感性と論理の両方が大切~身体感覚・意識をロジカルに分析するとバランスが出てくる

感性は大切~身体意識が感性

感性は大切であると、常々思っています。
感性は、脳だけでなく、身体全身が感知する「意識」でもあります。

身体全身がセンサーのようなもので、
このセンサーを通して
「なんとなく」
「うーむ」
「これはいいかも」
といった、原初的な感覚を受けて
「感性」となっていくのではないかと思っています。

身体意識ですね。
身体意識が感性です。

これはあながち誤りではなかったりします。
仏教では、こうした人間の感受について、
「十二因縁」として精密に分析もしています。

感性だけでなく論理も大切

しかし、感性だけでは、よろしくありません。
感性だけでは、誤りを生じることがあるからです。
論理も必要になります。

畢竟、感性と論理の両方が必要になり、
感性と論理を研ぎ澄ませ、また相補完し合いながら、
スパイラルに深化させていく必要もあると思っています。

論理が過ぎると理屈っぽくなる

しかし、論理の使い方といいますか、
脳の使い方を誤っているケースがあるように思います。

論理は、これだけが突出すると、理屈っぽくなります。
よく言われますが「左脳的」というのがそうですね。

実際のところ、左脳だけでなく、
右脳も空間認識とともに論理性を司っているといいます。
ですが、一応、便宜上、論理や理屈は「左脳」としておきます。

この論理が強くなると、理屈で物事を構築していくようになります。
理屈の上に理屈を重ねていく。
この論理的な様には、独特の「雰囲気」や「匂い」「リズム」があります。
話しを聞いていても、側頭葉が刺激される感覚があるわけですね。

実は、これが西洋的な思考アプローチです。
代表的なのが「科学」。
または「哲学」。
これらの世界では、「言葉」を定義し、「概念」を設けます。
科学では「定理」をも設けます。
この言葉と概念、あるいは定理を使って真理に到達するという、
論理性の強いアプローチを取っていきます。

しかし、こうした論理性の強いアプローチだけではダメです。
といいますか、こうしたアプローチは、心身をアンバランスにしてしまいます。
反対に、感性に偏り過ぎても、心身をアンバランスにすることがあります。

身体意識を論理的に分析していくと現実的になる

論理には使い方があります。
決して屁理屈のように、理屈の上に理屈を重ねるのではなかったりします。
正しい頭脳の使い方といいますか、
生活に役立つ頭脳の使い方があります。

それはまず、五感を通して得られた身体意識・感覚を、
論理的に分析していくことです。
これが重要です。

感性を論理で翻訳していく感じです。
身体意識を論理的に分析していくわけですね。
そうすると、現実的になってきます。
机上の空論を避けやすくなります。

感性が強い方は、感性だけで判断してしまいがちです。
しかし、これだけでは、誤ることが出てきます。
誤りを避けるためには、自分が感じたことが、一体どういものかを
観察し、言語化し、分析し、検証・確認していくことです。

これは愛から出ているものなのだろうか。
あるいは、エゴが感じているものなのだろうか。
脳内の妄想から生じているものなのだろうか。
あるいは、前世らしき業から出ているものだろうか。
相手・対象物の想念をキャッチしているものであろうか。

自分が感じたもの、キャッチした印象を、観察し、確認し、
そして言語等で翻訳していくことです。
こういう作業を行っていきます。

また、言語化したり、分析、論理化した概念なりが、
本当に適切妥当であるかを、再び、感性を通して検証していく。

これをスパイラルに行っていきます。

感性と論理が相互に結びつくことでバランスが出てくる

「考える」とは、実は、こういう作業だったりします。
基本は、感性。
直感。
もちろん論理が先になる場合もあります。
しかし、必ず感性で補完します。
理屈の上に理屈を重ねても、ロクなものは出てきません。

反対に、感性だけでもロクなものは出てきません。
もっともシャープな感性を持った方は、的確な答えを出すこともありますが。
多くは、煩悩のフィルターがかかっていますので、感性だけの判断は
妄想的な場合も少なくありません。
言ってはなんですが。

感性と論理が相互関連しながら出てくる感性なり見解というものが、
おすすめであり、納得できるものであったりします。

そして、このバランスの取れた感性なり見解には、
「匂い」があります。
この匂いをかぎ分ける嗅覚もまた培っていくことが大切だったりします。

感性と論理。
これらを相互補完し合いながら、
スパイラルに使っていくことが大切ですね。