論理(理性)と直観(感性)の両方が大切

論理(理性)と直観(感性)の両方とも大切

論理と直観。
理性と感性。
どちらも大切ですね。

ちなみに

  • 論理・・・筋道立てて推論すること。物事の法則的なつながりがあること。
  • 直観・・・推論的思考によらない直接的な認知。ひらめき。
をいいますね。

また論理と直観と関係するのが理性と感性です。

  • 理性・・・感情に走らず道理に基づいて考え、判断する能力。
  • 感性・・・感情や印象に反応する能力。感受性。
で、
論理・理性⇔直観・感性
といった構図にもなりやすいですね。

しかしながら、論理・理性と直観・感性・のどちらもが大切ですね。

直観・感性は大切~身体意識が感性

直観・感性は大切であると、常々思っています。
直観・感性は、脳だけでなく、身体全身が感知する「意識」でもあります。

身体全身がセンサーのようなもので、
このセンサーを通して
「なんとなく」
「うーむ」
「これはいいかも」

といった、原初的な感覚を受けて
「直観・感性」となっていくのではないかと思っています。

これは身体意識ですね。
身体意識が感性です。
直観を生み出します。

これはあながち誤りではなかったりします。
仏教では、こうした人間の感受について、「十二因縁」として精密に分析もしています。

直観・感性だけでなく論理・理性も大切

しかし、直観・感性だけでは、よろしくありません。感性だけでは、誤りを生じることがあるからです。論理も必要になります。

畢竟、直観・感性と論理・理性の両方が必要になり、直観・感性と論理・理性を研ぎ澄ませ、また相補完し合いながら、スパイラルに深化させていく必要もあると思っています。

論理・理性が過ぎると理屈っぽくなる

しかし、論理の使い方といいますか、脳の使い方を誤っているケースがあるように思います。

論理・理性は、これだけが突出すると理屈っぽくなります。よく言われますが「左脳的」というのがそうですね。

実際のところ、左脳だけでなく、右脳も空間認識とともに論理性を司っているといいます。

ですが、一応、便宜上、論理や理性は「左脳」としておきます。

この論理・理性が強くなると、理屈で物事を構築していくようになります。理屈の上に理屈を重ねていく。

この論理的な様には、独特の「雰囲気」や「匂い」「リズム」があります。話しを聞いていても、側頭葉が刺激される感覚があるわけですね。

論理・理性に偏っているのが西洋的

実は、これが西洋的な思考アプローチです。
代表的なのが「科学」。
または「哲学」。

これらの世界では、「言葉」を定義し「概念」を設けます。科学では「定理」をも設けます。

この言葉と概念、あるいは定理を使って真理に到達するという、論理性の強いアプローチを取っていきます。

しかし、こうした論理性の強いアプローチだけではダメです。といいますか、こうしたアプローチは、心身をアンバランスにしてしまいます。

反対に、感性に偏り過ぎても、心身をアンバランスにすることがあります。

身体意識を論理的に分析していくと直観的になる

論理には使い方があります。
決して屁理屈のように、理屈の上に理屈を重ねるのではなかったりします。正しい頭脳の使い方といいますか、生活に役立つ頭脳の使い方があります。

それはまず、五感を通して得られた身体意識・感覚を、論理的に分析していくことです。これが重要です。

感性を論理で翻訳していく感じです。
身体意識を論理的に分析していくわけですね。
そうすると、直観的になってきます。
また現実的にもなってきます。
机上の空論を避けやすくなります。

直観・感性が強い方は、直観・感性だけで判断してしまいがちです。
しかし、これだけでは誤ることが出てきます。

直観・感性を論理・理性に落とし込む

誤りを避けるためには、自分が感じたことが一体どういものかを
観察し、言語化し、分析し、検証・確認していくことです。

これは愛から出ているものなのだろうか。
あるいは、エゴが感じているものなのだろうか。
脳内の妄想から生じているものなのだろうか。
あるいは、前世らしき業から出ているものだろうか。
相手・対象物の想念をキャッチしているものであろうか。

自分が感じたもの、キャッチした印象を、観察し、確認し、そして言語等で翻訳していくことです。こういう作業を行っていきます。

また、言語化したり、分析、論理化した概念なりが、本当に適切妥当であるかを、再び、感性を通して検証していく。

これをスパイラルに行っていきます。

直観・感性と論理・理性が相互に結びつくことでバランスが出てくる

「考える」とは、実は、こういう作業だったりします。
基本は、感性。
直観。

もちろん論理・理性が先になる場合もあります。

しかし、必ず直観・感性で補完します。理屈の上に理屈を重ねても、ロクなものは出てきません。

反対に、直観・感性だけでもロクなものは出てきません。

もっともシャープな感性を持った方は、的確な答えを出すこともありますが。多くは煩悩のフィルターがかかっていますので、感性だけの判断は妄想的な場合も少なくありません。言ってはなんですが。

感性と論理が相互関連しながら出てくる感性なり見解というものが、おすすめであり、納得できるものであったりします。

そして、このバランスの取れた感性なり見解には、「匂い」があります。

この匂いをかぎ分ける嗅覚もまた培っていくことが大切だったりします。

直観・感性と論理・理性。
これらを相互補完し合いながら、スパイラルに使っていくことが大切ですね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です