悟りの航海図~悟り系で行こう

久しぶりにアジャシャンティ。

アジャシャンティ 目覚めのとき

アジャシャンティ、いいですね。
素晴らしい言語化。
的確であり、適切です。
この言語化の巧みさは、欧米人ならではなのかもしれません。

アジャシャンティは悟っています。
その言葉には(翻訳されたものでも)、ある種の響き、エネルギーがあります。
クリシュナ・ムルティにも、そういう響きがあります。
ラマナもそうですし、OSHO、レナード・ジェイコブソン、
ムージー、フーマンも皆、同じ響き、香り、エネルギーがあります。

それぞの覚者には、ある面からの切り口、表現があって、
その切り口なり表現が、共鳴を引き起こしています。

マインドを超越した響き。

 

私は、
・現実(リアルな現実の世界)
・スピリチュアル、宗教(霊性・徳の世界)
・超越、悟り(悟りの世界)
の3つの世界(層)を、その時々の気分で興味を持って、
とどまっています。

今まで、スピリチュアル・宗教の世界にいましたが、
こうして超越・悟りの世界に戻りますと、やっぱりいいですね。

昔、悟り系のコテコテのブログを付けていたことがあります。
内緒のブログでしたけどね。
 

そうそう、驚くべき書があります。
【悟り系で行こう 「私」が終わる時、「世界」が現れる】という書。

この著者は、私と同じです。
同じ体験をし、書の中でそれを表しています。

「私」という思い込みが破壊され、
「私」と「世界(宇宙)」がひっくり返ったと。

全く同じ。

しかも、アプローチも同じ。
「自己観察」。
那智さんは、7年間、自己観察。
 

さらに、本質的に救われた感覚があること。
「正しい」とは何かを知っていること。
バランス感覚が絶妙になること。
自分の実在は「私ではない」ということを根本において知っていること。
生の質的な変容が起きた。
世界の恩寵それ自体を味わい、生きていくこと。

こうした感じも全く同じ。
 

あと、こうしたことがありながらも、
日々の生活の中においては傷付いたり、
怒ったりするなどの感情の表れがあるとか、
葛藤が生じるなど、
矛盾するものもあって、個我のはたらきが混在しています。

だから、自分に起きたことを第三者には言いにくい。
言えば「頭のおかしいヤツだ」とか
「思い上がっているヤツ」とか思われそうなので、
言いたくない、黙ってしまう。

こうした状態もよく似ています。
全部、同じ。
驚いた。

もっとも性格や趣味などは違いますけどね^^;

しかし、こんなに酷似しているとは。
ただ驚くばかり。

 

しかし、よく本を出したと思います。
バッシングを受ければ、傷つくでしょうし。
勇気あります。

けれども、途上であっても、その状態を書にしたためて出した勇気には
頭が下がります。
こうした情報が、途上にある者の手助けになります。

このような書が世に出て、知ることができること自体が
ありがたいものです。

しかし、この本は、表紙で損をしていますね。
もったいない。
隠れた良書です。
日本人が書いた中では、誠実な書です。
奇をてらっていませんし、話しを盛っていません。
で、著者が体験したこと、体験していることは確かです。
 

それにしても、人は「この自分」を「私」と思っていますが、
そうではなく、別の存在があって、その存在が「本当の自分」であって、
しかしてその「本当の自分」という認識も超越した「意識」であって、
その意識が存在しているだけということを体験すると、
恒久的に「自分という認識」が木っ端微塵になります。

木っ端微塵になっても、個我は頭をもたげてくるのですが、
この自覚や認識がありませんと、
自分に何が起きているのかちんぷんかんぷんになり、
この無自覚がまた問題となってしまいます。
実は、ややこしい問題があったりもします。
 

その「意識」は、気づき、ハート、無我、空などをもたらしますが、
それぞれのエッセンスは、「霊性・徳」に開けることから始まります。
で、これが王道でもあったりもします。

で、この「霊性・徳」の深まりと、その先に、
個我の破壊という大イベントが起きて、
ここから、また新たな道がはじまります。
 

まずは「霊性・徳」に開けることが大事だったりします。
これが大事。

スピリチュアリズムや宗教では、
まず「霊性・徳」に開けることの大切さを述べています。

シルバーバーチなどの霊言やチャネリングもそうです。
「霊性・徳」に開けるためのアドバイスや誘導をしています。

まず「霊性・徳」に開けることを目指すことですね。
悟りも、ここから開けてきます。
世間一般の幸福も、ここから開かれてきます。

私も、こうしたアドバイスもしています。
そういう主旨ですね^^
 

まずは、霊性・徳に開かれていくこと。
わかるようになること。
霊性・徳に基づいて生きていけるようにすること。

この道から、悟りの一瞥体験や有身見の破壊など、
いろいろと開かれていくようになります。

ということで立ち位置といいますか、
悟りの航海図みたいな話し。

と、思いつくままに書いてみたり。
そんな春の日の朝。