ケンちゃんシリーズ 天才子役・宮脇康之から学ぶ「こだわり」と「あるがまま」

ケンちゃんシリースは昭和のモンスタードラマ

今は令和の時代ですが、昭和40年代後半から50年代にかけて、一世を風靡したモンスタードラマがあったものです。それが「ケンちゃんシリーズ」。

リアルタイムで見ましたよ^^;
お茶の間では大人気。

そのあどけない宮脇康之さんの顔が、大人にも大ウケ。また子どもにも人気。ケンちゃんは、まるで子ども世代を代表するかのような等身大の子どもだったからですね。

ケンちゃんシリーズは、子どもから大人まで大人気だったドラマです。1年ごとに設定が変わり、かれこれ10年続いたモンスタードラマです。確かに当時、ケンちゃんって子どもがすごい存在に思えたものでした。

子供心に「ケンちゃんって輝いているなあ」と思ったものです。天才子役・宮脇康之さん。当時は「輝いている」という表現は知りませんでしたが、キラキラしている感じを受けていました。

子どもにとってもケンちゃんは、ヒーローといいますか、当時の子どもを代表するかのような存在だったものです。

リアルのケンちゃんの宮脇康之さんは大変だった

が、実像のケンちゃんこと宮脇康之さんは、大変だったということが、その後、明らかになるわけですね。

そのことは、後年書かれた宮脇康之さんの数冊の著書をはじめ、テレビでも再現されて報じられていました。


ケンちゃんの101回信じてよかった


名子役の虚構―ケンちゃんの真実

すさまじいですね。売れっ子子役で天才子役ですので、10才の子どもに関わらず、周囲の大人達は天皇のように持ち上げて接してみたり。おー、こんな扱いをすれば、勘違いしてしまうだろうに。

毎日、撮影のため、学校は午前中で早退。家に帰るのは深夜近く。小学生が。

で、お母さんは、いつもケンちゃんと一緒。家庭団らんはなくなる。お兄ちゃんはカップ麺を食べる日々。これは荒(すさむ)うぅ。

お父さんは、お母さんが不在なこともあってか、不倫に走ってしまったり。あいやー。

さらに、宮脇康之さん自身も、クラスメートの嫉妬心から学校でいじめにあい、お兄ちゃんまでもが、やっかみを受けていじめに遭うという悲惨さ。

もう家庭崩壊です。実際、家庭が崩壊してしまいます。お父さんとお母さんは、離婚します。

すさまじい舞台裏といいますか、リアルな殺伐ケンちゃんです。

天才子役・宮脇康之さんの裏の顔といいますか、今だからこそわかる事実ですね。

ケンちゃんシリーズは昭和ならではのスポ根があった

今の時代であれば、もっと配慮するとか、周囲の対応も違っていたと思います。

けれども昭和のこの時代は、ドラマ至上主義といいますか、ウケるドラマのためなら全てを犠牲にするといった、奇妙な「特攻隊精神」があったようにも映ります。

誤った対応なのですが、どこか「無茶なスポ根」に通じる戦前戦中のノリを感じさせます。

あるいは、自分をないがしろにしてでも周囲を立てるといった、相手に受け入れてもらうための「封建時代の処世術」の名残といいますか、サバイバル時代における処世術といいますか、そんな無理な姿勢が、ケンちゃんシリーズにはあった印象を受けます。

もっとも、これが昭和の時代の感性といっていいかもしれません。そんな昭和スポ根&戦中の特攻隊精神が、ケンちゃんシリースの根底にあったような気もします。

で、そんな前時代的な精神を彷彿とさせる実像のケンちゃんをまとめた動画が、ネットの動画サイトにはあったりしますね^^;よくまとまっています。

ケンちゃんの苦しみは過去の栄光への執着

著書にしてもそうですが、こうした情報を見れば、ケンちゃんこと宮脇康之(健)さんのことがわかりますね。

いろんな理由もありますが、一言でいいますと、子ども時代に不適切な育ち方をし、その後、過去の栄光を引きずると「不幸になってしまう」といった、そんな反面教師な話しです。

よくいいますが、たとえどんな素晴らしいもの・体験・教えであっても、それにしがみつけば苦しみになる。つまり「執着」です。

ケンちゃんは、まさにこれ。子役時代での大スター。天才。大活躍という過去の栄光の「体験」「記憶」にしがみついてしまった。執着してしまった。こだわってしまった。だから苦しみ、不幸になってしまった。

正しいことでも執着すると苦しみ不幸になる

「しがみつく」と、必ず苦しむようになります。あらゆることに言えます。何もアルコールであるとか、ギャンブルであるとか、そういうものに限りません。

どんなことでも「しがみつく」と、「こだわる」と、「執着する」と、必ず苦しむようになります。不幸になります。例外はありません。

理想。
宗教。
正しい教え。
常識。

こうしたことでもそうです。

厄介なことは「これって正しいじゃん」と思われていることですら、握りしめると、しがみつくと、必ずイライラや苦悩、ストレスが生じて、最終的には苦しみとなって不幸になるということ。

宗教戦争は宗教の教えへのとらわれ・執着のなれの果て

宗教など、その典型であり筆頭です。正しい教え、正しい生き方を説きながら、お互いの宗教を認め合わず、争ったりもしています。宗教が!

