自己観察は苦しい【真我への道】

自己観察の話しは苦しい

真我に至るための「自己観察」。
しかし自己観察などの話しは、聞いている側、読み手側にとって、時に痛みを感じたり苦しくなったりすることが出てくる場合があります。

時に「なんか自分のことを言われているんじゃないの?」とか^^、心にチクっと刺さったり。で、辛くなったり。

いえいえ決して批難したり意地悪いことを書いてるわけではないんですね^^;

自己観察の文脈って、こういうことが起きたりするんですよ。

というのも自分の心の深いところにタッチすることも多々あるからです。

もしも一連の記事をお読みになってチクチク刺さる感じを受ける方がいたならばご容赦を(笑)

自己観察は受容力が必要

自己観察系は、こうした性質があります。

ですので受容力とともに行う必要があるんですね。受容力が足りませんと、鬱みたくなることが起きます。

「暗夜(あんや)」と言われるのが、これですね。

自己観察系ってデリケートで精妙といいますか、難しいところがあったりします。

内容ややり方が難しいんではなくて、心にチクっと痛むことが時々あるので、そういう意味で「難しい」という意味ですね^^;

心の奥底は闇に覆われている

心の深い領域は、通常、真っ暗で底の見えない深い井戸のように感じることが多々あります。

「怖い」といいますか寂寥感(せきりょうかん)があるといいますか。何とも言えない底知れない暗さを感じたり。

なので見るのをこばむこともでてきます。「見たくない」と。

で、代わりに何か刺激のある諸々に気持ちを向けてしまうことも多々あります。

いえいえ別段、目を背けるのが悪いわけではなく、むしろ一般的には心を健全に保つことになる有り様になると思います。

プレゼンスにひらけると明るさを感じる

が、プレゼンス(名色分離智)以降にひらかれてきますと、明るさを感じるようになると思います。心に明るさが。

プレゼンス(名色分離智)には、そういう作用もあります。

なのでプレゼンス(名色分離智)に啓かれることは必須にもなるんですね。

いろんな意味でプレゼンス(名色分離智)にひらけることは必要になります。

一瞥体験をすると心の底まで明るくなる

ちなみに一瞥体験をすると
「心の奥深くにある暗い井戸の底を感じなくなった」
「救われた感じを受けた」
といった感想を言う人も多くなります。

真我体験は、悟りではありませんし、世間での成功や経済的な成功に直接結びつきませんが、精神的に安らぐ恩寵があります。

性格そのものは、それほど大きく変わらないと思いますけどね^^;

が、こうした生命本来からもたらされる明るさが、もっとも大きな恩寵になるのかもしれません。

明るい精神性はとても大事な要素だと思います。なのでこの道は、明るさ、受容力が根底にあり続けることになるんだと思います。

そういう意味でも、一瞥体験は有益ですね。真我を体感できるようになることは、いろんな意味で恩恵にあずかるようになると思います。

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