原始キリスト教とダスカロス

ダスカロスと原始キリスト教

ダスカロスの教えの中核は「原始キリスト教」でないかと思います。

というのもダスカロスは、過去生の記憶や指導的存在のヨハネスより、本来のキリストの教えと実践を知っていた節があるからです。

事実、ダスカロスの一連の書を読むと、それが「原始キリスト教(本来のキリスト教)」として説明されていることが分かります。

ダスカロスが「原始キリスト教」であることは、ご自身が書かれた一連の著作物のライイナップを見れば明らかです。

「真理の言葉」

「エソテリック・プラクティス」

「キリストのたとえ話」
新訳版 キリストのたとえ話 (ダスカロスによる註解書)

本当のジョシュア(キリスト)の教え

ダスカロスによる、これら一連の書は「本当のジョシュア(キリスト)の教え」として説明されています。

しかも、前世の記憶や指導霊ヨハネスによって教えられたとあります。

通常の感性ですと、上記のことはにわかに信じられませんし、第三者が確かめることができない話しになります。

こうしたケースは、とかく厄介です。「信じる・信じない」の世界になるからです。

しかし、ダスカロスの一連の書を読みますと、そこには首尾一貫した矛盾の無い説明があることが分かってまいります。

そして、この理屈や説明の上に、ダスカロス自身が成し遂げた各種の奇瑞があります。

奇跡的なヒーリングと原始キリスト教

ダスカロスが行った奇跡的なヒーリングは実際に認められています。

そして、ダスカロスのこの奇跡的なヒーリングの理由が、上記の書にあります。この上記の書が「原始キリスト教」といいます。

三段論法として、ダスカロスが言っていることは「本当かもしれない」と納得する所以です。

原始キリスト教は禅に似ている

私は、ダスカロスの説明は「原始キリスト教」であると思っています。

輪廻転生を前提にし、多次元世界に関する言及、心と思考によるエレメンタル等々、現在のキリスト教とは全くといってよいほど異なる教えから成り立っています。

ダスカロスはいいます。

原始キリスト教は「日本の禅宗」のようでもあると。

これは驚きですね。
禅宗に似ているとなれば、そのルーツである原始仏教でしょう。

原始キリスト教は原始仏教に通じるところがあったと考えて良さそうです。

原始仏教と原始キリスト教

原始仏教も原始キリスト教も、実は「同じところを見ていた」のではないかと考えています。

原始仏教では「涅槃(ニルヴァーナ)」。
原始キリスト教では「絶対(父・創造主)」。

実は、どちらも同じもので「永遠」としての世界。

原始仏教

原始仏教では、涅槃に至る方法を明確に説き、それを「無明を滅ぼす」あるいは「渇愛を断つ」といった「煩悩断滅」として説きます。

この方法の具体的実践となるのが、カラーパレベルでの無常・苦・無我の観察であり、あるいは「今ここに」を絶え間なく実践するヴィパッサナ瞑想になります。

原始仏教では方法論が明確です。

原始キリスト教

一方、原始キリスト教では、愛の実践を通して、絶対(父・創造主)と一体となると説き、方向性のみ示しています。

方法論が曖昧です。しかも厳密にいえば誤謬を含んでいます。

ダスカロスの教えはバラモン教的

ダスカロスの説く原始キリスト教的方法は、2500年前の仏陀在世の時代にバラモン教でも説かれています。しかしこの方法には不備があることが分かっています。

一体を目指しては、ゴールは得られず、一体を目指さないで、「執着をしない」連続性によって、絶対・父・創造主・永遠・涅槃といった「状態になる」ことが原始仏典から読み取れます。

厳密にいえば、ダスカロスの方法には不備な点もあると思われますが、しかしアストラル界やメンタル界、コザール界の「歩き方」が分かります。

しかも実生活に役立つ方法も多いため、原始仏教を補完できる内容として使用できるのではないかと考えています。

そんなダスカロスの入門書としては、こちらが分かりやすいですね。

この書は定番になりますね。
またダスカロス入門書にもなると思います。

話しはこちらに続きます。

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