発達障害は人間関係のあり方に問題提起する~縁・相性・仲良し・ウマが合うこそが健全な人間関係

発達障害というカテゴライズと差別的な名称が気になる

「発達障害」。
最近、よく見聞しますね。
ADHD、アスペルガー、自閉症。

・社会に出たらミスばかりする
・雑談が苦手で、周りから“空気が読めない人”と言われてしまう
・衝動的にカッとなったり、一か所にジッとしていられない

こうしたお悩みを持つ方に、発達障害があると。
で、今問題になっているのが「大人の発達障害」。

しかし、「発達障害」あるいは「大人の発達障害」といった指摘は
役に立つことがある一方、
ある種の「基準」「スタンダード」に入っていなければ「ダメ」「異常」といった
レッテル貼りになりかねません。

こういうカテゴライズして、正常・異常とするのは、どうなんだろうかと。
本質的には、
「容姿が良い・悪い」
「金持ち・貧乏人」、
「学校の勉強ができる・できない」
「出自を問う」
といった差別化を助長する恐れがあると思うんですね。

そもそも「発達障害」という言い方が差別的です。
また「問題だ」と認識をうながしています。
もう最初から「差別」して、「問題」にして、
医療業界などでお金儲けとかをするのが狙いなのがと勘ぐってしまうくらい
差別感を助長するようなネーミングになっています。

発達障害の問題は人間関係のあり方を見直すきっかけになる

「発達障害」と言われる状態にある方は、確かに「イラ」っとさせる言動を取るため、
人間関係で支障を引き起こすことがあったりします。

この人間関係におけるトラブルは問題になります。
それで「発達障害」といった言葉が生まれたのでしょう。
で、「異常」「おかしい」といった具合に、
カテゴライズされるようになったのでしょう。

「イラ」っと感じる側から、「おかしい」といった指摘が出て、
それで「発達障害」という言葉が生まれたんじゃないかと思います。
 
けれども「発達障害」「大人の発達障害」が広く世間に知られるに従って、
人間関係のあり方を見直すきっかけになると踏んでいます。

つまり「人は、自分と合う人と交際し世界を作るのが望ましい」という提案です。
こうした「合う人で形成する人間関係が望ましい」という認識と広まりに、
拍車をかけるきっかけになるんじゃないかと思っています。

結局、人間関係において問題提起されたのが「発達障害」という言葉です。
そもそも「ストレスの多い人間関係」は、誰にとっても苦しみであり問題です。
といいますか、社会生活を送っている中で、問題の核になりやすいのは人間関係です。
発達障害の問題は、人間関係の有り様に一石を投じると思っています。

「発達障害」の問題は、畢竟、「人間関係のあり方を見直す問題提起」の
きっかけになり得るのではないかと思うんですね。

おそらく、そういう流れに、話しは進展していくんじゃないかと思います。

誰とでも仲よくしようといった理想論が人間関係を難しくしている

戦前より、儒教の影響などを受けて、「誰とでも仲よくしましょう」とか、
「人類皆兄弟」といったスローガンが掲げられ、
本当に、これを実現してしようとしてきています。

しかし、こうしたスローガンや理想論が、いじめを増やし、
ストレスの多い人間関係を増やして、
人々を苦悩に追いやってきています。

実際、「誰とでも仲よくしましょう」というのはできませんし、あり得ません。
個々において、取り組むテーマであって、
学校や社会が押しつけるものではないんですね。

こういう浅はかな正義感や理想論を振りかざすことの危険性や弊害を、
「発達障害」や「大人の発達障害」の問題は、
一石を投じるきっかけになるんじゃないかと思います。
 

で、実際、「定型発達」と言われる健常者であっても、
苦手な人とかがいるわけです。

で、そういう苦手な人とも無理に合わせてストレスをためこんで
苦労もしているわけです。

で、ガンになったりして病気になり、寿命を縮めて
亡くなってもいるわけなんですね。

人間関係は「仲良し」「ウマが合う」生活圏を基本とした有り様が望ましい

人間関係は、基本的に「合う人とつるめばいい」んです。
こう言いますと、乱暴に聞こえるかもしれませんが、
もっとソフトに言えば、「縁のある人と一緒に生活圏を形成する」、
これでいいんです。
実際、こういう人間関係に収斂しますし、これが安心するわけなんですね。

これを無視して、いきなり「誰とでも仲よくしよう」みたいな
理想論を振りかざしますので、おかしくなってしまうわけです。
 

ただ、決してエゴ的な姿勢をヨシとしているわけではないんですね。
慈悲、ハート的な生き方がベースにあるわけです。

慈悲、ハート的な生き方がわかってきますと、
一面では、「縁」「相性」の尊さがわかってきます。

で、こうした「仲良し」「ウマが合う」生活圏を大切にし、基盤にしていき、
そういう基盤の上で、より多くの人、相性が合わない人とででも
一緒にやっていく努力なりの拡大をしていくわけですね。

自分が立ち戻ることができる基盤があってこそなんです。
だから「家庭」が大切。
家庭は基盤です。
安全圏です。

安心できる人間関係の有り様を見直す発達障害の問題

慈悲、ハート的な生き方をベースにし、
家庭を基盤とした安心できる関係をベースにしているならば、
「縁」「相性」「仲良し」「ウマが合う」を基本とした人間関係は、
真っ当に機能するようになります。
「縁のある人と一緒に生活圏を形成する」が正常に機能する。

反対に、無理に「誰とでも仲よくする」というのは機能不全に陥ります。
で、多くの人を苦しめてしまう。
 

発達障害とカテゴライズされる方々は、その同じ属性の中で
人間関係を構築し、生活圏を作るのがいいんじゃないかと思います。
それでいい。

発達障害の問題は、人間関係を健全にすることへの
一石を投じるテーマになるじゃないかと思っています。
 

で、発達障害というレッテルを貼るマジョリティ(大多数)側が、本当に正常なのか?
ただ単に大多数だけだけじゃないんですかね^^;?
ズレているのは、どっちなんでしょうかね?
本当に、定型発達・発達障害というカテゴライズが適切なの?
お金儲けのために差別感を生み出しているんじゃないの?

そんなことを思ったりもしますが、
こうした差別感や不遇感を助長するかのようなカテゴライズには、
少々懸念を抱いています。

しかし、「発達障害」は、安心できる人間関係の有り様に向けて問いかけをする、
そんな可能性を秘めていると思います。
発達障害問題には、人間関係のあり方を見直す、
そういう問いかけが横たわっていると思います。

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