濱名惣社神明宮(英多神社)~倭姫が巡幸した元伊勢

濱名惣社神明宮

先月の月末に三ヶ日に行った折り、ついでにと思い、いろんなところに立ち寄りました。

で、おもしろいものを発見しましたが、その一つが「濱名惣社神明宮(はまなそうしゃ-しんめいぐう)」。初めて行く神社です。

写真で見る「濱名惣社神明宮」


拝殿前の鳥居。


鳥居の近くに掲示されている社伝。
ここに元伊勢であることが書かれています。


「濱名惣社神明宮」正面。
伊勢神宮と同じ「神明造(しんめいづくり)」ですね。


こちらは本殿。
なかなか古式ゆかしい造りをしています。
階段の上にあるのが、趣があります。


合祀されている末社。
八柱の神さまがお祀りされています。


伊勢神宮の式年遷宮でのお下がりであるとか。
記念にお祀りされています。


境内にある御神木。


「濱名惣社神明宮」の外観。


伊勢神宮と同じ造りの「神明造」。


ちなみに、こちらは伊勢神宮(皇大神宮)。
同じ造りをしています。

濱名惣社神明宮は元伊勢だった

で、濱名惣社神明宮は、なんと「元伊勢(もといせ)」だったんですね。ビックリ。元伊勢

元伊勢って何?って思われるかもしれませので説明しますと、伊勢神宮の御祭神である「天照大神」は今の五十鈴川に鎮座される迄に、実は近畿、岐阜、愛知、静岡、三重などの各地をグルグルと巡幸しているんですね。
http://www.kunakoku.info/sub-06/sub-06-09.html

時代は第11代・垂仁天皇の時。
紀元前後の頃です。

天照大神(皇祖神)をお祀りするのにふさわしい土地を探して、約20年だか40年、さまよい続けたとか。

この時、指揮を取っていたのが、倭姫(やまとひめ)https://ja.wikipedia.org/wiki/

で、そのグルグルと回って、一時的に鎮座した場所を「元伊勢」といっています。一時的に天照大神(皇祖神)を鎮座した場所のことを「元伊勢」というわけですね。

で、その一つが静岡県三ヶ日にある「濱名惣社神明宮」。

「濱名惣社神明宮」は元伊勢。
いやあ、ビックリ。

社伝にもある濱名惣社神明宮の元伊勢

三ヶ日に「元伊勢」があっただなんて初めて知ったものです。驚きなんですね。

が、このことは、ちゃんと社伝にあります。

ご覧の通り。
写真は「濱名惣社神明宮」の社伝です。

口碑によると、垂仁天皇の皇女倭媛命が、天照皇大神の御神勅によって、三種の神器を奉じて大和の国より伊賀・伊勢・美濃・尾張の地を経て、御鎮座の地を定めよとの思召しによって、太田命の御先導で御船にてこの地に行幸になられて、四十余日御行宮の後、更に御神託によって勢州渡会の五十鈴川の辺に移御なされた。

太田命(おおたのみこと)の先導により、尾張(愛知県田原市)より船でご神体を移動させて、三ヶ日に運び、40数日の間、天照大神が遷移されて、「濱名惣社神明宮」に鎮座されたと明記されています。

驚きましたな。
こんな歴史のある神社が、県内にあったとは。

濱名惣社神明宮は倭姫命世記・日本書紀・皇太神宮儀式帳にはないが・・・

で、このことが、以前、ブログの記事に書いた、小林春夫著「愛知の式内社とその周辺」という書に、あったわけですね。

これです。
図書館で偶然に見つけた本です。

で、この書には、なんと倭姫が巡幸した場所を、ことこまかく調べ上げて掲載しているんですね。

倭姫命世記~倭姫の巡幸記

ちなみに倭姫が巡幸したところを掲載した文書は既にあります。「倭姫命世記(やまとひめのみことせいき)」というのが、それです。

◎倭姫命世記
http://nire.main.jp/rouman/sinwa/yamatohime.htm

しかし「倭姫命世記」は、鎌倉時代に作られたものです。果たしてどこまで史実なのか疑問があるといいます。

というのも、倭姫が巡幸した場所を記している資料には「倭姫命世記」、「日本書紀」、「皇太神宮儀式帳」の3つがあって、それぞれ場所が異なってもいるからです。⇒資料

で、これら3つの資料に「濱名惣社神明宮」が元伊勢として載っていません。

太神宮諸雑事記の記述では

けれども「太神宮諸雑事記(だいじんぐうしょぞうじき)」には、「尾張国中島郡の次に三河国渥美郡、遠江国浜名郡を巡り、伊勢国飯高郡に入る」とあります。

※「太神宮諸雑事記」:平安時代の末期に伊勢神宮の神職がまとめた史書。

おそらく「濱名惣社神明宮」では、「倭姫命世記」などに「元伊勢」とないため、積極的「元伊勢」と打ち出すことができないのかもしれませんね。おそらく、そうじゃないかと思います。

