幼少から見られる魂のブループリント~一生の傾向はおおよそ決まっている

現代は長寿傾向~60代はまだ若い

人生も、平均年齢の半分以上の月日を、過ごしていると思います。
昔なら、40過ぎれば「晩年」と言われていました。
昔は、60にもなれば「還暦」といって老境です。

けれども今では、40代は、まだ若い。
60才を過ぎても、若い。

老境という名にふさわしいのは、70代いや、80代でしょう。
それくらい、現代は、長寿傾向になっています。

百寿者~多幸感に満たされる90才以上のお年寄り

長寿はいいですね。
ありがたいものです。
特に、90才以上になると、「多幸感」が出てくることが多くなるといいます。

◎“百寿者” 知られざる世界
http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail02_3565_all.html

最近、時々聞く「百寿者」ですね。
百寿者の多くは、多幸感があるといいます。

100才以上に限らず、90才くらいになると、
多幸感になる人が多くなるといいます。

あらゆることに感謝の念をいだき、多幸感の生活になるお年寄り。
そんな後期高齢者が多くなるといいます。

長寿になると神の領域に近づく?

長寿になると、「神の領域」に近くなるかのようですね。
多幸感。

感謝にあふれる気持ち。
体が不自由でも、一瞬、一瞬がありがたく感じる。

まさに天界の天人や、神さまのようです。
 

恍惚、痴呆とは違う、人間が老いていくにしたがって生じる、
神秘的な精神的な作用があるような気もします。

その一つが、「多幸感」なのでしょう。
「至福感」とでもいっていいのではないかと思います。

人間には、そういうメカニズムが内包されているのかもしれません。

しかし、長生きをするなら、健康でありたいですね。
また、経済的な困苦になりたくないものです。

人の一生の傾向を決める「異熟」

ところで人生を、ある程度、生きてきますと、
過去の自分をふり返ったとき、
そこに、一つの流れ、道があることがわかります。

そうして、その流れ、道は、幼少の頃に、
すでに萌芽があったことに気づきます。

ええ、私もそうです。
幼少の頃に感じていたものが、全て、一生の核となり、
人生の軌道を作り上げてきたことに気づきます。

原始仏教では、これを「異熟(いじゅく)」といっています。
「魂のブループリント」とも言えます。

人には、生涯の方向性を決める「何か」があります。
それを「魂のブループリント」ともいっていますね。

自分自身の「魂のブループリント」

私は、個性的な感性を持っていた子どもだったと思います。
これは、母親も言っていましたね。

生まれ変わってきた実感

物心がついた5才くらいだったでしょうか。
家の玄関の前で遊んでいたときです。

「自分は今ここにいる、何故いるんだ?」という思いが、
ふっとわいてきたものです。

それは、「かつて別なところにいて、今、生まれ変わってここにいる」
という実感です。
そんな実感がわいてきたものでした。

あるいは、「今の(この生涯の)お父さん、お母さんは、何才まで生きているのかな」とか、
「(この生涯では)、何才まで生きていられるのかな」とか。

明らかに、輪廻転生を前提にした発想が、幼少の頃からあったものです。

幼少の頃は、こうしたことを言語化できないわけですが、
「生まれ変わってきた」という実感が、
幼少の時からあったものでした。

輪廻転生の衝撃

極めつけは16才の夏。
インドの輪廻転生の思想を知ったのですが、
この時は、雷がパーンと直撃したものです。

これ比喩ではなく、本当に、体に電撃が走ったんですね。
感電したかのように、バーンとなってしまうわけです。

時々「輪廻転生」とか「生まれ変わり」なんて、嘘、あり得ないよ。
というのを耳にします。

が、こういうのは、自分の感覚の中では、
それこそ「絶対にあり得ない!」だったりします^^;

もう骨の髄から「生まれ変わりはアリ」「自分は転生してきた」
という確たる実感があります。

だから、あらゆることにおいて「前世と来世」
という暗黙の前提や認識があったりします。

自分を護ってくれる目には見えない存在を感じる

あと、これも幼少の頃からですが、
自分にささやく高貴な存在がいましてね。

自分を守っているかのような存在が、
いつも一緒にいる感覚があったものでした。

これは、ちょっとアブナイと思われそうですが^^;
ところが、子どもの頃、こうした体験をしている人は、わりといるようです。

守護霊が消えた日

しかし、中学になると、いろんな知識を身に付けるようになります。
で、心理学を少しかじったりするわけですね。
で、「幻聴はヤバい」ということを知るわけです。

そうすると、「え?これってヤバいんじゃね?」なんて思うようになり、
そういう「ささやき」みたいなものを、感じたりするのは、
アブナイと思うようになります。

そういうのが感じられると「気のせい、気のせい」として
スルーするようにもなったものです。
 

で、14才の秋に、「もういいよ!」と、心の中で言ったところ、
その存在が「本当にいいの?それじゃバイバイ」といった印象とともに、去っていくんですね。
ええ、これホントの話しなんですよ。

