうした落とし穴も回避しながら進めていく必要があります。

 

ある意味、その人が陥っている状態、次元、思考から、まず脱却すること。これが大事。しかしながら人によっては非常に難しい。

てか、実際の観点からいえば、相当なセンスや智慧が無ければ、自分で気づくのはほぼほぼ不可能です。

だから指導者や導き手が必要なんですね。

 

特にスピリチュアルなどの神秘や不思議を好む人は、その神秘さが故に、それが真のスピリチュアリティと勘違いし、とらわれている人が多い。

実際はアストラル界につかまっていて、とらわれているんですが、悲しいことにその延長に真のスピリチュアリティがあると信じています。

が、実際は違います。

が、ご本人は気づけない。言ってもピンと来ない。「無名のアナタ、何言っているの?」といった塩梅。

ここに修行の難しさがあります。

 

で、何故「気づき」が大事なのかということにつながってきます。

気づきが大事なんですよ。非常に。

言い換えれば「感受力」。

メチャ大事なんです。

気づきが弱いと進まないようにできているんです。

 

しかし理解し、賛同してくださる方には惜しみなくお伝えしています。

天人にし、さらにパワーアップし、悟りの入り口までご案内にする。

修行の世界の言葉でいえば、「気づき⇒プレゼンス(名色分離智)⇒深化」といえます。

ここまでお導きするのが、今の役目、務めだと思っています。

ゆるっとしたお気楽系なんですが、やっていることはすっごい深かったりします^^;

と、今日は独り言風で書いてみました。

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