愛国心は健全な自尊心・自己肯定感と関係がある

愛国心は健全な自尊心を育む~他国では当たり前

日本人、日本的であることを誇りに思います。
また誉めたたえます。

と、こういうことを言いますと、ネトウヨであるとか右翼であるとか^^;、何か思想的なものを信奉しているのではないかと絡める傾向がありますね。

いえいえ、私は、そういう思想も信条も持っていません。ただ、シンプルに自国を愛していますし、誇りに思っているということですね。

たぶん、フランスに生まれたならフランスを愛するでしょうし、アメリカに生まれたならアメリカを愛すると思います。シンプルに、そういう感性なんですね。

愛国心は健全な自尊心・自己肯定感と関係があると思っています。

で、自分の国を愛し、地域を大切にし、誇りを持つことは正しいことだと思っています。
といいますか正常な感覚だと思っています。
健全。

もっとも「愛国心」というと、「戦争を引き起こす歪んだ愛国心」と取り違えられてしまう風潮があったりもします。しかし、こうした歪んだ愛国心は、本当の愛国心でないことは言うまでもありません。

戦後の日本では、敗戦国としての偏向教育を受けて、こうした歪んだ愛国心が、あたかも愛国心であるかのように広く認識されているのが事実だったりします。このことは一種の洗脳であり、問題だったりします。

実際のところ、アメリカもフランスも「愛国心」を抱くことは当たり前の感覚だといいます。愛国心を持たないほうが、おかしいといいます。つまり日本はおかしいと。

この「おかしさ」がまかり通っているのは、戦後、アメリカの占領下にあった時代から続いている偏向教育やマスコミの報道に原因があるといいます。

健全な自尊心・自己肯定感と愛国心とは関係がある

そもそも自分自身に良い意味での自尊心を持つことは必要です。
自分に良い意味での自信や自己肯定感を持つと、心がのびのびとして明るい気持ちになります。

反対に、いたずらに自分を否定すると、常に暗い気持ちや罪悪感がつきまとうようになります。

自分を肯定的に受け止め、良い自尊心を持ち、心をのびやかにしていくことはすごく大事なことですね。てか、当たり前だと思います。

自分を卑下することは、メンタル的にもよろしくありません。
自己否定感は、不健康であり、時に退廃的なものを好むようになったりして、危なっかしいものです。そもそもアンバランスです。

自己肯定感、尊敬感、明るい気持ちは根っこが同じ

バランス感覚が根底にあると、自他ともに大切にする感性が芽生えるようになります。で、この延長に、良い意味での自尊心が生じます。良い意味での誇りが生じます。そして良い意味での自己肯定感が生まれます。これらは全部関連しています。つながっているんですね。

もっとも自分のことばかり主張し、人の話を聞かないのは「エゴが強い」となりますね^^; これは言うまでもありません。自尊心ではなく「エゴ」です。

そうではなく、自分も含めて周囲を大切にする人は、本当の意味での自尊心があります。これは健全です。

自己肯定感や尊敬感、明るい気持ちは同じ根っこから出ています。「宇宙性」といってよい広大な意識から生じています。そうしてこの意識を、古来、「徳」といっていたのでしょう。生命力にあふれた命を育むエネルギー意識です。

自己肯定感の延長に生じてくるのが愛国心

こうした「自己肯定感」に貫かれたメンタリティは、地域や国への思いにもなります。自国を愛することは、自分を大事にし、家族を大切にし、地域を大事する気持ちと同じです。

ですので、国を愛し、誇りを持つことは、おかしなことではないんですね。ネトウヨでもありません^^;むしろ正常な感性だと思います。少なくとも私はそう思います。

「反省心」や「内省」することは大事です。
しかし自国を卑下し、破壊し、ダメとみなす感性や行為は「反省心」でもなければ「改善する心」でもありません。いたずらに卑下することは「自虐」なんですね。「反省」と似ていますが本質が異なります。「自虐」には破壊性があるだけで成長性はありません。

