瞑想指導では相性・フィーリングも大切

瞑想をお教えする際、基本的に「来る者は拒まず、去る者は追わず」としています。

基本的にですけどね^^;

というのも実際は、相性とかフィーリングとか、そういうのもあって、お断りする場合もあるからです^^;
 

こればっかりは仕方ありません。

で、お断りする場合は、申し訳ないと思っています。
 

人間は、どうしても個と個の相性があります。

これは仮に、慈悲が強くなってもあり得ることだと思っています。

 

そもそも、ブッダの時代も、長老(指導者となる阿羅漢)と相性が合わなければ、サンガ(瞑想グループ)を「変えるように」「変えても良い」という指導があったくらいなんですね。

ブッダの時代は、長老(指導者としての阿羅漢)が一人いて、メンバーが4~5人いれば、阿羅漢をリーダー(長老)とした瞑想グループ(サンガ)を作っても良いというきまりがありましてね。
 

ちなみに、その長老(阿羅漢)は「煩悩を完全に根絶している」わけです。

完全に悟った人。

ところが、その「煩悩を根絶」して完全に悟った阿羅漢と「相性が合わなければ、サンガを変えてもよい、変えなさい」という指導があったわけです。

初めて聞く人は驚くかもしれませんが、しかし、このブッダの指導は非常に示唆に富んでいます。
 

結局、阿羅漢になっても「人としての相性がある」ということなんです。

煩悩を根絶しても、大慈悲が備わっていたとしても、生物個としての相性がある。

修行上で相性を重視するのは、精妙な心の領域を扱うからですね。

デリケートで精妙な部分を扱うため、生物としての相性がよいほうが、修行がしやすい。

そういうことだと思います。
 

で、相性を無視して、理想論だけで---つまり人類皆兄弟、誰とでも手を取り合って---は、薄い人間関係に言い得ることであって、家族や友人、仲間といった濃い人間関係の場合では、相性を無視するとかえってストレスが多くなり、結果的にギクシャクした関係や険悪な関係になってしまうということなんですね。

「人間関係は相性を踏まえたほうがよい」というブッダの教え。

卓見です。
 

ちなみに明治からの学校教育では、「誰とでも仲よく」という大義名分を掲げていますが、これは非常にハードルの高い課題なことがわかるはずです。

ハードルの高い課題を掲げていますので、子ども時代に、むしろ人間関係につまづいたり挫折感を憶えてしまったり、人によってはトラウマになってしまうおそれもあります。

まずは気の合う仲間から人間関係を育み、そうして成長とともに輪を広げていくといったプロセスが望ましいと思いますね。

なので「家族」が人間関係の基本であり、この家族がより健全になるために、経験豊かなお年寄りのいる大家族スタイルが望ましいんですね。

で、「みんな仲よく」というのは理想論であって、左翼的な発想でもあって、現実を踏まえていないんですね。

ブッダの指導は、まさに生命本来の有り様に基づく叡智にあふれています。
 

と、話しが少し脱線しましたが、「相性は良いほうがいい」とゆーか「相性を大切にしなさい」というブッダの指導は、まさに生物個としてのナチュラルさを踏まえているんだなーというのが浮かび上がってくるわけです。

これは本当に大事なことだなーと思っています。

生物には相性がある。
 

犬やネコにも相性がありますからね。

相性の合わないオスとメスの犬は、そっぽを向き合うんですよね。

ネコなんかもそうだといいますね。
2~3匹飼おうとしても、相性が合わないネコがいると、ストレスを感じておかしくなってしまうとか。
 

生物には相性がある。

これは歴然とした事実であって、相性を抜きにして人間関係やコミュニケーションは語れないとも思っています。

で、ブッダも相性を重視していたという歴史的な事実。

相性は大切なんですね。

 

で、私も、体験的・経験的に「相性は大切だなあ」と昔から感じていました。

ですので瞑想会に参加する方も、基本的には相性を大切にしています^^
 

相性といっても、スムースに話しができるか、なんとなくフィーリングが合うか、まあまあいいんじゃないのーといった体感なんですけどね。

で、ほとんどの方はOKなんですね。

が、中にはあれ?と感じる方もいらして、そういう方は今では丁重にお断りしています^^;、実は。

この辺りはデリケートですし、誤解されてしまう場合も起き得ますが、それでも「相性、フィーリングは大切」ってことなんですね。
 

けれども、プレゼンスに開眼したり、覚醒体験があったりすると、相性とは異なる領域での「共鳴」が感じられるといった不思議な現象があったりします。

で、プレゼンスに開眼したり覚醒体験があったり、あるいは慈悲が強くなると、個としての相性は希薄になるということ。

こうした現象もありますが、しかし瞑想をお教えするといった文脈では、基本的に相性は大切かなあと思います。
 

瞑想は生き方であり、生きる姿勢ですので、ある意味、瞑想グループは瞑想仲間であり、友人に近い関係の集まりです。

なので、相性が大切というのは当然といえば当然になると思います。

 

過去には、会ったときから違和感があったり、その方のご性格がどうも合わないと感じながらも、5年近くアドバイスした方もいました。

が、結局、瞑想もうまくできず、だんだんとギクシャクもしてきて、違和感も昂じてきて、「この方は無理」というのがピークに達したため、お断りしたこともあります。
 

理性では「どんな人にも平等に」と思っても、実際はギクシャクしてしまう。

その方とのことを通して、「相性・フィーリングは大切」ということを体験的に学んだものでした。

で、瞑想指導において、違和感を感じながら行うのはNGだなあというのを、骨の髄から学んだものでした。

無理はしない。
合わない、難しいと感じる場合はご遠慮する。

 

何事も経験ですが、このときの経験以来、「なんとなく感じがよい」とか「しっくり来る」という相性やフィーリングを大切にするようにしています。

あと、これは昔からなんですが、決して飾らず、見栄をはらず、等身大の自分で行っていく^^;

これが一番ラクチンですし、この姿勢で行っている中で、共感共鳴してくださる方がいらっしゃればOKなんですね。
 

ですので、それ以来、瞑想ができるとかできないとかは関係なく「相性」「フィーリング」を大切にするようにしているんですね。

相性といいますか、フィーリングに違和感が無かったりほとんどなければ、何年にわたって瞑想のアドバイスをしたり、グループとして続けていくことができますからね。

メチャ大切。
 

こうした苦い経験をしながら学ぶことで^^;、生きた智慧といいますか、洞察も深まっていくんですね。

今でも経験しながら学んでいますけどね。勘違いや失敗もあります^^;
 

それにしても、ブッダが相性を大切にしていたということは、マインド優位の方からは誤解を受ける可能性が高いのですが、生物の自然な有り様への指摘でもあって、非常に示唆に富んでいます。

相性やフィーリングは、瞑想グループでも大切ですね。

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