私のルーツ

コロナになってから世間が騒がしいですね。

そもそも、このコロナ。
やっぱり変ですね。
ワウチンも変。
おかしなことばっかり。

この辺りを追求していくと、陰謀論ではないリアルな陰謀があることがわかってきますね。林千勝さんの研究や洞察から、いろいろとわかってきます。

しかし林千勝さんには、妄想系陰謀論を好む人もワサワサ集まってきているようで、ちょっとなんだかなーと^^;

ワタクシとしては、事実を重視する姿勢の林千勝さんがいいんですよね。

妄想系はいやーん(ノ∀`)

 

それにしてもなんていいますか。

  • スピリチュアル・・・神秘や不思議に興味がある
  • 宗教・・・ご利益・すがるのが好き
  • 聖なる言葉・・・聖なる言葉が好き
  • 修行・・・修行が好き
  • 精神修養・・・心を高め浄めることに関心がある
  • 解脱・悟り・・・悟りたい

このようにザックリと分類できますね。
 

で、私の場合は、元々「精神修養」「解脱・悟り」でしたからね。ここから始まっています。16才からです。

で、神秘的なこととか、ご利益、宗教にすがる、聖なる言葉は、まったくといっていいほど興味は無かったですね。てか、興味がわかないんですね。

これらには価値を見いだすことができず、どうでもいいことに思えたものです。

今でもほとんど同じですね。
 

ま、神秘的なことは、自分にそういう怪しい能力が出てきたので関心は出てきました。

が、元々そんなに興味は無かったものです。エンタメとしては面白いんですけどね。でも身につけたいとは思わなかったものです。

宗教もそうですね。宗教は縁もありましたが、ご利益を願ったり、すがるような姿勢は苦手でした。

聖なる言葉もそうです。
昔は高橋信次さんの霊言なんていわれたこともあります。が、こーゆーのはまったく興味無し^^;

なんで言葉で満足できるよ?って感じなんですね。言葉なんかじゃ満足できましぇん^^

で、修行も、いわゆる修行みたいのはイヤでしたね^^;インドの修行僧とか、出家して怪しげな恰好になって雰囲気が出ている、あの手の修行は、超苦手。

なのでオウムが出てきたときは、「なんじゃいこれ?」と思ったくらい。ええ、ア●ですよ^^;

 
で、結局、精神修養系なんですね。
聖なる言葉とかを読んでも、そこに書いてあることが「どうしたら自分に身につけることができるんだろうか」と。

で、身につけるための実習をするわけですね。こういうのを10代の頃からずーっとやってきたわけでして^^;

で、これと関係して悟り。これなんですね。

で、ずーっと修行(といってもオウムちっくなアレなもんじゃなく、まさに精神修養といったノーマルな感じです)をしてきましてね。

 

で、途中で潜在意識を使う方法にもハマりました。

てか、当時は、潜在意識を使って云々というのしか無かったですね。なので、このテクニックは20年くらい行いました。

まあ、極めたんじゃないかと思います(笑)

で、潜在意識のテクニックは、ある程度までは効果はあるんですね。が、ストレスを感じるようになります。

で、潜在意識なんちゃらといっても、結局は、言葉で規制するやり方と本質は同じなんですね。

本質は、道徳のテキストを読んで、それをなぞって真似て身につけるやり方と同じです。ほとんど変わりはありまん。

潜在意識なんちゃらにハマっている人は、気がついたほうがいいですよ(笑)

 

で、途中でテーラワーダの「あるがまま」の観察や気づきの瞑想を知って、ここからブレークスルーですね。怒濤の変化の連続です。

それまで潜在意識のワークを必死こいてやっても、ほとんど効果らしい効果を感じることは無かったものの、テーラワーダにシフトしてから爆走です。

 

結局、潜在意識のワークは、「思い込み」なんですね^^;

「効果がある」と信じている「鰯の頭も信心」の暗示にかかりやすい人が、その気になっているのが大半以上です。

妄想タイプといいますか^^;脳内妄想が盛んな人が、潜在意識のワークにひっかかって効果らしいものを感じるんですね。

あるいは、鰯の頭も信心で、思い込みパワーによる実現力です。

これが潜在意識のワーク正体です。

ところがテーラワーダは違います。

怒濤の変化はいろいろとありすぎて書ききれないくらいですね^^;

 

しかしテーラワーダの「気づき」にも欠陥というか問題に気づきましてね。

テーラワーダのやり方では、悟ることはできない。
これに気づいたものです。

ええ、原理的にいってほとんど無理です。

しかし心を善くすることはできます。

なので今でもテーラワーダのやり方は軸にしています。

といいますか、まずはテーラワーダの気づきの瞑想からですね。

で、次第に気づきが脱落していって、あるがまま。

気づきは脱落していくアプローチを推奨しています。

 

何故、このアプローチかといえば、結局「悟り」とのリンクがあるからですね。

悟りでは「何もしない」「あるがまま」です。

気づきはタブーです。
そういう意図的なこと、作為的なことはしません。

で、いかに何もしない、作為しないに徹するかが禅の大事なところです。

なので「気づき」はやりません。
やれば悟ることはできなくなります。

なので
・気づき・・・しあわせ感
・なにもしない(あるがまま)・・・悟る

どちらかの選択になります。
最終的には。

私としては「なにもしない」が最終形ですね。

で、そのように指導といいますか、アドバイスもしています。

 

というわけでしてね、なんだか気のおもむくままにパチクラとタイピングをしましたが、スタートは「精神修養」と「悟り」だったんですね。ここがスタート。

で、今も基本的に変わっていませんね。

怪しげなスピリチュアル的なこともしますが、それでもいわゆるスピは苦手です^^;ちょっと「ごめんなさい」なんですね。

で、精神修養、悟りがベースです。で、瞑想なども、すべてここから出ていますね。

と、久しぶりに思いつくままにタイピング。

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