で、「自虐的な反省」はおかしいと思いますよ。
「健全な反省心」には自己肯定感がそなわっています。で、健全な自己肯定感や尊敬感があると、この延長に健全な愛国心が生じてくると感じています。

自分、家族、地域、自国、そして世界、地球、宇宙というった具合に、愛する思いはどんどん広がっていきます。「博愛」が根底にあると思います。

自国を卑下し無闇に否定するのはおかしい

日本人でありながら、同胞の日本人をダメと直情的に言う風潮は昔からオカシイと思っていました。自虐的過ぎるんじゃないかと。

昔は、日本人は自らを誇り高く思うところがあったとか。
歴史をふり返るとそうです。

もっとも、教育の影響もあるかもしれません。
また、封建的で、威嚇的な姿勢があったかもしれません。

けれども戦後は、自国への誉れを持つ感性が極端に薄れていきます。
戦後は、自分の国であるところの日本を卑しめることが多くなっています。
いえ、多すぎでしょう。

こうした風潮は、変えていく必要があると思います。
さすがに自虐的過ぎ。
もう少しバランス感覚があってもいいような。
シンプルに、そう思います。
感じます。

こうしたことは、自己否定感が強い人を見ていると、痛々しく感じるのと同じです。
「もっと自分を肯定的に受け止めたらどうなの?」と素朴に思います。

戦後に敷かれた言論統制(プレスコード)の影響

実は、こうした日本を卑下し否定する風潮は、戦後に作られたものであることがわかってきています。今では、こうしたことを指摘する識者も大変、多くなっていますね。

戦後、日本は、アメリカのGHQによる統治下に置かれます。主権を失います。GHQの支配下にあった日本は「言論統制」も敷かれます。「言論統制」は「プレスコード」といわれ、新聞や出版物が検閲対象になります。日本の報道を操作するGHQによる占領政策の一つです。
⇒wiki:プレスコード

言論統制(プレスコード)は、事後検閲であったため、日本のメディアは発禁回収を避けるために、自主的にプレスコードにひっかからないような報道出版を行うようになったといいます。このことが、そのまま戦後の自虐史観や自国を否定する姿勢の醸成につながったといわれています。

日本国憲法はアメリカGHQが作った~ハーグ陸戦条約に抵触

こうした姿勢は日本国憲法にも盛り込まれています。
アメリカは日本に対して、「戦争放棄」と称して日本に軍事力を持たせないことのほか、「国民主権」という名の下で「個人主義」を貫かせることで日本社会の基盤となっていた「共同体」を解体させる方向に仕向けていったといわれています。

こうした思想なり方針を日本国憲法に盛り込んで、GHQが日本国憲法を作ったことも明らかになっています。

このことは、先の「プレスコード」にも記載されています。wikiにもありますね。
「GHQが日本国憲法を起草したことの言及と成立での役割の批判」を禁止すると。

実は、アメリカのGHQが、日本国憲法を作ったというのが本当のことだったりします。

しかしながら、他国の憲法草案に口を出すことは「ハーグ陸戦条約」で禁止されている行為だったりします。

つまり、厳密にいえば、日本国憲法は、日本の主権が無い時代にアメリカが、日本の意志とは関係なく、しかもハーグ陸戦条約を犯して作った「訳あり憲法」ということになります。

もっとも、日本は「ポツダム宣言」を受け入れています。「ポツダム宣言」は特別法。一方、ハーグ陸戦条約は一般法。特別法は一般法に勝るといわれています。なので、GHQが日本国憲法を作っても国際法違反にはならないという指摘もあります。

しかしながら、結局、日本は戦後のアメリカの占領下時代に、原爆を落としたアメリカに敵対心を抱かせることなく、また日本の再軍備をさせないようにし、さらには国民の意識そのものを懐柔させるための仕掛けを様々な方法で施してきたということですね。

