人間関係の相性とはエネルギーの相性のこと

人間関係にはエネルギーの相性がある

人間関係においては、意外とエネルギーの相性が見落とされがちだったりします。

「エネルギーの相性」

たとえばビジネスの世界では「成功しようと思ったら、成功している人に会え」と言われています。

これなどは、エネルギー観点を踏まえた格言だったりします。

上手くいっている人のエネルギーが、自分にも影響を及ぼすからですね。

成功者の話しとかアドバイスはもとより、そのエネルギーが大切です。

ビジネスの世界の成功鉄則には、体感的なものがあります。

で、同じ成功者でも「相性のいい」成功者を見つけて、その人から学ぶと、学びも早かったりします。

成功者はマイナスエネルギーを嫌う

しかし、現実的には、そんな相性の合う成功者とはなかなか縁が生じなかったりします。

仮に縁ができたとしても、相手が嫌がったりもします。一時的で終わってしまうことが多かったりします。

無理に続けようとしますと、拒まれたり、距離を置かれるようになります。

そもそも貧困エネルギーを持った人が、成功者と親しくしようとすると、まず嫌われます^^;

といいますか、ものすごく警戒した目で見られるはずです。

しかし、こう言いますと、理屈が長じた方やマインドが強い方からすれば

「これだから成功したヤツはダメなんだ」
「差別だ」
「なんて冷たいんだ」

とか言ってルサンチマン化しします。
で、中傷し始めたりします^^;

しかし貧困エネルギーは、無意識のうちに陽性のエネルギーを奪い取ろうとします。

なので成功者は本能的にこれを察知して、危険フラグが無意識の中に立ち、それで警戒してしまうわけですね。

エネルギーの相性とは性質が同じこと

結局、エネルギーの質が違う者同士は、本来は水と油なんです。そぐわないものなんですね。
「エネルギーの相性」が違うんです。

「相性」の妙とは、まさに「エネルギーの同質性」だったりします。

「似た者同士」とは言い得て妙です。
「同じ性質のエネルギー」が「仲良くなる」「親しくなる」「相性が良い」というのは、「同じ性質のエネルギー」という意味でもあったりもします。

これが原理原則です。

これを「同質結集の法則」ともいいますね。
引き寄せの法則の原型が、ここにあります。

いじめの原因もエネルギーの相性

エネルギーの相性と性質を踏まえますと、「いじめ」が起きる理由や原因もわかったりします。

もっとも、これがすべての「いじめ」に該当するとは限りません。

しかし、エネルギーの質が異なるものが、あるグループに入ると、その異質性から排除されることがあります。エネルギーの相性が異なるからです。

子どもは、その場の感覚だけで判断しがちです。
その感覚のまま直情的に、すぐに「排除」という対応を取りがちだっりします。延髄反射的に「のけ者」にしようとするわけですね。

ところが、大人の場合は、分別やら理性が働きます。違和感があっても受け入れようとします。

しかしながら、破壊的であるとか異質性が強いと、次第に不愉快感が募りだして、距離を置こうとします。

それでも、無理に縁が続くようになると、意地悪なことを始める場合も出てきます。

これが「大人のいじめ」が起きる原因の一つだったりします。

こうした体験をしている大人も少なくないかもしれません。意地悪されたり、意地悪したり。

が、意地悪すると、罪悪感を抱くものです。
「ああ、なんて意地の悪いことをしてしまったのか」と。

しかし、意地悪は、生命が条件反射的に取る「防衛本能」のあらわれなこともあります。

生命エネルギーの観点からすれば、こうした防衛反応はプログラムされた「動物的な反応」であることももあります。

動物的な延髄反応の「いじめ」はダメ

だからといって「いじめ」を容認するわけではないんですね。

「いじめを肯定するのか!」と言われそうですが、そうじゃあありません。

いじめはよくありません。
動物的な延髄反応にまかせて「いじめ」をするのはよくありません。

ただ、生命エネルギーの働きでは、こうなっているということですね。

「エネルギーの相性」があるってことです。原理原則は、こうなっているということです。

これを踏まえることですね。
で、このことは知っておいたほうがいいですね。
そういう風に出来ているんです。

で、そうだからといって、本当にいじめをしてしまうのは、よくありません。

生命は、放置しておくと、動物的な延髄反応を取ってしまいます。

プログラミングされているってことなんです。
このことをまず理解することが大事だというわけですね。

動物的な反応は「ありのまま」ではない

動物的な延髄反応を、「ありのまま」とかにしてはならないわけですね。

この分別。
判断。

「あるがまま」を「なにもしない」と錯誤する落とし穴が、実は、ここにあります。

動物的な延髄反応と、宇宙性の反応とを一緒くたにしてしまう。

エネルギーが同じモノ同士が集まる。
エネルギーの相性。
これが原理原則だったりします。

しかしながら、適切な分別・判別をはたらかせる「理性」「知性」は欠かせなくなります。

エネルギーレベルでの知性が大切

現代は「考える」という思考にウェイトがかかりすぎてしまっています。

そのため、エネルギーレベルの体感ができなくなっている人多くなっています。

何事も観念化してみたり。

言葉や概念で考察し、結論を得ようとしてしまう。

これが骨の髄まで染みこんでしまいますと、教理的な哲学とか仏教とかに傾くようにもなってしまいます。

で、ますますこじらせてしまう。
「考える」以前に、まずエネルギーの体感。

昔は「フィーリング」なんていっていましたが、これがそうです。
善悪や倫理というのは、その概念や言葉だけで認識するのではないんですね。

エネルギーレベルから見ていく必要があったりします。「自分の身体がどう反応するのか」という体感は大切です。

そうして、そこから導かれる高次の知性と意識の作用を「智慧」ともいっているんですね。

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