マインドフルネスが広まっていますが、疑問のある「やり方」を聞きましてね。
教わったやり方というのですが、聞いてビックリ。端的にいいますと間違ったやり方なんですね。
危ないです。
分離意識・乖離に至らせる危険なやり方がある
どういうやり方かといえば観察視点を、頭の上や、後方に持ってくるやり方です。
頭の上や、後方の「視点」を設けて、そこから観察するわけですね。
これはですね、やっちゃいけないやり方なんです。
こうやって観察する視点をどこかに設けると、瞑想している気分になれるんですね。また観察瞑想の効果を実感するために、手っ取り早くできる方法ではあります。
しかし一時的に使ってみるならまだしも、継続的かつ日常的に行うやり方ではないんですね。
といいますのもこの方法は、いわゆる「分離意識」を引き起こし、「乖離(かいり)」を引き起こすからです。
離人症、多重人格の意識状態が、この分離意識・乖離と言われているくらいです。
最悪、人格の分裂を引き起こします。
そこまでいかなくても、感情抑止や抑圧となったり、違和感や葛藤を引き起こすなどして、メンタル面にマイナスの影響が出てくるようになります。やっちゃダメなんですね。
間違ったマインドフルネスが横行している?
このやり方をやっている人は結構多いようです。実際に人数を数えてはいませんが、感触としてですけどね。
といいますのも、マインドフルネスを伝えている人が、このやり方を教えているようなのです。
でも、これはおすすめできません。
一時的に使うならまだしも、日常的に行うのは危ないですね。
意識を分離させて、最悪、離人症などの人格障害などの問題を引き起こす心配があります。
しかし、おもいっきり精神に問題を引き起こしかねないやり方が広まっているのも、変な話しというか、かえっておかしな精神状態にしそうで心配になりましょうか。
本当のマインドフルネスのやり方は広まっていない?
ところで、初めて観察瞑想(マインドフルネス)を始めると、実は往々にして、視点をどこかに設けるやり方をやってしまいます。
かくいう私もやったことがあります。
ただ、しばらくやっていると、なんかおかしい感じがするわけです。違和感が出てくるといいますか、妙な緊張意識があって、意識が引き離される感じがしてきます。
それで、「おかしいな」と気づいて、やり方を模索するわけですね。そうすると、視点をどこかに設けるやり方は違っていることがわかってまいります。
正しいやり方は「そのまんま」
正しいやり方は、どこかに視点を設けることなく、「そのまんま」といった有り様です。
視点を設けないことなんですね。
「そのまんま」。
ただ、このやり方は、最初はピンと来なかったり、瞑想している実感がわきません。
正しいやり方はリラックスがある
しかし「そのまんま感じる・観る」やり方をしていると、この裏側でリラックスしていることがわかってくるはずです。
時々「マインドフルネスはリラックスではない」といったことも言われていますが、これもまた違いまして、マインドフルネスの裏側にはリラックスがあります。
マインドフルネスにリラックスが必要なことは、グナラタナ師も言われています。
リラックスと気づきとは関係がある
ナチュラルなリラックスが日常的になるに従って、並行して「気づき」が生じて深まっていくというのが、一つの流れといいますか、進み方であるように感じます。
もっといいますと「気づき」とは、立ちあらわれるものであって、気づきが立ちあらわれるためには、リラックスしていないと生じないということだったりします。
リラックスとだらしないは違う
ちなみにリラックスといえば、人によっては「ダラン」とした状態をイメージするかもしれませんが、それはリラックスはなく「だらしない」状態ですね。
リラックスとは、一つのたとえでいいますと、肩の力や目や顔の緊張などが適度にゆるみ、温かさや微笑ましさがあるような弛(ゆる)んだ状態です。
観察視点のマインドフルネス迷信
しかし、どこかに観察視点を設けると、すぐに観察できる感じになるんです。
なので、これをやってしまうのだと思います。効果らしいのを実感できますので、これをやってしまいがち。すぐに出来るので、このやり方をやってしまう。
で、「マインドフルネスはすぐにできる」という迷信も広まっているんじゃないかとも思います。
専門家ですら、視点をどこかに設けるやり方をやっていて、この状態で観察していることを著書に書いていたのもあるくらいです。
けれども、正しくはないんですね。
一時的ならまだしも、恒常的に行うやり方ではありませんね。
抑圧をマインドフルネス効果と勘違いしない
医療系のマインドフルネスでも、分離視点(どこかに観察視点を設けるやり方)をしているならば、世間でも、このやり方が主流になっているとか、広まっているのかもしれません。
けれども、これはよろしくありませんね。意識は分離され、感情抑制にもなることもでてきます。
「感情抑制」、つまり「抑圧」です。
感情抑制とは、感情を抑え込んでしまうことですね。感情だけでなく、思考も抑えていまいます。
で、感情抑制した状態を「心が静まった」「落ち着いてきた」と勘違いすることがあります。あるいは「反応が減ってきた」「煩悩が減ってきた」とも。
抑圧は緊張をともなう
しかし、心が静まったわけではないんですね。
落ち着いたわけでもありません。
反応が減ったわけでもなく、
まして煩悩が無くなってきたわけでもありません。
単に心の動きにフタをして、強引に止めてしまったようなものです。
押さえつけただけです。
鈍くなっただけです。
裏側に「緊張」があります。
分離意識は緊張をともなう
分離意識(観察の視点をどこかに設ける)のやり方は、裏側に「緊張」を生じてしまうのですね。
だから危険なんです。
こうしたやり方をしていますと、いずれどこかで感情が爆発するようになったり、あるいは緩慢になったりして、溌剌(はつらつ)さが無くなっていくようになります。
観察視点を設けるやり方をしていますと、この手の「感情抑制」に陥ってしまうようになります。
「危険なやり方」なんです。
で、実はこれが「瞑想難民」にしてしまう一つの原因だったりもします。
感情抑圧と分離意識はセット
感情抑圧と分離意識はセットになりやすいものです。
で、この状態を「瞑想効果」と勘違いしているケースが多そうですね。
もし臨床現場でも起きていたらよろしくありません。大変です。
が、どのみち今流行のマインドフルネスは、厳しい批判にさらされるのは、そう遠くはないと思います。
気づきには3種類ある
マインドフルネスは、やはり瞑想です。
テーラワーダ仏教の瞑想に源流があります。
禅の只管打坐でもあります。
しかし「マインドフルネス」は、正しいやり方も間違ったやり方もごちゃ混ぜになっている印象も受けます。
玉石混交のまま、その効果だけが喧伝され「マインドフルネス」が広まっています。
気づきには3種類あるのでしょう。
- 気づきが立ちあらわれる「気づき」・・・本当のマインドフルネス
- 通常の意識で行う「気づき」・・・本当のマインドフルネスへの橋渡しとしての「気づき」
- 分離意識で観察する「気づき」・・・間違ったマインドフルネス
これら3種類は区別していく必要もあります。
マインドフルネスはテーラワーダ仏教
マインドフルネスの源流と本当のやり方はテーラワーダ仏教にあります。
マインドフルネスは、悟り修行の文脈で使われている瞑想テクニックを元に考案されています。
やり方も含めて、元祖であるテーラワーダ仏教に尋ねるのがいいんじゃないかと思います。