名色分離智にはいろんな方法でひらかれる

名色分離智にはいろんな方法でひらかれる

真我にひらける最初のステップは「名色分離智」になりますが、適切な言い回しが見当たらないので、実は便宜的に使っています^^

「名色分離智」という状態は、
・気づきの瞑想
・自己観察
・祈り
・慈悲の瞑想
・その他の瞑想
でもわかるようになります。

ただ気づきの瞑想や自己観察のように「気づき」をともなった瞑想のほうが自覚しやすかったりします。

信仰を通して名色分離智にひらける

「名色分離智」の状態そのものは「祈り」などでもひらけます。またピュアに信仰している人の中にも「名色分離智」の状態になっている人もいます。信仰している神や仏を真我的な感覚として体感している人もいます。

しかし「祈り」や「信仰」などの場合は、智慧(自覚)が生じにくかったりします。で、自覚がありませんので「名色分離智」にはならず、またそこから進みにくくなっています。

アドヴァイタやスピリチュアルのプレゼンスの注意点

これはアドヴァイタやスピリチュアルで行われているプレゼンスも同じです。

アドヴァイタやスピリチュアルのプレゼンスはわかりやすいのですが、センス(気づきの感性)がありませんと「なんちゃって」になってしまい、勘違いが起きやすいところがあります。

テーラワーダのやり方をおすすめするのは、わりと確実だからですね。結局、自覚が大事になってきます。神や仏を信仰している人の中には智慧(自覚)はなくても「名色分離智」の状態に達している人がわりといますが、そこに「自覚」がなかったりします。

名色分離智には自覚が必要

「名色分離智」は自覚が必要でして、テーラワーダでは何故「気づき」使われているかといえば、伝承云々もさることながら経験的に、瞑想が進み自覚しやすいことがわかっているからじゃないかと思っています。

ちなみに部派仏教の説一切有部では、信仰(三宝帰依)から預流果(悟りの初門)に至る方法もあったようです。これはテーラワーダ(分別説部)には無いアプローチです。祈り・信仰はツボにはまれば有効な道になると思います。

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