「求不得苦(ぐふとっく)」の本当の意味~失敗や挫折が多い人ほど気づきがある

人生は思うようにならない「求不得苦」

現代は寿命が延びています。
平均年齢が84才でしたかな?
確かそれくらいだったと思います。

平均寿命は、年々長くなってきています。
100才超える人も珍しくはありません。

しかしながら人生とは思うようにならないものです。
これは、ある程度、生きてくれば誰でもわかることでしょう。

「いやいや、なんでもできる。すべては色即是空・空即是色だからね」
というのは、さすがに現実を知らなすぎるか観念的過ぎます。

仏教の言葉を出すなら、
お釈迦様は「求不得苦(ぐふとっく)」と言われています。
「求めても得ることができない苦しみ」。

まさにそう。
人生とは、そういうものです。
望みとおりにはならない。

できる人にはできる、できない人にはできないが真実

成功を目指して頑張っても、成功できなかったり。
財産家を目指しても、ちっとも達成しなかったり。
会社を大きくしたいと思っても、できなかったり。

あるいは、
良い学校に行きたくても行けない。
素敵なパートナーと一緒になりたくてもできない。
もっとイケメン、イケ女になりたくてもできない。

若いときから、日常的なシーンで、
「求不得苦」は頻繁に遭遇しますし見聞もします。

こういう話しを、できている人が聞けば、
「それは、こうこうこうで、かくかくしかじか、云々か云々・・・」
とありがたいお話しをされます。

が、それは出来た人だから言えることであります。
あるいは、できそうな人には該当することであり、参考になることです。
結局、できない人は、どう頑張ってもできない。

どんなに頑張ってもできないものがあったりします。
これが現実。
事実。

徳と求不得苦とは表裏一体

結局、その人が生まれ持った「徳」によります。
すべてそう。
持って生まれた徳分で人生は決まる。

「求不得苦」を感じるのは、それを成し遂げるだけの「徳」がないからです。
ちょっと手厳しい言い方ですけどね。

が、これを見極める技術があります。
それが運命学におめる「命占」です。
「命占」とは、先天的に備わっている「徳」を見いだし判別する占術です。

が、そうした術を使わなくても、人生をある程度生きてくれば、
誰でもこうした事実に気づくようになります。

人生は「求不得苦」。
自分でできる範囲の中で、生き甲斐を見出し、
充実を感じたりしている。

こうした事実に気づかない人は、相当に恵まれている人か、
洞察が足りないか、脳天気なんだと思います。

人はできないことはできない

あーしたほうがいい。
こーしたほうがいい。

第三者的から、そう言われても、
できないものはできなかったりします。

驚くことに、こうした中には、
「当たり前」と思われていることもあったりします。
「それ、当たり前じゃん」ということでも、できない人はできない。
これが事実。
現実。

だから、いたずらに人を責めたり、
お説教するのはナンセンス。

できないことはできない。
人はできることを伸ばすようにしたほうがいいんです。

「誰でもできる」といわれていることが「できない」という人は、
案外、多かったりします。
「得意不得意」といわれるものなんかは、まさにそう。
そうですね。

事務処理が苦手な人は、やっぱり苦手。
企画は発案が苦手な人に、「やれ」というのは酷な話しです。
技術屋や職人に、営業の仕事をさせても成績が上がらないのもそう。
体力の無い人に、ガテン系の仕事をさせれば体を壊してしまうことも。

できないことはなくても、
長期間、続けるとストレスMAXになってしまう。

人には得手不得手がある。
これは能力や資質だけではありません。
いろんなことに言えます。

「当たり前じゃないか」といわれることであっても、
やっぱり、できない人がいます。

だからこそ、ある目標に向かって、
何年も何年も頑張り、努力を重ねても、
結果を出せないことも出てくるわけです。

仕事でも、学業でも、恋愛でも、結婚でも、
家庭生活でも、育児でも、
「普通にできるじゃん」ということでもできなかったり、
つまづいてしまう方はいます。
といいますか、実際はそういうのが多かったりします。

そもそもすべてがパーフェクトということは、まずありません。
「ある」「できる」という人がいれば、
それはその人が相当に恵まれているか、
世間知らずの脳天気か、観念的過ぎるかのいずれかでしょう。
夢多いドリーマーでしょうな^^;

発達障害は人類にできることはできる・できないことはできないを知らせる役目がある?

