キリスト教プロテスタントの歴史と印刷技術

キリスト教プロテスタントの歴史と印刷技術

キリスト教は
・カトリック
・プロテスタント
に大別できますね。

で、プロテスタントは16世紀に勃興した新興勢力になります。

が、このプロテスタントが登場した背景には、印刷技術の普及があったといいます。

以前読んだキリスト教の歴史本によれば、プロテスタントの登場は印刷技術の普及と関係があったとあります。

グーテンベルグの印刷技術で聖書がベストセラーに

印刷技術は、15世紀にグーテンベルグが発明しています。

グーテンベルグの印刷技術により、書物が大衆にも普及します。で、このとき最も普及した書物が、なんと「聖書」。神の言葉を記した聖書が巷にあふれかえります。

当時は、聖書がベストセラー。いえ、今でも最も多い出版部数を誇るのが「聖書」といいますね。

印刷技術が普及する前は識字率が低かった

ちなみに印刷技術が普及するまでは、文字が読める人は少なかったといいますね。ヨーロッパの識字率は極めて低かった。

そのため聖書を読める人は一部の司祭とかに限られていたといいます。

大衆の無知につけこんで教会はやりたい放題

で、当時の教会は、人々が文字が読めない、つまり聖書が読めないことをいいことに、聖書に基づかない都合のよい教えを説いていたといいます。

で、無手勝流の教えを「神の言葉」として伝えていたとか。そんな教会が多かったといいます。

なので「お札(日本でいうお守りみたいなもの)を買えば、あなたの罪は許される」とうたった「免罪符ビジネス」も大賑わい。これは人々が聖書を読めないことをいいことに、騙していたわけですね。

で、教会は政治とも結びついて、賄賂(わいろ)も横行し、教会という権力にあぐらをかいて、好き勝手のやりたい放題、腐敗の極みにも至っています。これは歴史で学んできていますね。

宗教改革は聖書の普及と関係がある

そんな腐敗した教会に鉄槌を下すことになったのが、16世紀に勃興した「宗教改革」。

宗教改革は、カルヴァンやルターによって起きたといいます。

が、宗教改革が起きる背景には、印刷技術の普及によって文字が読める人が増えたことがあります。

先ほども欠いた通りで、聖書が多く出回るようになり、聖書を読む一般人も増えていったわけですね。

で、聖書を読んだ一般人は、初めてイエスの教えに触れるわけですね。

で、「聖書に書いてあることは、教会で言っていることと違うやんけー!」と気がつく人が増大。

で、教会に騙されていたことをに目覚めた人が増えて、そういう中でカルヴァンやルターの宗教革命が起きたというわけですね。

大衆の目覚めという土壌が形成されると革命が起きる

宗教改革は、カルヴァンやルターが引き起こしたと言われていますが、宗教改革が起きる背景といいますか、受け入れられる社会的なムードが既に形成されていたというわけですね。

「教会は聖書と違うことを教えていた!」「教会に騙されていた!」ということに気がついた大衆が多くなったので、宗教改革というイベントが起きたわけですね。

で、このことは現在のグローバリズム問題に、多くの大衆が気づいて、世の中を変えようとするムーブメントと一致します。

「歴史は繰り返す」といいますが、おそらく今、世界中で起きている「反・グローバリズム」も、どこかでピークを迎えて一気になだれ込んで、新しい価値観が怒濤のように広まり定着していくんじゃないかと予想しています。

ちなみにカトリックは、プロテスタントを敵視しているか^^;。この逆も然り。犬猿の仲であるとか。

確かにキリスト教の歴史に鑑みれば、カトリックから見ればプロテスタントは面白くない存在になりますね^^;

日本のキリスト教の歴史

ところで日本におけるキリスト教は、迫害の歴史でもありますね。

国家から守られることはありませんでした。むしろ試練の中、信じる者が増えていった歴史があります。

しかしこれは日本におけるキリスト教の「強み」にもなっていると思っています。というのも保護されていない歴史ですので、自力でなんとかしてきたからですね。

ちなみに日本の仏教は、飛鳥時代から江戸時代まで、国から手厚く保護されて、優遇もされてきています。

ところが明治以降、国からの保護が弱くなります。

戦後はまったく保護がなくなります。お寺の利権もすべて奪われます。戦後は「お寺の皆さーん、なんとか自分達でやってくださーい」と突き放されます。

日本の仏教は、国家に手厚く守られる中でお寺の経営スタイルも作られてきました。なので戦後は「今さら方針転換なんかできねーよ(守ってもらえない中で自分達でまかなうことはできないよ)」となってしまっています。

それでお寺の中には檀家ビジネスに力を入れたり、マンションや駐車場などの不動産経営に力を入れるようになっているんですね。

実は日本のお寺には、そういう歴史から来る知られざる深刻な悩みがあります。

ところが日本のキリスト教の場合は、最初から厳しい試練の中で継承され、形作られた宗教です。

なので同じ宗教でも、打たれ強いといいますか、工夫して生き残る確率の高い宗教じゃないかと思っています。

そういう歴史的な違いを踏まえると、日本におけるキリスト教は工夫次第でいろんなことができるかなあと思っています。伸びしろはありそうですね。

しかし日本は、宗教には寛容であり、むしろ取り込んでしまう風土がありますので、ヨーロッパのような宗教改革は起きない(起き得ない)と思います。

やはり国民性の違いはありますね。

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