もっとも驚くことは、同じ神を信じていながら、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は、争っていることです。この3つの宗教は、すべて同じ神を信じています。

しかしながら教義体系が違っていたり、教えの表現が違っていると、お互い決して認め合おうとしません。「私たちの教えこそが本当の神の教えだ!」。

議論となって、口論となって、争い始める。最終的には軍隊まで使って戦争まで始めてしまう。

もっとも宗教戦争の背景には、宗教を巧妙に利用した政治意図があることも事実です。しかしこうした政治目的の尻馬に乗せられる宗教的指導者もどうかしています。愚かの極み。

結局、「これが正しい!」「これこそが絶対に素晴らしい!」と、強く握りしめ、しがみつく、そのなれの果ては分離であって争いになるということです。

争いにならなければ、カルト宗教のように、ごり押ししまくります。しかし、ごり押しする姿勢とは、相手と歩み寄る姿勢がないわけして、分離状態で、一種の争いだったりします。内に秘めた闘争心といいますか。

結局、宗教は、その教義を強く握りしめた瞬間に、宗教戦争になる運命を宿すわけです。

宗教戦争は、何らかのものをにぎりしめ、しがみつくことのなれの果てを示した、典型的な事例だったりします。

たとえ「正しい」と思われている教え、観念、イデオロギー、常識であっても、握りしめ、しがみつけば、必ず争いを引き起こします。葛藤を引き起こし、苦しみを引き起こして、不幸になります。例外はありません。

思い出、記憶、体験、思い、信念、考えにとらわれると必ず苦しむようになって争いとなる

体験でもそうです。過去にあった素晴らしい体験もそう。思い出、記憶もそう。

ケンちゃんこと宮脇康之さんの不幸は、まさにこれ。過去の栄光にしがみついた結果が、苦しみであり、自暴自棄だったりします。

おそらく今でもしがみついているかもしれませんね。下手をすると、死ぬまで、しがみ続けるかもしれません。

過去の栄光の記憶や体験が、永遠にリフレインし続けて、その栄光を追い求めようとする。

ちょっと怖い話しだったりします。けれどもケンちゃんに限りません。こうした脳内活動は、人は誰でも行っています。

また、人は、
これが正しい!
こうしなくっちゃいけない!
こうあるべきだ!
こうするんだ!
あーするんだ!
こうしないからダメなんだ!

ということを思い、その思いが強くなり、熱くなると、例外なく、苦しみが起き、争いが起きるようになります。

自分の思いとは違う現実を見て、イライラしはじめます。文句を言います。責めはじめます。口調が強くなります。相手を変えようとします。で、最終的には言い争いになってケンカもしてしまいます。

こうしたことは、意外と親しい人間関係で起きています。家族の間。夫婦の間。親しい友人の間。

誰もが経験しています。また誰しも、こういう傾向があります。

が、これに気づくことができるかどうかですね。気づくことができなければ、イライラが強くなります。ストレスが昂じると、怒り、暴言になって出てきます。

本当の瞑想である「自己観察」のすすめ

ですので「自己観察」が大事になるわけですね。自分の心が移り変わっていく様に気づき続ける。本心や動機に気づいていくこと。巻き込まれて感情が爆発することがあっても、自分の心の移りゆく様、本心、動機に気づき続けていくことが大切なんですね。

そうして、これをリラックスして行っていくと、そのリラックス感が「やすらぎ」として感じられ、これが身についていきますと、この「やすらぎ」の上で、感情や思考がダンスしているかのような、やすらぎからながめる感じに変わってまいります。

で、これこそが「本当の瞑想」だったりします。瞑想とは、座って何かにひたすら集中したり、何かになろうとするものではないんですね。こういう瞑想もありますが、しかし本当の瞑想ではありません。

本当の瞑想とは、心の様を感じ、本心や動機に気づき、また「やすらぎ」に開けていく有り様をいいます。

毎回毎回、こうしたことができるとは限らないにしても、こういう「やすらぎ」のある「自己観察」が本当の瞑想なんですね。また、やすらぎのある生き方になっていきます。

ケンちゃん・宮脇康之さんから学ぶことは多い

ケンちゃんから学ぶことは多々あります。昭和の大ヒーローと言ってもよいのがケンちゃん。宮脇康之さん。

しかし、過去の栄光という記憶と体験にしがみつき、こだわり、散々苦労されたその生き様は、いろいろなメッセージを投げかけてくれます。

10才のときから、周囲の大人達が天皇のように持ち上げるといった不適切な育ち方をしたことも、拍車をかけたのでしょうが、仮に不適切な育ち方をしたとしても、自己観察をすることで、こうした偏向性は弱まっていくようになりますね。

「あるがまま」に受け止めて生きていくことによって、肩の荷をを下ろし、楽になれることを体感・体験することの大切さ。ケンちゃんのエピソードから、こうしたこともまた同時に思います。

人がしあわせに生きていく秘訣は「あるがまま」。不幸とも思える物語を受け止めることは、難しいときもありますが、それでも受け止めることで、楽に生きて生けると思います。

ケンちゃんからは、学ぶことは多いと思います。

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