あるいは、勉強不足?^^;
まさか、それは無いと思いますが、元伊勢と思しき神社が三ヶ日にあるというのは、ほとんど知られていないと思います。

勿体ないですね。
こうした歴史は、もっとアピールしたほうがいいのではないでしょうか。

「愛知の式内社とその周辺」では採用

で、上記の「愛知の式内社とその周辺」の著者、小林春夫氏は、自分の足で、各地の神社を尋ねて、社伝を調べて、倭姫が来たかどうかをチェックしています。すごい労作。

で、調べたところ、三ヶ日の「濱名惣社神明宮」にも来ていたとして著書に記しています。

事実、「濱名惣社神明宮」の社伝にもちゃんと残っています。また「太神宮諸雑事記」にも記録が残っています。

ですので「濱名惣社神明宮」は元伊勢じゃないかと思います。

「濱名惣社神明宮」は元伊勢の可能性が極めて高い

で、まあ、ここでまとめますが「濱名惣社神明宮」は、元伊勢だと思います。その理由をまとめてみますが、

  1. 平安時代に書かれた「太神宮諸雑事記」に「遠江国浜名郡を巡り」と記述がある
  2. 社伝に、元伊勢であることが残っている
  3. 太田命(おおたのみこと)が、「濱名惣社神明宮」と深い関わりがある
  4. 伊勢神領であり、神社の作りが伊勢神宮と同じ「神明造」になっている

となります。
「倭姫命世記」「日本書紀」「皇太神宮儀式帳」には記録が残っていませんが、「濱名惣社神明宮」に、伊勢神宮の天照大神が一時的に鎮座されたのは確かな歴史的事実じゃないかと思います。

