運命を変えカルマを浄化する方法~ハート・エネルギーと天啓気療ヒーリング

運命を変えカルマを浄化する方法

運命を変えること。
カルマを浄化すること。
この2つは可能なのでしょうか?

結論を先に言えば、ある程度は可能です。運命の改善といいますか善くすることや、カルマを浄化することは、ある程度可能です。

これら二つのテーマは新興宗教でも言われていて、勧誘目的で使われているケースもあります。

しかし新興宗教は、畢竟、信者を教団をその教団に縛り付けてしまい、洗脳下に置き、最終的に信者を不幸にしてしまいます。新興宗教は問題があります。

しかし新興宗教に入信することなく、適切な方法を行えば、運命を変えたり、カルマを浄化することは可能です。

今日は、そういった話しになります。

運命改善への挑戦

そもそも最近は、とても感銘といいますか、脱力感を憶えるくらいのインパクトを感じています。

運命を変える。

昔、運命を変えるとか、運命創造の可能性に真剣になって取り組んだことがあります。

もう20年は取り組みましたね。

運命を変えることは不可能?

しかし運命を変えるということは無理だ、不可能だ、と悟ったものでした。

インド占星術が示す運命軌道に人は沿う

その理由としては、インド占星術を含んだ星平会海を体得したことで、自分はもとより、数多くの人の人生経路を確認し、予測することができるようになったところ、運命は存在し、運命を変えることはほとんど不可能であることに気づいたからです。

この運命軌道は、ほとんど正確です。
当たらないは、リーディングが不適正だっただけで、リーディングの仕方を変えると、やっぱり運命軌道があることが浮き彫りになってきます。

人の運命は、ほぼ先天的に決まっているというのが実際のところです。ちょっと怖い話しですが。

しかし厳密にいえば、運命の傾向の大枠が決まっているということになります。で、その大枠を変えることは、なかなか難しいということだったりします。

驚愕!阿羅漢でもカルマの影響を受ける

また原始仏典には、完全に悟った阿羅漢でも、過去世のカルマを受ける事例が数多く伝承されているからです。

たとえば高弟のモッガラーナは、過去世のカルマにより撲殺されています。

ある阿羅漢は、過去のカルマにより、死ぬまで貧困の憂き目にあい続けます。

こうした事例がいくつか伝承されています。阿羅漢という完全に悟った者(ブッダ)でも、運命のカルマからは逃れることができない。

運命の転換、改善は難しい。
実質、不可能。

テーラワーダ仏教協会のスマナサーラ氏も、「カルマは完全に解消できない」と、ほぼ似たようなことを言っています。

で、そもそもとして、運命を転換し、カルマを解消する方法がありません。そういうことを説く新興宗教もありますが、そんなの嘘っぱち。

実際のところは、運命転換も、カルマ解消も、きちんとできていません。ナントカの法だのというのは眉唾。

あと善行だの、積徳だのをしても、運命を変えるほどまでの力は及ぼしません。限界がある。まったく変わらないとまでいかなくても、運命の転換までには及ばないことが多い。これが真実です。

運命の改善は困難~「あるがまま」という生き方

これで完全にノックアウト。
はらほらと崩れてゆきます。

「運命は変えることはできない」。
「カルマを変えることはできない」。

「ただ、あるがままに受け止めて、どういうことが起きても感情的に流されず、淡々と受け止めるのが最上なんだ」と。

確かに、この生き方は最上です。
何が起きても淡々と受け流す。

あるがまま。
転がしておく。

「あるがまま」は優れた有り様

15年くらい前に、このことを知り、お陰で力みが抜け落ち、等身大の自然体で生きていくことへの完全シフトとなったことを憶えています。

こういう生き方は優れています。
無闇に戦わない。
あるがままに受け止めていく。

ほうっておく。
手を付けない。
いかなる問題も、問題としないで転がしておく。

禅では、特にこのことを強調します。
仏教のほとんどがこうした「あるがまま」の姿勢を述べます。「あるがまま」「いまここ」の修行とはこの姿勢のことですね。

人は楽に幸せに生きていきたい

しかしながら、同じ生きるなら、やっぱり楽が多く、楽しみも多く、恵まれているほうがいいわけですね。いわずもながってものです。

同じ生きるならラクであるほうがいい。障害や悩みや苦難に遭遇するよりも、お気楽三昧なほうがいいわけです。

しかし、運命は基本的に変えられない。
カルマは解消しにくい。
仕方ないね。

天啓気療によって運命が好転

ところが!これをひっくり返す方法があったことを知ったわけです!

それこそが、ここのところずっと書いている「天啓気療」です。
http://senikintu.tenkeikiryoin.jp/

ヒーリング。
特殊なヒーリングです。
ベスト・オブ・ヒーリング。

天啓気療は運命すら好転させる特殊なヒーリング

端的にいいましょう、天啓気療は、繊維筋痛症といった難病を治すだけのヒーリングではありません。

本質は「運命を変えるヒーリング」です。
「カルマを解消するヒーリング」といってもいいでしょう。「生きることがラクになる」ヒーリング。

これが可能なのも天啓気療は、「魂の領域」であるコーザル界まで及ぼすからです。信じがたいのですが、こういうヒーリングがあったわけです。

魔法のようであるのですが、天啓気療の本質を理解している人は、もしかするとほとんどいないかもしません。

何故、天啓気療で運命が変わりカルマを解消できるのか?