で、「なんかとんでもないことをしてしまった」、
「大変なことをやってしまった」感じに襲われたものでした。

で、その時を境にして、その高貴な存在が、感じられなくなったものです。
でも、これも「単なる気のせい」と、思うようにしたわけですね。

守護霊が消えてから不運が続くように

ところが、この存在が消えてから、なんと!不運としかいいようがないことが連続。
散々な目にあい続けるようになるわけです。
人生が暗転。

そういう大変な目にあって、初めて
「ああ、あれは決して幻聴とか錯覚ではなかったんだ!」
ということに気づくわけです。

しかし、気づいた時は既に、時遅し。
一種の守護霊のような存在だったのかもしれません。

シャーマニズムでは守護霊・生まれ変わりは当たり前の観念

で、生まれ変わりを感じたり、守護霊の存在を感じること。
守護霊の存在が消えてしまうことなど。

こういうことは、実は、インディアンやシャーマニズムの世界では、
よく知られている霊的な現象のようなんですね。
このことは、以前、ブログに書いたことがあります。

守護霊とシャーマニズム~守護霊が消えると不運になる

ところが、21才のときに、人生を一変する神秘的な体験があり、
このときに、この存在が帰ってきたんですね。
 

その後も、いろいろと不思議なことがあったりして、
特に、昨年の秋からいろいろと変化や変容が起きつづけています。

幼少の頃の傾向が、一つのかたちとなってきて、
そのような道を歩んでいることに気づきます。

こういうのは、まったく予想もしていなかったのですが、
思い返せば、幼少の頃に、一つの流れといいますか、道筋があったことが分かります。

高貴な存在・守護霊を幼少から感じている人は多い

ジュリアン・ジェインズという人が書いた「神々の沈黙」という書があります。

著者の調査によれば、1/3くらいの人が、幻聴的な体験をしているといいます。

アメリカのキリスト教神秘主義のバーナデット・ロバーツも、
幼少の頃から、「大なる存在」を感じていたといいます。

また、マザー・テレサも、神としての存在を感じていたといいます。

そして、こうした「存在」を、幼少の頃から感じている人は、
大概、宗教や宗教的な世界、スピリチュアルへと進んでいくようです。

シャーマニズムと古代の右脳社会~ブッダ・キリスト登場以降左脳優位な社会に変わった

で、こうした体験は、決して珍しいものではないようです。
言えば、「アブナイ」と思われるため、黙っている人が多いのだと思います。
そりゃ、そうでしょう(笑)

私も、幼少の頃から、ささやくといいますか、何か印象で伝えてくる
守護的な「高貴な存在」を感じていたものです。

幼少の頃の体験が魂のブループリントを形成することも

幼少の頃から、人見知りをすることなく、
誰とでも話しをし始めて会話がはずみ、友達になってしまう子ども。

こういう子どもは、交友関係も広くなります。
いわゆる「コネ」もできやすい人です。
人脈を作ったりして、何かとラッキーなことも多くなります。
人生はおおむね楽しいでしょう。

反対に、幼少の頃から、嘘が上手な子。
小さいときから嘘の多い子は、ホラが多くなり、詐欺に走る場合もありますね。
親が、子どもに過剰な期待をして、それを達成させようとすると、
嘘をつく子どもになりやすいともいいます。
環境が、その子の傾向を後押しします。

親が、子どもに「あーしなさい、こーしなさい」と、過干渉すると、
子どもは、本来持っている素質を伸ばせなくなります。
また、自然体ではなくなりますね。

人は「魂のブループリント」に従って生きてゆく

人生とは不思議なものです。
「三つ子の魂百まで」といいますが、ここでいう「魂」とは、
原始仏教でいうところの「異熟(いじゅく)」をいいます。
スピリチュアルでは「ブループリント」。

人は、生まれた瞬間に、その人生経路を決定する「核」を持っています。
そして、その片鱗は、幼少期に必ず見いだせます。
すべて幼少の時代に見ることができると思います。

人生をある程度生きてきて、ふり返ると、
そこに、一つの流れ、道筋があったことに気づきます。

結局、ブループリントにしたがって生きているんだな、と。
ブループリントが核になっているんだな、と。

人生は無常ですので、どうなっていくのかわかりませんが、
おそらく、幼少の頃に感じていたブループリントにしたがって、
深い、深い領域へと進んでいくのだと思います。