日本の霊界とインドの仏教霊界とは違う~仏教の霊界は日本には当てはまらない

日本の霊界とインド・仏教霊界とは違う

霊界は各国によって微妙に違います。たとえば日本とインドとでは違います。

・日本の霊界・・・神界
・インドの霊界・・・仏教的

これを知りませんと、仏典にある霊界が、そのまま日本の霊界にも相当すると考えてしまいます。

しかし実際は違うんですね。仏典にある霊界はインド人向けの霊界です。今日は、そんなお話しです。

霊界は集合無意識による

霊界における序列、ランキングは、その国の「集合無意識」に依るところもあるんですね。

「共通した意識」が、人間の意識にも霊界にもあって、その共通した意識をベースに、霊的世界にもランキングができるってことなんです。

もっとも、これ以外の要素もあります。宇宙的に正しいという生命本来のあり方に、どれだけ合致しているか、といったことですね。

しかしこればかりでなく、「集合無意識」も序列の要素になるってことなんです。これはあんまり気づかれていません。

インド霊界は世捨て人を尊重

「山に籠もる」。インドは出家スタイルが社会的に評価されているお国柄です。なので!「インド霊界」においても、世捨て人な天人がやっぱり優遇されているんです。

不思議な国でしょ。これが「インド霊界」の特徴でもあるわけです。

インドの場合は「個人主義」が「正しい」とする集合無意識です。なので「心を浄める個人主義」であるならば、インド霊界では上層に行くようになっています。

日本の霊界では世捨て人は最下層

で、日本の場合は、「世捨て人」は最下層になります。なぜなら日本の場合は孤独を忌避し、調和を重んじる「集合無意識」が強いからですね。

逆にいえば、日本で「世捨て人」を選ぶ人は、日本の集合無意識とは相容れない境涯ということです。日本の場合、「世捨て人」は相当な「変人意識」になるわけです。

だから日本では、「世捨て人」を選ぶと不幸な意識になりやすく、実際のところ、不幸な意識になってしまっているように見受けられます。

で、日本では、不幸な人が「世捨て人」を選ぶようになります。

これはインドとはまったく逆だったりします。インドでは評価される?「世捨て人」です(現代ではどうなのかはわかりませんが)。

日本では「世捨て人」は評価されません。日本ではむしろ、白い目で見られますし、意識も不幸になりがちです。

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日本では世捨て人は妖魔になる

で、日本では、さらに困ったこととして、「世捨て人」は「妖魔」になることが圧倒的に多いことです。

なので日本では、「世捨て人」にならないほうが無難です。つらい意識状態になりがちです。境涯も低くなります。「天狗界」といった苦しみの境涯になります。

だからオウム真理教は、おかしくなったわけですね。元よりおかしかったのですが、さらにおかしくなったのは、日本では不幸になる「世捨て人」を選んだからです。しかも集団化してしまったからです。

一大「天狗界」「仏魔天狗界」が形成されてしまったわけですね。妖魔の集団です。

オウムは境涯が妖魔だったわけです。これじゃあ毒ガスサリンを撒いて大量殺人をしでかす事件を起こしても何ら不思議ではありません。事件そのものが妖魔レベルです。

日本では出家集団は妖魔化する

これは霊界的側面から分析した見解になりますが、霊的世界を含めて洞察すると、より深く、わかりやすくなります。

で、オウムのような存在に惹かれること自体、大変危険なわけです。それは妖魔体質を示しています。

なので今後、日本に出家集団が出てくるならば、ほぼ間違いなく、妖魔化していくようになります。

そこに良い意味のでバランス感、社会への肯定感・接点などがありませんと、日本では、出家団体は妖魔化します。

あの世の仕組みと天狗界

インドの集合無意識がエゴが強い

で、ね、インドは結局、国民意識(集合無意識)が変なんですよ^^;エゴが強い。著しく強い。

孤独には、宇宙意識の観点からみれば良い意味での孤独もありますが、よほど志操堅固でありませんと、多くはエゴイズムになります。

なのでエゴに陥らないためのストッパーとして、人と交わることや調和・融和・共生が大事なんですね。が、インドの出家者の多くはエゴ化が著しく、実体は妖魔です。天狗界の境涯です。魔性ですね。

インド出家者も天狗界だった

「インド霊界」そのものが境涯が低く、「日本霊界」と比較すると、精神性も低く劣っています。

インド出家者は「日本霊界」でいうところの「天狗界」「山人界」に相当します。苦しみの多い境涯になります。

で、仏教で説かれている霊界は「インド霊界」です。須弥山(しゅみせん)とは、ヒマラヤ山脈のことだと思います。

仏教で説かれている霊界は、世界各国共通の霊界ではなく、「インド霊界」のことじゃないかと思います。

インド仏教は妖魔・天狗化に注意していた

けれども同じインドでも、インド仏教は出家しながらもエゴに走らないように規律を守り、社会との接点を持ち、融和していましたからね。

仏教の「社会と隔絶した出家社会」は、ブッダが亡くなった後に登場した歪んだ教団スタイルなんですね。実は。

しかしインドでは、仏教のスタイルは特殊だったものです。インド全体としては、エキセントリックな出家者が多かったりします。現代でも「サドゥ」という変人がいますからね。

心を浄めることは普遍的な善

そんなのがありますが、ただ「心浄める」「善をなす」というのは普遍的です。これは変わりがありません。

たとえ「日本霊界」が日本人の集合無意識でランキングされるところがあったとしても、霊界における根本原理には、「心のきよらかさ」「徳の大きさ」があることは間違いないですからね。

また「心のきよらかさ」「徳の大きさ」にも、

・絶対的(宇宙的な原理)なもの
・社会通念・価値観・集合無意識に沿うもの

の2つがあります。この2つが混交しながら、霊界の序列も決まっているように思います。

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