天啓気療は、何故、運命を変え、カルマを解消できるのか。

そのメカニズムを説明すると冗長になってしまいますが、簡単に言ってしまうと、クンダリーニ・エネルギーを操作できるレベルの人は、「濃縮なハート・エネルギーを使って、パワフルに元素(事象)転換が可能だから」ということになります。

ハート・エネルギーは、創造性の源であり、浄化のエネルギーです。元素転換を可能にする。

なのでヒーラーは、ハート・チャクラが活性していないとヒーリングもできないわけです。

で、ハート・エネルギーは、ハートの空間で、悪しきものを善きものに転換する浄化の働きをします。

これがヒーリングです。

で、天啓気療レベルのヒーリングでは、ハート・エネルギーが強烈ですので、カルマの元素転換(浄化)もが可能です。つまり「運命が変わる」現象が起きる。

実際、天啓気療を受けて、運命が変わった人がごまんといらっしゃいます。

運命は改善できる部分がある

しかし、こうい言うと、「先ほどの話しと矛盾するんじゃないか」とか、「原始仏典では阿羅漢ですら運命転換、カルマの解消はできていないではないか」と言われるかもしれません。

けれども、それは重篤なカルマは解消されないのであって、普通に生きやすいレベルなら可能ということなんですね。

「運命の事象」ということに限っていえば、100%の運命転換は無理。これは先述の通り。

てか、「完全なる運命転換」だのと言う話しそのものが、因果関係を無視した話しなわけですね。

理屈の上ではできそうなのですが、実際問題としては不可能。無理。

けれども、完全な運命転換は不可能であっても、多少の転換・改善は可能です。

認知をポジティブに変える

そもそも、まずカルマの解消ができなくても、心が明るくなったり、ポジティブになったり、試練にも立ち向かっていく勇気を身につけるといったことはできるようになります。これは可能。

で、こうした心になることで、苦しみを苦しみと受け取ることが少なくなりますね。これを「認知を改める」といいます。認知を改めることで、体験する事象の受け止め方を、悲観的にしないわけです。

このことは、認知行動療法の世界でも言われていますね。認知を悲観的にしない。ネガティブにしない。これによって、苦を感じることが減っていく。

マインドフルネス

ちなみに現在では第三世代の認知行動療法として「マインドフルネス」が勧められています。マインドフルネスとは、「あるがまま」に受け止めることですね。

マインドフルネスは、原始仏教の時代から伝えられていた瞑想が元になっています。マインドフルネスは奥が深く、この方法によって「悟る」ことも可能です。

真我・大いなる存在に溶け込む

マインドフルネスもそうですが、悟り系の瞑想をすることで、「それ」、真我、命本来、大いなる存在などなど、いろんな言い方もありますが、これに開けて、深まっていくことができます。

これが実現できることで、カルマの浄化が起きます。つまり、運命が改善されることですね。

この浄化は、カルマのみならず、心身の浄化をも引き起こします。「安心」が深まります。

なので「それ」、真我、命本来、大いなる存在、宇宙意識に啓(ひら)け、これに深まっていくことが大事なんですね。カルマの浄化が始まって運命もよくなります。

預流果になればカルマのほとんどは消える

あと原始仏典を引き合いにすれば、実のところ預流果といった悟りの初門に入った者は、そのカルマがほとんど消え、カルマの影響を受けないことが、相応部経典・預流相応にあります。

カルマの完全解消はできないにしても、影響を受けるのが減ることはちゃんと伝承されています。

では、何故、カルマを解消できなかった阿羅漢がいたのか。これはおそらくハートの力や神通力の有無と、阿羅漢のタイプによるのではないかと思います。

そもそも阿羅漢の中には神通力が使えない者もいます。このタイプは、「乾観者」といっています。智慧だけで阿羅漢になるタイプです。

「乾観者」とは、認知の変容によって「自己認識」を脱却した阿羅漢です。

で、「乾観者」はハートの力が弱かったり、神通力を持っていないことがあります。乾観者の阿羅漢は、過去のカルマを受ける可能性が高かったりします。

なので、阿羅漢になっても、過去世のカルマの影響を受け続けた方もいらっしゃったのではないかと思います。

原始仏教における運命転換・カルマの解消の真実

ですので精査していくと、「カルマの解消はある程度可能」ということがわかってくるわけですね。

原始仏典にある、阿羅漢でも「過去のカルマを受ける」というのは、・重篤なカルマの場合・カルマを解消するだけのハートの力や神通力が無かった者・カルマ解消を望まなかった者(すべてはあるがまま)というケースに限ることがわかってきます。

