仏教の問題と時代不適合さ~現代に適した改革が必要

仏教は2500年前の時代に適した教え

仏教は、約2500年前に登場したものですね。
お釈迦さまがいらっしゃったのは、なんと2500年前。

この当時、日本は、弥生時代の後期。
神武天皇が即位した頃です。
まだ土器作ったり、わらぶきの家を作ったり、素朴な稲作をしたりーの
牧歌的?でありながらも、天候に左右され、病気とも紙一重な、
サバイバルな時代だったわけですね。

もちろん、教養もほとんどありません。
文字があったのかどうかわかりませんが、ほとんど口承です。
語彙も文法も簡素なものだったんじゃないかと思います。
表現力も、今ほど豊かではなかったでしょう。
人々は知的にも低く、本能が全開。
天衣無縫で、本能、欲望のままに生きていたんじゃないかと思います。

しかし、こういう時代だからこそ、天人の生まれ変わりとか、
先天的に宇宙の理に開けた人とかは、
ことさら”しつけ”をしなくても、生まれながらにして自然体で、
品行方正に近い方だったんだろうなと、想像がつきます。

こうした傾向はインドでも同じだったでしょう。
といいますか、インド人のほうが、もっと過激でワイルドだったはずです。
両極端の開きも大きかった。

2500年前のインドはサバイバルな時代だった

こういう時代に、お釈迦さまはインド生まれて、
仏教が登場したってことなんですね。

つまり、
・文明が劣っている
・モノがない
・食べ物にも困るときがある
・医療も乏しい
・病気にもなりやすく明日、亡くなるかもしれない
・家も簡素で粗末
・在家の生活と出家の生活もそう違いはない
・教養が乏しい
・語彙も乏しい
・言葉での表現も乏しい
・文法も弱い
・知的にも低い
・本能、欲望のままに生きていた
・天衣無縫、本能が全開でワイルドになりがち
・とにかくサバイバルな時代

こういう時代だったわけですね。

2500年前の人達に向けた教えはこうして作られた

2500年前はサバイバルな時代だったわけです。
ですので当時の人は、

・モノへの執着や争奪戦が起きがち
・明日、亡くなってしまうかもしれないなど不安が強い
・モノが無く粗末なことから生活がしにくく、苦しみ、痛み、つらさが多い
・言葉の表現も直接的で現在ほど豊かではない
・教養が無いので、好き勝手になりがち

こうした傾向があったことは容易に想像も付きます。
なので仏教をはじめとした宗教では、

・執着や欲望にフォーカスして、
 モノへの執着や欲望を諫めることが多くなる。

・命の不安があるので、命にフォーカスして、
 命ははかないことを述べたり、
 いつ亡くなるかわからないの出家を勧める。

・モノが無く粗末なことから生活がしにくく、苦しみ、痛み、つらさが多いので
 この世界は「苦しみ」であることを強調するようになる。

・教養がなく本能のままになりやすいため、
 規範とルールを守らせて、もうちょっとバランスのよい人にさせる。

・表現手段が話し言葉しかなかったが、
 その話し言葉の表現も豊かではなかったため、
 表現が直接的で、深みや精密な描写が充分できなかった。

となるのも、これまた容易に想像がつきます。

現代に適した仏教は変容させる必要性く

結局、仏教というのは約2500年前の時代に出来たものなわけですね。
当時の時代背景や特徴を踏まえないとならんと思いますね。

で、2500年前のことを、そっくりそのまま、
今の日本や欧米で再現しようとしても土台無理なわけですね。

てか、マッチしません。
現代文明人は2500年前とは真逆です。
現代は、

・モノがあふれていて、モノ無くしては生きていけない。
 だからモノを排除するのではなく、モノとの上手な付き合い方が大切。

・明日、亡くなってしまう心配はほとんどなく、
 いかにして充実した生き方ができるかが重要。

・モノは余りあるほどで豊か。楽しく、快適で、スムースなので、
 この世界は「苦しみ」であることを強調すると違和感をおぼえる。

・教養があり、ルールも多く、むしろ頭デッカチ、ルールに縛られての
 欲望や本能の抑圧も人によっては起きていて、
 こうしたケースでは、むしろ原始本能を再起動させることも必要。

・話し言葉の表現も複雑で豊かで、精妙な描写ができる。
 また言葉以外の文字、絵、映像での表現も可能で、
 心理描写はより豊かで深くなっている。

・こうした文明の発達により、人々は教養が豊かで、頭がよくなっている。
 しかし、身体を動かす頻度が減っている。
 2500年前とはまったく違う問題や歪みが起きているため、
 これらを是正することが欠かせない。

こうした特徴があります。

現代は時代に適するとともに霊性に根付いた仏教に変革することが必要

現代は2500年前のお釈迦さまの時代とは全然違います。
日本のように文明が深く浸透した現代では、
伝統的な仏教の教え通りに行うのは危険でしょう。

といいますか無理があります。
かえっておかしくさせてしまう恐れもあります。

仏教は、今の時代に適した変革や工夫をしませんと、
かえって心を歪めてしまう恐れがあります。

文明国では、こうした仏教の改変をしていきませんと、
適応できなくなるでしょう。

かといって、明治の頃の日本やタイのように、
欧米の合理化精神に対抗して、
奇妙な合理化・哲学化にしてしまうのはナンセンスです。

輪廻転生や天界などの異次元の世界、あるいは霊的存在を認める
「霊性」を排除して「合理化」と称するのはふざけすぎです。
こういう変革は「改悪」に過ぎません。

仏教本来が持っている霊性を活かしながら、
現代にあった仏教にしていくことが、今は求められていますね。

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