ユダヤ人迫害の原因はキリスト教(聖書)にあった!?

ユダヤ人迫害の原因はキリスト教(聖書)にあった?

キリスト教の勉強をしていて驚くことは大変多くあります。

その中でも「ユダヤ人迫害の原因はキリスト教(聖書)にあった」という話し。

これには心底、驚いたものです。ビックリ。ユダヤ人迫害の根底にキリスト教が関わっていたと。初めて知りました。

このことは、アメリカの聖書学者バート・D・アーマン著「書き換えられた聖書」p309から説明があります。

バート・D・アーマン「書き換えられた聖書」

バート・D・アーマン「書き換えられた聖書」にあることをダイジェストで書きますと、次の通りです。

  • イエスの処刑が下される話し(マタイ27章)
  • ローマ人の裁判官(ピラト)「イエスは無実だ、処刑する理由がない」という
  • ところが大衆(ユダヤ人)は「処刑しろ」と要求
  • 裁判官は「判決にあたって私に責任はないぞ、お前達(ユダヤ人)の問題だと突き放す
  • 大衆(ユダヤ人)は「イエスの処刑の責任は我々にある、我々と子孫に責任がある」と言って歓声をあげる
  • そうしてイエスは処刑されることになった

こういう展開。
これがマタイ27章にあります。

マタイ27章25節は本当か?

ここで注目なのは、イエス処刑の判決は「ユダヤ人と子孫が責任を負う」と聖書に記載されている点。

ただしこの文言はマタイ27-25節のみにあります。同じ福音書であるマルコやルカにはありません。

もしかすると、マタイによる追記(創作)じゃないかと勘ぐってもしまいます。

そもそも聖書には数万の改竄があることを、バート・D・アーマンは指摘しています。

なのでマタイ27-25節の部分は、マタイによる追加(創作)ではないかと。

聖書マタイ27章の記述がユダヤ人迫害に

しかしマタイに伝わるこの文言が、後に「ユダヤ人はメシアを殺した」「神の子を殺したユダヤ人」「ユダヤ人は許せない」となっていったと。

しかもユダヤ教徒にとって最も大事なエルサレム神殿が、イエス処刑の40年後に、ローマ帝国によって破壊されます。

キリスト教徒は「エルサレム神殿が破壊されたのは、イエスを処刑した神罰だ」といって、ユダヤ人バッシングに拍車がかかったと。

で、2世紀になると、ユダヤ人に対する憎しみやら怨みが向けられ、ユダヤ人差別につながっていったと。

聖書に記載されている数行の文言(マタイ27-25節)が、ユダヤ人バッシングから迫害へとなっていったと。

バート・D・アーマンの解説によれば、こういうことのようです。

なんともため息が出ます。

聖書は人間が作った書物

ちなみに「聖書は神(聖霊)が書いた書物であり間違いが無い(逐語霊感説、無謬説)」と信じられているといいますね。現在でもアメリカでは二千万の人が信じているとか。

当時(2000年前)ならなおさらで、そのためマタイ27章25節の文言も真実として受け止められたのでしょう。で、ユダヤ人の迫害となっていったと。

しかし私としては、マタイの記述もそうですが、話しを盛っているんじゃないかと思います。というのも福音書や使徒言行録は、特に創作が入り込んでいる印象を受けるからです。

で、聖書は人間の手によって書かれたとことは、聖書学者のバート・D・アーマンも言っています。

バルナバの手書きと反ユダヤ思想

この聖書に端を発するユダヤ人迫害は、やがて「反ユダヤ思想」となっていったといいます。

で、「反ユダヤ思想」は、次のようなステップで形成されていったとか。

  1. ユダヤの民は律法を正しく守っていなかった。
  2. シナイ山で金の小牛像を作って偶像崇拝。律法を教条的に解釈。
  3. ユダヤの民は神との約束(契約)を果たしていなかった。
  4. だからメシア(イエス)は磔刑となって苦しみながら亡くなることになった。
  5. メシア(イエス)が身代わりにユダヤの民の原罪を贖罪した。
  6. しかしユダヤの民は、そんなメシア(イエス)を拒絶した。
  7. 二重においてユダヤの民には問題がある。
  8. 結局、ユダヤの律法は役に立たない。
  9. ユダヤの民が律法を守っていれいからメシア(イエス)は死ぬことになったのだ。
  10. しかもそのメシアをユダヤの民は拒絶した。
  11. これはすなわち神を拒絶したことを意味する。
  12. ユダヤの民はイエスをメシアを信じなければならない。
  13. これができないユダヤの民は神から呪われる運命にある。
  14. マタイ27-25節にある通り、子々孫々まで責任を負う必要もある。
  15. ユダヤの民は迫害されて当然である。

このようにして「反ユダヤ思想」が形成されていったといいます。で、このロジックに基づくのが「バルナバの手紙」であるといいます。

「バルナバの手紙」は聖書には収録されていないものの、教会(宗派)によって採用しているところもあるといいます。しかし強烈な反ユダヤ主義に貫かれている文書であるとか。

こうしてキリスト教はいつしか「反ユダヤ思想」に染まった集団になっていったといいます。

このことはキリスト教神学の世界では「定説」になっているようです。聖書学者バート・D・アーマンの「キリスト教成立の謎を解く」にわかりやすい説明があります。

ユダヤ人の復讐?

このように2世紀から迫害されてきたユダヤ人です。

しかし18世紀になると、ユダヤ人から金融資本家が登場します。で、世界のマネーの支配者になったことは周知の事実。

この様子は、まるで今までの迫害を挽回するかのような、巻き返しが起きたかのような展開です。

イエスいわく「剣を取る者は皆、剣で滅びる(マタイ26-52)」。怨み、迫害、戦いは負の連鎖しか生み出しません。キリスト教徒は反省する必要があるんじゃないでしょうか。

まとめ

それにしてもキリスト教絡みの話しには、悲しい話しが多いですね。

ユダヤ人迫害の原因もキリスト教(聖書)にあったというのはショックでしたね。

マタイ27-25節「イエスの処刑の責任は我々(ユダヤ人)にある、我々と子孫に責任がある」という一節が理由で、ユダヤ人迫害が起きたと。

しかし、これが真実なのでしょう。

で、以上のことはアメリカの聖書学者バート・D・アーマンの書にあります。聖書を読んでいると理解しやすくなりますが、教養としてもおすすめの一冊ですね。読めそうな方は、ぜひお読みになってみてください。

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