こうした話しは、アメリカ人歴史学者のジェイソン・モーガン氏やケント・ギルバート氏、三橋貴明氏、その他の識者も指摘しています。


日本国憲法は日本人の恥である

敗戦国は100年間は自由がないというのがセオリー

しかし、こうした歴史的事実について、ここでは是々非々することは避けたいと思います。各人、様々な政治なりの信条をお持ちでしょう。また、アメリカをいたずらに批判する毛頭はありません。

そもそも敗戦国というのは、こうした仕打ちを受けるのがセオリーとなっているといいます。敗戦国は100年間は自由になれないともいいます。

憲法改正の是非は、人によって見解の分かれる論点です。
ここでは、こうしたことを議論する気持ちは毛頭ありません。

が、いたずらに護憲に走るのは「どうなんだろうか」と思うところがあります。
「ハーグ陸戦条約」に抵触している点は見過ごしてはならないと思います。

歴史的な事実には向き合い、認めること自体は必要だと思います。

戦後に広まった自虐歴史観

それと、戦後、GHQの時代に、日本には報道規制(プレスコード)が敷かれ、その影響が今でも続いているという指摘があります。

こうした自主的な報道規制が、今もなお続いていて、一つの「慣習」になっているといわれています。日本のマスコミが、日本をおとしめること報道する風潮が、戦後から続いていたのは、このためであるといいます。

さらには、これが自虐歴史観を醸成することにもつながっているといいます。

歴史の真実が明かされてきている

日本国憲法を作ったのがアメリカGHQであり、この事実を「プレスコード(報道規制)」で隠蔽し、なおかつ自虐史観が戦後広まったことは、今ではかなり多くの人達に広く知られるようになっています。

また指摘する識者も多くなっています。
半ば常識となってきています。

こうした戦後史のことを知らなくても、やはり自国をやたらと悪く言うことには感心いたしません。くどいようですが政治信条とかからではありません^^;

自尊心、自己肯定感、自己への期待感といった志や精神があれば、自分の家族、住む知識、そして国、さらには世界、地球に誇りを感じると思うからです。至極真っ当に感じます。シンプルに、単純に、そう思います。

けれども、戦後生まれの方々(団塊の世代や昭和世代の方々)のように、幼少の頃から「日本はダメだ」「愚かなことをした」と、一方的に罪悪感を植え付けられる偏った教育を受けますと、日本を客観的に見ることができない思考パターンが無意識のうちに創られていくようになります。

しかしながら、それこそ客観的に見れば、日本は素晴らしい国であることもわかってきます。そんなに否定するほどでもないと思います。もちろん、何事にも良い面もあれば悪い面もありますよね。

自他共への尊敬感と肯定感の先に愛国心と地球規模のグローバルな博愛が生じる

「ありのまま」に見れば、日本は素敵な国だと思います。

実際、米国人の中でも、理解ある人々は日本を高く評価しています。
中国人も、日本に観光旅行に来ると、日本が素晴らしいことに感動し見方が改まるといいます。

そして、日本に限らず、それぞれの国は素晴らしい。
その国々に生まれた人達が、自国に誇りを持ち、よろしくないところは改めるようにしていくことで、世界全体、地球そのものが、よりよくなっていくと思います。

そう、愛国心、自国を大事に思う感性は、地球規模で地球を愛するグローバルな感性を醸成する下地にもなります。戦争がよくないことは子どもでもわかっている。わかっていながら戦争が起きてしまう。

だからこそ、歪んだ愛国心ではなく、自国を愛しながらも地球規模のグローバル感性が大事なんじゃないかと思うんですね。

この感性を育む第一歩は、まずは自分自身への尊敬感と肯定感です。自他共に愛する気持ちの芽生えと醸成こそが、そのまんま愛国心と地球規模のグローバルな愛の感性につながっていくんじゃないかと思っています。

自分も他人も肯定的に受け止める、好意的に受け止める、尊敬感を持つ。
すべて自己の内面性と向き合うことから、世界の平和も実現していくと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です