一体化により個我が消えるも低次元とのワンネスが起きると問題が生じる?

いやあ、それにしても、仏教関係で、面白い方を見つけました。

「こういう方もいるんだ」と、ちょっと驚き^^

女性なんですけどね。

へー、なんて思ってしまいます。
 

「仏教ガール」って、どこか野暮ったい感じも受けていたのですが、さにあらず。

なんかいいですね。

「わたくしは無い」への違和感

それはさておいて、自称、覚者の方で「わたくしは無い」といっている方。

ちょっと違和感をおぼえる方もいらっしゃいます。
 

ノンデュアリティにわりといらっしゃるかもしれません。

「この違和感って、何だろう?」と思っているのですが。

一つの推理として、「一境性(いっきょうせい)」が生じているだけなのではないかと。
 

「一境性」とは、同一化する「心」をいいます。

サマーディです。

ひらたくいいますと、ワンネスですね。

これらを専門用語で「一境性(いっきょうせい)」といっています。
 

ノンデュアリティや禅では、個我から離れたことを述べています。

これは、これで正しい表現だと思います。
 
で、「私は無い」とか「空」とか言われます。

が、これは「一境性」によって、何かと一体化しているので、「自分が無い(ワンネス)」という現象になっているのではないかと。
 
しかし、正直なところ、よくわかりません。

でも、どこか違和感があります。

低次元との一体化は品性の無い性質を生み出す?

もしかすると、卑近なものと一体化(一境性の心が生じている)しているのではないかと。

何かと一体化しているのを「空」と感じているのではないのだろうか。
 
では、どんな性質のモノと一体になっているのだろうか。
 
破壊の性質を帯びている者は、修羅の空間(次元)そのものと一体となっている可能性もあります。

なので、破壊的なことを言ったり。
 
お下品なことを言う方は、畜生の次元そのものと一体となっている可能性もあります。

だから、言動が卑しくなるのではないかと。
 

個我が無くなる。

私が無くなるというのは、一つのレトリックです。

では、何と一体となっているのか、というのを吟味する必要があると思います。
 
修羅や畜生の次元と一体となって、「私は無い」と言っているなら、ちょっと問題があるのではないかと。

低次元との一体化は問題を引き起こすのではないかと思います。

これが、品性の悪い覚者を生み出す理由にもなっているのではないかと。

低次元と一体化している場合は再生する可能性がある

パーリ経典には、梵天の色界二禅より下の世界は、周期的に世界そのののが崩壊し続けているいると述べています。

宇宙は、生成崩壊しているだけでなく、次元ですら、周期的に崩壊し、誕生する生成崩壊を続けていると述べています。

これが、原始仏教に伝承されている宇宙・世界観だったりします。

これらは、深い瞑想で見抜いた宇宙の真理法則とも言われています。
 
梵天の色界二禅より下の世界が崩壊するということは、修羅や畜生の次元も滅ぶということなわけですね。
 

もしも、修羅や畜生の次元で一体となって「私はいない」といっているならば、修羅や畜生の世界にいることになります。

解脱はできていません。

なので、修羅や畜生の世界が滅ぶことがあれば、再び、生まれ変わってくることもあり得ます。

なぜなら、一体となっている修羅や畜生の世界そのものが滅ぶからです。
 
以上のことは「仮説」です。

本当のところは、わかりません。

悟っても理想的な生命になるプロセスとアプローチを仏教では取っている

原始仏教が優れていると思うのは、宇宙意識を経由して、個我が溶解・超越して宇宙意識(真我)そのものと一体化し、最後は無我に達するアプローチとプロセスなんですね。

このプロセスは、理想的な生命形態になるようにできています。

ですので、真っ当な人が多くなります。
 
これが仏教の特徴。

また、こうしたプロセスを経るからこそ、外道にもならないのでしょう。

いろんな意味で、原始仏教は優れていると思う所以は、ここにもあります。

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