この辺りのことは「濱名惣社神明宮」の写真とともに、さらに説明してまいりましょう。

太田命が天照大神を濱名惣社まで運んだ

写真は「濱名惣社神明宮」の入口の鳥居と説明掲示板です。

三ヶ日を統治したのが、縣主(あがたぬし)という一族。「太田命(おおたのみこと)」を祖先に持つとか。

元々この神社は縣主の氏神「太田命」を祀っていたとあります。

で、この「太田命」こそが、伊勢神宮のご神体「天照大神(皇祖神)」を「濱名惣社神明宮」まで運んだ方なわけですね。

「太田命」は「太田田根子(おおたたねこ)」あるいは「意富多多泥古(おおたたねこ)」ともいいます。

太田田根子は男性神職だった

で、「太田田根子」は、実は著名な男性神職。男性版「卑弥呼」といえば、わかりやすいかもしれません。

あるいは安倍晴明とか(ちょっと違うか)^^;ま、神々を招いて鎮座させるといった祭祀に長けた人だったようですね。

で、「濱名惣社神明宮」は、天照大神が鎮座された元伊勢ですが、元々は氏神である「太田命(太田田根子)」を祀っていたようですね。

ですが、平安時代の末期(940年)に、伊勢神領となって、御祭神は「天照皇大御神」に。伊勢神宮と同じになったといいます。

ちなみに、「濱名惣社神明宮」は、延喜式内社では「遠江國濱名郡 英多神社」と呼ばれています。

三ヶ日の縣主氏の氏神・太田命を祀る

三ヶ日を統治していた縣主(あがたぬし)氏の氏神でもある太田命(おおたのみこと)を祀った社です。

太田命は、正式には「大田田根子(おおたたねこ)」といいます。あるいは「意富多多泥古(おおたたねこ)」

濱名惣社神明宮は「英多神社」と呼ばれていた

ちなみに、この立て札にもある通り、「濱名惣社神明宮」は、昔は「英多神社(えいたじんじゃ)」といっていたことがわかります。

ちなみに「英多神社」の「英多」は、「あがた」と読んでいたとか。統治者が縣主(あがたぬし)ですので、おそらく、そうなんじゃないでしょうかね。

祖霊の太田田根子が大物主神の神勅を受けて倭姫巡幸が始まった

で、祖霊の「大田田根子(おおたたねこ)」は、天照大神を鎮座する場所を求めて、各地をグルグルと回ることになった巡幸と、実は、深い関係があります。

崇神天皇の時代に国中に疫病が流行

「崇神(すじん)天皇」の時代に、国中に疫病が流行ったと。紀元前92年の頃です。

で、このとき「三輪山(大神神社)の大物主神(おおものぬしのかみ)を祀るように」とのお告げがあったといいます。

しかも、お祀りするときの祭主を、「大田田根子にしなさい」とのご指名。三ヶ日の統治者、縣主氏の先祖です。「大田田根子」が祭主に。

先ほども書いた通りで、太田田根子は、シャーマン的な人で、神々とコンタクトができる人だったわけですね。

卑弥呼や安倍晴明といったようなタイプです。太田田根子は、神々を招いて鎮座させることができた祭祀能力が抜群だった人のようです。

天照大神を移して大物主神祀って疫病が止む

で、それまでお祀りされていた「天照大神」を他に移して、「大物主神」をお祀りしたところ、なんと、疫病が収まったといいます。

ところが大物主神をお祀りしてしまったので、天照大神を元に戻すことはできなくなってしまったと。

そこで天照大神にふさわしい新しい鎮座場所を求めるようになったと。

そのナビゲーターが倭姫(やまとひめ)

「倭姫巡幸」の始まりです。この記事の最初に書いた垂仁天皇の時代の出来事ですね。

で、各地をグルグルと回って、20年かけて、ようやく五十鈴川の伊勢神宮に収まったと。そういう話しなんですな。

で、その途中に、「濱名惣社神明宮」にも40数日、お祀りされたということです。このように、大田田根子と、倭姫と、伊勢神宮とは、関係があるわけですね。

倭姫巡幸の謎

話しが脱線しますが、この「倭姫巡幸」っておかしな点があります。そもそも、何故、天照大神を畿内でお祀りしないで、流浪の旅に出させて、最終的には熊襲の土地でもある僻地の三重県でお祀りするようになったのか?

また伊勢神宮は、平安時代に入って、ようやく宮中祭祀として行事を行うようになっています。それまでは伊勢神宮は放置状態。

つまり天照大神の扱いが粗末なんですね。そもそも論として。

◎倭姫の旅

◎記紀解体―アラハバキ神と古代史の原像/ 近江 雅和

と、この話しは、また別の機会にしたいと思いますが、話しを戻して「濱名惣社神明宮」に。

三ヶ日は明るい土地

三ヶ日は「三ヶ日みかん」で潤っている土地です。田舎ですが潤沢。

こうしたことは、土地の陽気さ、明るさとも関係があります。

三ヶ日へ行ったのは、ものすごく久しぶりで、すっかり忘れていたのですが、この前、行って、すっかりお気に入りになってしまいました^^

いいですね、三ヶ日。

そんな三ヶ日にあるのが「濱名惣社神明宮」。

濱名惣社神明宮のまとめ

ということでして、驚きの「濱名惣社神明宮」。鎌倉時代に造られた「倭姫命世記」には、「元伊勢」として載っていませんが元伊勢の一つです。

まあ、行ってビックリとはこのこと。もっと知名度があっていいんじゃないの?と思えるほど社格と逸話のある神社です。濱名惣社は倭姫が巡幸した元伊勢です。

そんな歴史がある神社。
それが意外と知られていない。
もったいないですね。

で、参拝していますと、大地からエネルギーが伝わってきます。パワースポット系の神社でしょう。

実際、神社のある三ヶ日の近辺自体が、一種のパワースポットになっています。

明るいんですね。
ほんのりと陽気がただよっています。
パワフルさはありませんが、ほんのり明るい陽気があります。

そんな、ほんのりと明るい三ヶ日にあるのが「濱名惣社神明宮」。

天照大神(皇祖神)、元伊勢、倭姫、太田田根子などなど。
天照大神が伊勢神宮に鎮座される契機となった、大神神社の大物主神(おおものぬしのかみ)を祀ったのが「大田田根子(おおたたねこ)」。

「大田田根子(おおたたねこ)」は、「濱名惣社神明宮」のある地域を治めていた縣主氏の祖先です。

このように、地元でもほとんど知られていない歴史を持った神社だったんですね。もっとアピールしていいんじゃないの^^;

濱名惣社神明宮
静岡県浜松市北区三ケ日町三ケ日大輪山122

【参考サイト】
◎濱名惣社神明宮/式内社 遠江國濱名郡 英多神社
http://www.genbu.net/data/toutoumi/sinmei_title.htm
◎濱名惣社神明宮(静岡県浜松市北区)|気まぐれ書店員の御朱印帳
http://ameblo.jp/goshuincho/entry-11504180292.html

◎オオタ【太田命】
http://gejirin.com/src/O/oota.html
◎大田田根子の謎を解く
http://syoki-kaimei.blog.so-net.ne.jp/archive/c2302039487-1

◎倭姫命世記
http://nire.main.jp/rouman/sinwa/yamatohime.htm
◎倭姫命 – Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/
◎元伊勢 – Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/

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