もっとも欲や怒りを超越した阿羅漢が、運命転換を望むはずがありません。

そもそも論として阿羅漢は「あるがまま」とすべてを受け入れますので、運命転換を目標にすることはありませんし、そんな気持ちはまったくないわけですね。

だから原始仏教では運命改善やカルマ解消を言わないんですね。当たり前といえば当たり前です。

で、運命転換を望むのは、一般人や悟りの段階にある者に限るってことなんですね。

運命転換・カルマ解消はある程度可能

運命の転換、改善、カルマの解消はある程度は可能です。

ただし新興宗教で言っているような方法とか教義は論外なことは言うまでもありません。原始仏教をきちんと理解していませんから。そもそも論としてお話しになりません。

運命の転換・改善は、実際のところ日常的にも多く起きています。エーテル領域の気功ですら、肉体の変調を改善できますからね。これも一種の運命転換になります。

医療技術も、見方を変えれば運命転換です。本来なら疾病により、命を落とすところを医療技術によって救われる。これを運命転換と言わずして何というか。

医療技術、食生活、良い生活習慣等は健康と健全な精神の礎です。弱いけれども運命の創造と改善を実現しています。こうしたものは、よくよく見ると世の中に数多くあります。

魂の領域であるコーザル・レベルの天啓気療クラスの深いヒーリングになれば、運命転換や創造が、より深いレベルで可能になるということなのでしょう。ある意味、次世代の「精神医療」とも言えます。

誰でも運命を変えることができるのか?

ところで、天啓気療といった魂の領域であるコーザル・レベルのを受ければ、誰でも運命が変わるのか?

実は、これは微妙。
全員が全員、変わるとは言い難い。

実は、運命やカルマが変わるためには、ヒーリングを受ける側にもハート・エネルギーがないと難しいからです。

ハート・エネルギーとは、人を助け、相手の幸せを願い、相手に寄り添おうとするハートフルな愛です。

端的にいえば「愛」。
しかし、これは異性への愛や、好き嫌いの愛ではなく、崇高なる愛であり、隣人愛であり、慈悲としての愛ですね。無条件の愛。

隣人愛、慈悲がある方、育んでいる方は、天啓気療の効果がかなり期待できます。

もし、隣人愛、慈悲が足りない人であっても、そういうハートを培い、身につけようと心がけて生きていくようになりますと、ヒーリングの恩恵にあずかることができるようになります。

ヒーリングの本質は「愛」

ヒーリングの本質は「愛」です。
ハート。

ヒーリングの効果は、ハートが司っています。
ハート。
隣人愛、慈悲、思いやり、やさしさといった愛のエネルギー。

ヒーラーも、ヒーリングを受ける側もハートが豊かでないと効果が期待できないんですね。


ハート。
隣人愛。
慈悲。
思いやり、やさしさ。
相手のしあわせを願う心。

古来より宗教では、こうしたハートを重視していますが、何故、重視しているかといえば、人の霊性を開花させ、この三次元世界を神の如く世界に変容していくことが可能だからです。そして、理想的な悟りへと導くからです。

悟りといえば、ハートの無い悟りもあります。禅や非二元は、その代表です。実にドライ。冷たい。

禅やっている人のツィッターやブログをご覧になってみてください。寒々としたものを感じますから。ハートが欠落しているからです。禅の悟りは、自己満足であり、社会には実質、無益な存在です。
ハートのエネルギーは、生命を豊かにし、人を社会を平和にします。そして、これこそが本当の意味での「創造」になります。クリエイト。

ええ、真の創造、クリエイトとは、喜び、歓喜、平和、愛、高揚、やさしさ、思いやりといったハートの徳性にもとづいた行為だったりします。

そう、人を思いやる心や、やさしさは、創造力の源だったりします。クリエイティブ。

このことが体感できますと、霊性がわかり、霊性に開かれていくようになります。
霊性に開けると、ブッダの悟りが、霊性を踏まえた悟りであることもわかってきます。

禅やノンデュアリティのように、霊性を欠き、認知を変容して「自己はない」だけに止まるのではありません。

交わる人や社会に与(くみ)し、世界を善くすることを含んだのが、ブッダの悟りであり、ハートという霊性のある悟りになります。

人が霊性に開かれると、異次元の存在が体感され、善・徳・真理がどういうものがか理屈抜きにわかるようになります。またハートもわかるようになります。そして、ヒーリングの効果も出てくるようになります。
ハート。
隣人愛。
慈悲。
思いやり、やさしさ。
相手のしあわせを願う心。

これらのエネルギーは、とても大切なんですね。霊性に導き、人間を神的次元にシフトさせます。そして、その延長に、理想的な悟りが顕現します。

そう、ブッダが提唱した悟りとは、実に、愛・ハートを踏まえた、包括した悟りだったわけです。そのプロセスにおいては、幸福になり、人と社会を平和と融和に導く。

天啓気療などの魂のレベルに作用するヒーリングが、ブッダの愛ある悟りの礎(いしずえ)と補助となることの発見。

私が、かくも喜び勇んでいる理由は、ここにあります。どれだけ途方もなく巨大な恩恵であるか。

幸福の実現、運命転換の可能性、幸福を経ながら悟る道。これをパワフルに実現するヒーリングの価値と方法の発見。気づいたことへの喜び。それを噛みしめると、涙があふれてくるのです。

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