「発達障害」といわれる方々のリアルな話しを見聞していますと、
こうしたことを強く実感します。

けれども「発達障害」といわれている方々のことは、
程度の違いはあっても万人に該当します。

「発達障害」といわれるケースは、人類全体に、
 「人は、何でもできるとは限らない」
 「人は、できることしかできない」
 「できないものはできない、求不得苦」
といった究極の事実に気づかせる、そんな働きもあるように思います。

「発達障害」の認識が広まることで、
「人間は、何でもできるのだ」といった
傲慢さや幻想を打ち破り、事実に直面させる、
そんな効果や作用もあるんじゃないかと思います。

いや、むしろ、その現実に気づかせる存在が
「発達障害」の方なのかもしれません。
「人は、何でもきる」といったことが間違いであり、
幻想であることに気づかせる。

どんなに努力してもできないものはできない。
得ようとしても得られない。

人生、「求不得苦」。
生まれ持った徳や才能資質により、人はその中で生きていく。
限られた範囲の中で、物語がつむがれてゆく。
作られてゆく。

改善を急かない「あるがまま」という生き方

だからこそ「あるがまま」という生き方なのでしょう。
すべてを、そのまんまに受け止める生き方。
ストレスも無く、いたずらに無理を続けるのではなく、
素直に生きていくことのできる智慧。

また自他ともへの「いたわり」。
やさしさ。

これは決して、後ろ向き、あきらめの生き方ではなかったりします。
否定的なニュアンスがあるならば、
それはミッチャー・サティ(邪)な「あるがまま」です。
ニセモノの「あるがまま」。
間違った有り様。
ナンチャッテ「あるがまま」。

本当の「あるがまま」には、命があふれ、やさしさがあり、智慧があって、
きめ細やかなよろこびがそなわっています。
これこそがサンマー・サティ(正念)。

失敗の多い人ほど救われ懐の深い人になる

必死の努力を重ね、それでも結果を出せなかった人、成功しなかった人、
失敗ばかり続けてきた人。

いいじゃあありませんか^^

悲しみと挫折の屍の経験が多い人であればあるほど、
「あるがまま」「ありのまま」の重みが
体感できるのではないかと思います。

失敗や挫折が多い人ほど、真理・真実に目覚めやすい。
昔から、そう言われいます。
これも自我と強烈に向き合わされて、
自我がこなごなになっていく体験を重ねますので、
真理・真実に目覚めやすいのかもしれません。

失敗や挫折の多い人ほど、究極的な救いに
引き上げられることも少なくなかったりします。
また懐の深い人になりやすい。
それだけ苦労を知っているからです。

「あるがまま」「ありのまま」という生き方のおすすめ

「あるがまま」「ありのまま」という生き方、「いまここ」という生き方こそが、
本当の善行であり徳行です。
このことに気がつき、その恩恵と深みを噛みしめることができるのも、
失敗や挫折を重ねてきた人が多いでしょう。

この生き方をしている人は、死後、解脱することがなければ、
自ずと天界へおもむくようになるともいいます。
良い輪廻転生をしていく上でも、
「あるがまま」「いまここ」は欠かせなかったりします。

この生き方の中で、輪廻転生し続ける有り様は、
本当の意味での現世利益と真理とが
コラボレーションする様でもあったりします。

人生は「求不得苦」。
得られないものもある。
できないこともある。

得られない人に「得よ」と急いたり、
できない人に「やれ」と強いるのは、
道理を知らないからでしょう。

道理がわかれば、いたずらに強いることの代わりに、
やさしさが取って変わるようになるでしょう。

その心根に啓けるためにも、
「あるがまま」「ありのまま」「いまここ」ですね。

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